自閉症なこどもたち

自閉症なこどもたち

自閉傾向のある姉弟、たぶん定型発達の末っ子3人の母の備忘録。
真ん中の子が軽度知的障害の自閉症です。

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こどもたち、長女(6)、長男(4)、次男(1)。
長女は年長。来年度小学生になります。

長男が発達障害児ですが、ほかの子は定型・・・というご家族も多いかもしれませんが、
我が家はどうもそうではないようです。

母親の私がどちらかといえば対人が苦手な方で、いまこそ自閉症チェックには当てはまらないものの、小さいころは自閉的な部分があったので、私の血を受け継いでいるのかもしれません。


ひーは初妊娠流産後に授かった子で、初期はずっと出血していました。
切迫流産で動けなかった時期もありました。
中期くらいまで出血していたので、それはそれは気を揉んだものです。
出産は初産にしてはわりと楽でとても元気に生まれてきてくれて安心しました。

生まれてからは母乳がなかなかでずに悩み、ひーもずっと泣いていました。
抱っこしたままでしか寝てくれず、
ビーズクッションを使って抱いたまま寝る日々を数か月送りました。
おろすと起きてひたすら泣くので、本当にずっと抱っこで毎日過ごしました。
半年くらいまでスリングやら抱っこ紐に入れて家事をこなしていたものです。
寝かしつけるのも苦労した子でした。
音に異常に敏感で、少しの音でも起きたりびっくりしたりするので、気の休まる日がなかったです。
あまり寝ない子でした。
結局6歳になった今もあまり寝ない子です。
私自身はとにかく寝る子供でしたが・・・


離乳食は最初のころは嫌がって食べませんでしたが、あとになるとよく食べ、
本当によく食べるので私も量がわからず食べさせすぎていたのかもしれませんが、
たまに吐いてしまうことがありました。
それが少しずつ増えていき、よく吐く子になりました。2歳くらいのころです。
手が汚れるのを嫌がる子だったので、箸を持つことを覚えるのがとても早かった。
1歳半すぎたら箸を持ち出しました。
2歳には、自分で席について箸を持って一人で食べていました。
これは非常に楽でしたが、普通のお子さんのように手づかみ食べをしなかったという面では、
切ない感じも残りました。



ハイハイ、つかまり立ちまでは標準通りできたものの、
歩くことを異常に怖がり、膝で立って歩く日々が続きました。
手をひいてあんよができませんでした。
もちろん手押し車なんかも一切だめです。
その点は長男といっしょでした。
歩いたのは1歳8か月。ようやくといった感じでした。

1歳半検診では指さしができずひっかかっています。
歩き始めてからは言語が伸び、2歳には会話ができるようになりました。

ただいわゆる人のまねというのでしょうか、
踊っているのをまねしたり、手遊び歌をしたりというのが、姉弟ともに苦手でした。
(今はふたりともしますけど。弟は少しだけ)全然しなかった。

でも私も小さいころ、みんなとまねして踊るの苦手だったんですよ。
いかにも子供っぽいというか。
正直その様子を子供みたいばかじゃないのと思っていて(変わった子供ですね^^;)
しませんでした。
だからなんともいえないんですが。

自閉症チェック項目に、身振りのまねをしないってありますよね。

子供たちが不器用だからできなかったのか、私みたいに恥ずかしいからしなかったのか、
今となってはわかりませんが。


吐くことが多くなって、食事にも困る日が続きました。
食事を見るだけでえずいてしまうようになりました。
これが年少の終わりころまで続きます。
2歳代に少し薄れてきたけれど、幼稚園に入るとぶり返してしまいました。
彼女は幼稚園が嫌いで行きたくなかったみたいです。
給食が始まるとひどくなりました。
毎朝吐いて、どんどん痩せて・・・
結局夏は全部休ませました。
2学期からは私についてきてくれというので、付き添って、帰りまで一緒にいました。

