最近朝は支店の近くのスタバで早めに来て、新聞を読んだり勉強したりしています。血圧90の朝はめっちゃ苦手やけど頑張って起きるようにしています。
今までは会社に7時40分くらいまでには行ってたけど目標がかわってからはそんな早く行っても意味がないと思って8時代までいます。
今日はいつもより2本早い電車に乗ったのに新聞読んでたら気付けば銀座通りこしてました。私の感覚では東銀座あたりやったのに。そんなわけで結局いつもと同じ時間。
こないだから銀座の街はクリスマスバージョンに変わってます。機会があればぜひ。
気付けばいつの間にか11月になった。
あまりにもいろんなことが起こった。

今年の夏、生まれて初めて入院した。
これまでに数回、東京で倒れたことがあった。
東京に来て2日め、人生で初めて倒れた。
それから半年何もなかったけど、また突然倒れた。
冬、長野のスキー場で倒れた。
銀座の町で倒れたこともあった。
病院にはかかっていたけど、なかなかよくならず、
倒れた時の痙攣を抑える薬をずっと飲んでいた。
自分ではなんとなく、大きな発作が起こった後は次が来るまで間隔が空いて、薬をきちんと飲んでいれば気持ち悪くはならないと認識していた。
おかしいなと思ったのが8月。
でもその時も1週間で大阪、実家、東京と行き来してたから
疲労がたまってたんだと思ってた。いつものパターン。でも今回はなんか違う。
きちんと薬を飲んでいるから。
いつもの病院に行った。薬が体に合わないのでは?との診断。検査の結果もOKだし。
血中濃度も適性なのに薬が合っていないとはどういうことなのか。
新しい薬が出たけど全く状態が変わらない。
8月24日日曜日、でかけようと思ったら突然家で倒れた。
この日おかしかったのが、このあと何度も何度も失神に襲われたこと。
台所で食器を洗ってたらいつの間にか床に倒れていて、
パソコンをしていたら突然倒れて気付いたら机の上のパソコンが床に落ちてた。
こんな失神が1日10回ぐらい続いた。
気持ち悪くて耐えられなくて寝てみても、
何度も発作が来て起きる。苦しくて仕方なかった。
いつも、ふぅっとなってめまいがして苦しくなって、ましな時はそのまま意識が戻るけど、ひどいときはそのまま倒れて気付けば痙攣してる、そんな状態だった。
次の日、休みたかったけどどうしても休めなかったからタクシーで仕事に行った。
お客さんと話してる時も移動してる時もひどくめまいがして、
自分でもう限界だと思って、午後から休みをもらって病院に行った。
でも、いつもの病院では同じことしか言われなくて、いつもの状態とは違うんだと
訴えても、薬に対する体の適合性の問題だと言われて返された。
お母さんに相談して、大きな病院に行くことにした。
救急部で見てもらったけど、私がたぶんこういう病気で・・・と説明してると、年齢や
症状からも前の病院と同じ診断が下った。ただ、発作を止めるための点滴を打ってくれることになった。
これがほんとに助かった。薬が強いから点滴の時は心電図をつけることになった。神戸にいたお母さんが心配して飛んできてくれた。一人じゃなくてよかった。
突然また、軽くめまいがした。
そしたら突然外の心電図がピーピーなって、看護師さんが飛んできた。
「今、意識がなくなってたけど大丈夫?」と。
意味が分からなかった。
それから外は大騒ぎ。
1時間後ぐらい、いきなり循環器の先生が入ってきて言われたことは、
心臓に問題がある、とのこと。今までまったく考えてもなかった。
私の病気はおそらく高度AVB(AVB=房室ブロック)で、今すぐ入院が必要だと。
そんなわけで私は8月25日、入院することになった。
高度AVBとは、不整脈の一種。不整脈は、年齢と共に出てきたり、スポーツ選手とかに出ることがあるけど、大きく危険な不整脈とそうでないものに分けられる。
私は全く気付いてなかったけど、私のものはとても危険な状態だったみたい。
そんなわけど入院をし、然るべき処置を受けて、今は仕事と日常生活に復帰している。もうすっかり元気で、前みたいにいつ倒れるか分からない恐怖に苛まれることもない。みんなにもたくさん心配してもらったけど、すっかり元気そうね、とありがたい言葉もいっぱい頂く。
原因がなんだったかのかは、結局分からないままだったけど、元気になれてよかった。休んでる時、今もいろいろ考えるけど、まずは本当に健康が1番。
あの日あの病院に行って、あのタイミングで発作が来て、きちんとほんとの病気が見つかってよかった。不幸中の幸いっていうのはこういうことを言うんやね。
これからも勉強も遊びも一生懸命に頑張ります。
妹が標題についてのレポートを書いている。

