今年に入って、高校生の頃の恩師が亡くなったと知らせを受けました。


恩師は、いい意味でも悪い意味でも私の人生のターニングポイントに関わった人で、自分に深く影響を与えた人でした。


ただ、言葉にトゲがある物言いの人で、当時の私は内心たくさん傷ついていました。

でも私は「傷ついた」という気持ちに蓋をして、見て見ぬふりをしていました。


高校生の頃の私は、「どんなに嫌なことをされても、嫌いな人をつくらない」と決めていた時期。

それは、中学生の頃にいじめがローテーションで繰り広げられていた日々から学んだ、若い私の精一杯の、心の防衛マインドでした。


ただ、今思い返してみると、恩師の言葉の裏側には深い愛情を感じたし、私が第一志望の大学に落ちた時、一緒に涙を流してくれました。

卒業後も何度かご飯に誘ってもらい、一緒にランチをしたりしたことも。


そんな折、数年前に突然恩師から電話がかかってきました。

「大病をして、代わりに教鞭をとれる人を探している」という連絡でした。

当時の私は正職に就いておらず、普通とは違う仕事をしていました。多分それを知って連絡がきたのかもしれない。


「かりんさんみたいに、他にフラフラしてる人いないよね」


そんな様なことを言われて、当時ものすごくショックを受けて悲しい気持ちになったことを覚えています。

自分がちゃんとしていない、やばい人間というのを受け入れたくなかったけど、ちゃんとした人間になれない自分に失望していた部分もあったので、「フラフラしてる人」というニュアンスがダイレクトに心につき刺さって、

今まで蓋をしていた「本当は傷ついていた自分」が一気に溢れ、電話を切った後衝動的に連絡を断ちました。



それから数年。亡くなった連絡を受けた時は、正直連絡を他ったことへの後悔の気持ちが大きかった。

高校生の頃、好きも嫌いも素直に言えていたら、恩師にこんなに複雑な感情を抱かなかったのではないかと思ったりもする。


でも、今の私は「嫌い」という単純な言葉だけでなく、本当に感謝の気持ちの方が強い。

美術の道を探究したい気持ちになったのも、教育の道に進みたいと思ったのも先生のお陰だと思っている。

今は違う仕事に就いているけれど、亡くなる前に先生に伝えたかったなあ。働くことで悩んでいた私を知っていた先生は、きっと喜んでくれるに違いない。


先生、ありがとう。


天国で会うことが出来たら、取り繕った私ではなく素直な私の言葉で、先生と話すことができるのだろうか。





高校最後に描いた絵