長男もおぶって連れて行ったのですが、このころにはもう長男が走り始めて、
いうことをきかなくなっていたので、すごく大変だったことをおぼえています。
そういうこともあって、長男の1歳から2歳はあまり覚えていません。

3学期からは自分で行くといい始めたので、頑張っていってもらいました。
行き渋りはよくありましたが、とても頑張りました。

年中になると、ひとつお姉さんになって、小さい子が入ってくるということで、
彼女はすっかり目覚めました。がんばっていきはじめました。
先生も変わって、心機一転楽しく通ったみたいです。

えずきも少しずつ減っていきました。

こどもちゃれんじもしていましたが、最初は難しくたんすのこやしに、半年経つくらいで
できるようになっていました。
ひらがなが読めるようになったのは年少終わり。
書けるようになったのは年中終わり。
すらすら絵本が読めて、字もすらすら書けるようになったのが夏くらいです。
今は届くこどもちゃれんじはわりと余裕をもってしています。
1ページで物足りず、届くと一気に終わらせてしまいます。
勉強が楽しいそうです。


発達相談も半年~1年に一度で受けていました。

そのころの担当さんはただK式をするだけで、何かアドバイスするわけでもなく、
なんのためにしているのか私自身がわからなかったため、
今はちゃんと聞いておけばよかったと悔やんでいます。
正直にいえば、発達相談を「させられる」時点で我が子を普通じゃないと認定されている気がして、気分が悪かったので早々に済ませたかったんです。

年長になった今ではメンタルもわりと安定し、楽になりました。
いまだに潔癖な部分や落ち込むと御飯が食べれなくなるなどありますが、
数年前を思えば、すごい成長ぶりだと思います。

工作なんかも年中までは不器用なこともあってできませんでしたが、
お友達と一緒に何か作ってきます。
これも発達検査には引っかかる項目でした。(折り紙とか)

だいぶ追いついた(ものによってはすごく伸びて、8歳くらい)と思います。
パズルや計算が得意。理系の頭脳かもしれません。
描画については(欠けている絵を補足して描くもの)いまだに目がひとつしかなかったり、耳がかけなかったり、ぎょっとすることがあります。
なのででこぼこなのに変わりはないと思います。

運動も得意ではありません。
自転車もまだ乗れません。
ただ嫌いだったブランコは好きになりました。


体幹がぎこちないということで発達検査をすることを園の担任の先生から勧められて
長男と同じ医師に診てもらいました。
幼いころの成長過程と、その場にいる娘を見て、
「自閉症の診断をしようと思えばできる子」(ボーダー)と言われました。
私はかなり衝撃を受けました。
この子もか!と。
「ただ、IQが高いので、落ち込んだ時に適切に対処していけば伸びる子のため、
STOTは必要なし」と言われました。
体幹がぎこちないのも個性ということでした。

なので、我が子は長男だけでなく長女も自閉傾向があるという診断になりました。

ショックでしたけど、私も自閉傾向ありますし、
受け入れていこうと思った2015年夏でした。

勝手な私の思いこみですが、たぶんこの子は徐々に自閉傾向は薄れていくと思います。
頭はちょっといいけど、コミュニケーションがのんびりで少し不思議な子ぐらいでおさまるのではないかと思います。

私がそうだったから。

少なくとも私より対人関係はしっかりできる子なので。
落ち込みやすいのをフォローすればまっすぐ育つように思っています。









何か月ぶりの更新でしょうか。
毎日あっという間に過ぎていき、もう師走。
今年も終わってしまいます。

更新しない間にいろいろありました。

また、心の整理。
そして、もし同じことで悩んでいる方がいたら、共有できるところがあるかもしれません。
少しずつ書いていこうと思います。


Kは7月に軽度知的障害(70~75くらい?)の自閉症と診断されました。
STOTは強く希望したものの、満員のためいまだ受けることはかなっていません。

現在通っている幼稚園では、補助の先生に助けていただきながら、毎日楽しく通っています。
先日の発表会も、最後は寝転がったりしていましたが、出し物はかなり頑張っていました。
お友達も最初のころはみんなを「太郎くん」と呼んでいましたが(ユニークですよね^^;)、
毎日遊んでくれる子の名前は少し覚えて遊んでいるようです。