その件でおばあちゃんにインタビューして、とレポート用紙を残して明石へ帰ってった。
そんな訳で妹のレポートを手伝うことになった私。

おばあちゃんと【老い】について2時間くらい話した。

ここでうちのおばあちゃんについて…。
うちのおばあちゃんは、お母さんと一緒に住んでいる。うちはお母さんが働いているからおじいちゃんの介護もおばあちゃんがぎりぎりまでやった。火事、畑作りもおばあちゃんがやる。足がとっても痛いのに。
優しくて、みんなから好かれて、世話好きなばあちゃんにとって老いることは、
身体的な負荷に加えて、「年を重ねることは自然なこと。それに逆らうことはできない。しょうがないんだよ。」「毎日が過ぎるのがとっても早く感じる。」らしい。

でも、1年前に足の手術を受けて足の痛みも消えてたくさん歩けるようになってからは、旅行に行ったり、毎日散歩したり、楽しいことも増えたみたい。友達とおしゃべりするのが楽しいらしい。
こうやってなんらかの楽しみを持って生きるっていうのはばあちゃんたちの世代にとったら私たちのそれに比べたらまた違った意味ですごく大切なんやなと思った。

だけど実家に帰る度に思うけど、ほんとにうちの実家は田舎で山と田んぼと畑と空とじいさんばあさんばかり。。こどもや若い人らはほんま少なくなっていきあるし、車ないと街にも行けん。ばあちゃんが言うに、若い人(ゆうてもばあちゃんにとっては50代の人たち)は働きにいきあるし、年配の人は亡くなった人も多いし、施設に入っとる人もいっぱいおる。しゃべりに行くにも遠いとこにおる人も多いんや、とのこと。だからたまに町とかがやってるばあちゃんたちの集まり(いきいきサロンというらしい。)が楽しみなんやって。ばあちゃんたちみたいな人はいっぱいおるやろし、そういう老人のために福祉について県や市町村が取り組んでることをきちんと知っておくことって大事なこと。幸いなことに三重県は福祉についてはけっこうしっかりしているらしい。
そしてばあちゃんがインタビュー中ずっと一環して言っていたことがある。
「ただ迷惑かけずに生きていきたい。」
いっこも迷惑なんかかかってないよ。迷惑なんてかけていいんだよ。今までこんなに頑張ったんやから迷惑かけていい。今の楽しみを一つずつゆっくり楽しみながら生きてほしい。健康で。

そしてばあちゃんが毎日することもう一つ。
「毎日に感謝して生きる」じいちゃんを祭ってある仏壇に朝、今日も1日こけずに健康で過ごせますようにと祈り、夜、今日も1日健康でいさしてくれてありがとうと言って寝るらしい。毎日がありがとうやね、
と言っていた。

私はそんなおばあちゃんにこれからも元気で楽しく生きてほしい。老いることについて否定的になることも絶対あると思う。私なんて今は全く実感がないけど、老いるっていう現実は必ず存在して、私たちはそれを受け入れて一緒に生きていかなくちゃいけない。生き方は人それぞれ。だから今回ばあちゃんが話したことはきちんと覚えておこうと思う。

ありがとう。
ただ聞けなかったことがいくつかあった。というか今思いついた質問。

私たちにはまだ未来があって可能性もまだまだあるけど、ばあちゃんたちは未来についてどう考えているのか。それから死について。
聞いとけばよかったなー。