今後、あの日のことについて書くことはないと思うので

自分の為の備忘録として記したいと思います

 

当時のことを思い出したくない方はこれ以上読まないでください

 

 

 

 

 

 

8年前のあの日、私は中野坂上にあるオフィスビルの19階にいました

トイレの個室に入って数秒後?突然縦揺れに襲われました

その時まだ途中でした。すぐに用を済ませちゃんと手も洗って

トイレから飛び出しました

その時には横揺れが激しくなり壁にしがみ付かないと立っていられない程でした

私のようにトイレにいた人が同じように壁にしがみ付いていました

かなり長い揺れが収束してきた頃、ようやく自分のデスクに戻りました

オフィス内は騒然としていて、おそらくその場にいた全ての人が

初めて経験する揺れに動揺していたと思います

時計の針は午後3時前でした

暫くしてから上層部から

どうしても今日中に済ませなければならない仕事がある者以外は

帰宅してよいとの指示が出ました

3時半を回っていました

都内の電車はほとんどが止まっていました

当時、私は田端のマンションに住んでいました

同じく田端近辺に住む同僚と歩いて帰宅を始めました

新宿まで続く歩道はみな新宿を目指して歩く人の列になっていました

その日は北風が冷たい日でヒールの高いブーツを履いていた私は

ほどなく足が痛くなり、持参していた会社室内履き用のサンダルに履き替えました

サンダルなので足先が冷たく寒かったけど、痛いよりはマシでした

方向音痴の私は同僚の道案内で本当に助かりました

歩いて歩いて新宿を過ぎ、都電荒川線の学習院下の駅が見え始めました

その時同僚と「もし、都電が動いていたら都電で帰ろう」と話していました

やがて駅が近づいてくると、たくさんの人々が並んでいるのがわかりました

たった一両しかない都電ですからね それでも都内では真っ先に復旧したのが都電でした

何回見送れば車両に乗れるのか・・・それでも同僚と並び始めました

すると暫くして同僚の旦那さんから携帯に連絡が入りました

それまで全然繋がらなかったんです

すると「池袋まで来てくれたら車で迎えに行ける」とのこと

私たちは都電の列から離れ再び池袋サンシャインを目指して歩き始めました

会社を出る時、自販機で500mlのペットボトルの水を2本も買ってバッグに入れたことを後悔しました

家に着くまで結局一度も飲みませんでした

ただひたすら歩いて歩いて池袋に着いたのは夜7時を回っていました

それから同僚の旦那さんの車を探して

ようやく車に乗り込んだのは7時半近かったと思います

道が大渋滞しているとのことでした

やはり、あの時、都電で列に並んでいた方が早く家に帰れたと思います

車が走り出し車についているカーナビのテレビで初めて事の重大さを知りました

映像は東北のまさに火の海になっているコンビナート火災の様子を映していました

目の前にある光景が信じられませんでした

そして画面が切り替わり大津波が襲ってくる様子をヘリの上空カメラがとらえたビデオ映像

こんなことが現実に起こるなんて・・・・言葉を失いました

道は大渋滞でノロノロ 自宅マンションに着いたのは8時半近かったです

通常なら車で10分位の距離だと思います

やれやれと思いマンションのメインエントランスに着くと

エレベーター停止中の貼り紙

会社では19階から非常階段を歩いて地上に降りました

そして家に着けばこれまた非常階段で13階の自宅まで昇らねばならぬとは

ヒーヒー言いながらやっとの思いで自宅に入りました

都内に住んでいても家に着いたのは会社を出て5時間後のことでした

そしてまずテレビをつけました

どの局も勿論、東日本大震災の様子を伝えていました

そして映し出される巨大津波の映像

この世にある地獄 こんな津波が起きるのか 想像を絶するとはこういうことなのか

暫く放心状態のまま映像を見つめていました

その後のことはあまり覚えていません

家にある有り合わせのものを食べ

夫には「無理して帰宅しなくていいから会社で泊まっていい」とメールしましたが

返信は来ていませんでした

いや、途中1回だけ電話が通じて その時に

「もう会社を出て歩き始めている」と言っていました

私としては無理して帰って来てくれなくて良かったのに

むしろ厚木の方から東京まで帰って来られる方が心配でした

深夜0時くらいまでは起きていたと思いますが

私も中野坂上から池袋まで歩いた疲れで

いつの間にか寝落ちしていました

夫が帰宅したのは翌日の午前3時過ぎでした

厚木から海老名まで歩き、動いている電車を乗り継ぎ乗り継ぎ遠回りして

なんとか大手町まで電車で辿り着いたところで終電となり

大手町から秋葉原まで歩いて、そこでようやくタクシーをつかまえて帰宅したそうです

だから、無理して帰宅しなくていいって言ってるのに

真冬並みに寒かったあの日 行き倒れになる方が心配です

それからは夫婦でよく話し合って

もし、同じような大地震が起きたら、無理して帰宅しない そう約束しました

 

 

 

それから月日は流れ 現在は横須賀住まいです

そして、家族が増えて、猫が家にいます

もし、夫婦ともに仕事で不在にしている時に同じような大地震が起きたら・・・

私も仕事で家を空ける日には 猫のご飯は多めに置き餌をして家を出ています

うちの猫はあまり食いしん坊ではないので

おそらくそれで翌日くらいまでは平気だろうと思います

でも、きっと猫が心配でその日のうちに帰宅しようとするんだろうな・・・

もうあのような大災害が起こらないように念じるばかりです

 

8年前のあの日

多くの方々、そして多くのペットである犬や猫が亡くなりました

あの時の記憶を風化させず

思い出すことが残された者の務めだと思います