言葉も少しずつ増えてきて、宇宙語(彼の中の言語で私がそう名付けてます^^;、英語っぽいです)も話すけど、日本語も話すようになってきました。
会話は正直難しくオウム返しになることが多いけれど、
今日はおやつ何食べた?とかだと「せんべい」とこたえたり、
少しずつできる会話は増えてきている気がします。


私自身はこのまま幼稚園でも・・・(診断してくれた医師もそう言ってくれていたし)
と安易に思っていた部分もあるのですが、
幼稚園の先生とのお話や夫との話の中で、このまま年長までいるとなると厳しいのかなと
思いはじめ、遅まきながら療育園に行くことも考えました。

そして、療育手帳を申請して、今にいたります。

今日は障害相談センターに行って、K式と面談を受けてきました。
動作性は低いものの、できるようになったことも増え、
発達相談で先月したこともあるので覚えていることもあったかもしれないけど、
少し伸びを感じました。
「着るものどれ?」とか「乗るものどれ?」で絵をさせるようになっていたし、
長い短いもできるように。笑った顔ないた顔も全部でき、
積み木を順番に叩くのも少しでき、神経衰弱のようなものもでき、
総合的には3歳2か月くらいという結果でした。(今4歳4か月です)
ただこの間まで2歳半とか言われてましたから、この半年くらいで少し伸びたんだなと思います。
2歳代を脱するというのが、大きな壁でした。

結果は上から88、77、75、72とK式の紙には書いてありました。

療育手帳はB2の下の方くらいでとれることになりました。

パニックもなく落ち着いた子だと、言ってくださいました。
情緒が安定していると。
家庭環境が合っているのでしょうねといっていただいたのは、私にも救いがありました。
すぐ寝っ転がったりするし幼稚園の先生にもどこかへ行ってしまうと聞いていたので、
多動なのかなと思っていたけれど、全然違うとのことでした。

最後に自閉症のパンフレットを渡していただいて、これだけ相談できる場所があります。
仕事のことや、もし親が先に死んでしまっても、その後のことを相談して引き継いでくれる機関がありますと。
だから最近ありますけど、心中したりしなくても大丈夫ですと、強く言ってくださって、
泣いてしまいそうになりました。

死んでしまいたいと思うことがあると、もちろん表情にも出してませんけど、
来てよかったと思いました。
療育手帳も本当は取得するのも躊躇があったんです。
今じゃなくてもいいんじゃないかと。


保健センターでは、今は担当が替わって今はわりと相談に乗ってくれる方ですが、
前の担当の人や保健師さんは本当あまりいい印象がなく、
気分がよくないことも多くありましたし、本当に相談にどこへいけばと思っていました。

今回障害センターで担当してくださった方は自閉症に詳しくて、
Kのこともおおらかに見てくださって、本当にありがたかったです。

療育手帳は来月交付です。

ここ半年くらいのことはまた詳しく書こうと思います。



今のところ、幼稚園には嫌がることもなく行っているケイ。

現在の課題は、次の週末の運動会。

入園してすぐの運動会は息子みたいなタイプには本当に厳しい。

ずーーーーっとうろうろして園内を探検しているみたいです。

迎えにいくとそんな感じなのでそうだろうとは思っていました。

たまに声だけ聞こえるキーーーッと癇癪を起しているのもおそらく彼。

反抗的な子なので、じっとさせようと先生が抱きとめると、全力で抵抗し逃げるそうです。

ひとときもじっとしていられない。

また困ったことに運動会は小学校と合同なんです。今通っている幼稚園は。

長女に聞いても、かけっこも走って戻ってきたり、朝礼台にのぼったり無茶苦茶みたいです。

「お母さん、おそらく無理だと思います」と先生に言われました。



目の前が真っ暗。

多動なのはわかっていたけど、運動会も出ちゃいけないの??

と思ってしまいとぼとぼ帰り、夫に相談。


そんなことはないだろうと夫。

翌日、運動会に出られないなら練習もお休みした方がいいですか?

と先生にたずねた。内心泣きそうでした。

・・・と、そういう意味ではなかったそうです。


みんなと一緒に並んで参加というのは無理だということ。

離れたところから見る感じになるということだそうです。

それなら良かった。その点は様子をみていればわかっています。

この子にはみんなと並ぶのは難しいです。

みんなと同じようにはできないです;;




長女は運動が非常に苦手なので(私譲りです・・・)、練習で疲れ気味。

先生にも情緒不安定と言われて、私も泣きそうでした。

イベントごとの前には異常に緊張するんですよね。

落ち込んでから気分が上がるのがなかなかできない。

そんなこともあり、発達障害グレーなのかもしれません。

私はそうは思っていなかったんですが、保健所の対応や先生の言い方を聞いていると、

そういうことみたいです。最近気づきました(笑)

でもそれは私もなんですよね。

膝が硬いと言われている娘ですが、私も幼少期あんな感じでした。

というか、今でもあんな感じです。運動神経がことごとくないんです。

運動会ほど嫌いなものはありませんでした。

体育の授業でも、何度も本当に必死に真面目に走っているのに、

ふざけない!と言われたことがそういえば何度かありました。

この運動神経のなさは、私も母から譲り受けたものです(長女の祖母です)。




運動神経を個性ではなく、発達障害が要因のものと考えると、

私は

①超絶運動神経がなくて運動ができない。

それ以外に

②人見知り、人嫌い

 同年代と仲良くなれない、苦手。友達がいない。

 複数で遊べない(一対一でしか遊べない)

 大人とばかり話す。

③勉強はそれなりにできる

 しかし数学が絶望的にできない。


うーん、これを見ていると私自分に発達障害があるとしか思えません。

しかも娘よりずっとひどい。

娘は②はありません。友達と仲良く遊べます。

当時はそういうのがなかったからひっかからなかっただけで、

私は今なら発達障害児なんじゃないでしょうか。


途中から娘と自分の話になってしまいました。


練習にもちゃんとは参加できていないようだし、先生も大変そうなので、

明日は久しぶりに療育に行ってこようかなと思っています。


今日は家のトイレ、一人で行ってうんちができました。

言葉も幼稚園に行き始めてだいぶ増えてきたように思います・・・

会話は成り立ちませんけど。

ほぼ独り言や一方的な話。

あとはひたすら「何がしたい、何が食べたい、何が欲しい」の欲求。

君はいつになったら満たされるんだ?


本当に欲求が満たされるということがないので、それが悩みです。

語彙が増えてくれば変わるのか?

喋れるようになったらなったで、癇癪の代わりに欲しい欲しいばかり・・・。

満たしても満たしても次から次へと欲しいものがでてきて・・・

どこまでがわがままでどこまでが障害なの?って悩みます。

どこまで聞いてあげればいいのでしょうか。

教えて~><


10ヶ月半ほどで本当の前へ進むハイハイ開始。

あっという間にズタタタターーーーという超スピードのハイハイになりました。



1歳、1キロの餅を背負わせましたが、長女は大泣きだったけれども、

この子は平気な顔してハイハイでスタスタ移動し、

大物になるかもなーなどと思っていました。


今思えば本当に何も知らず幸せな日々でしたね。



長女に結構手がかかり、正直ケイの小さいころを今はあまり覚えていません。


長女ひーは、1歳半で歩かず発達相談にかかっていまずが、

少し苦手な部分がある以外はおそらく定型発達の子です。

ただ想像する力が強すぎて、それがメンタル面に影を落としています。

言語面では、歩き始めてからメキメキ発達し、3歳の会話はケイとは比較にならないほど

豊かだったと思います。

3歳のときにずっと話していて夫と話ができないと書いているくらいなので。

長女についてはまたいつか書きたいと思います。



つかまり立ちはいつだったのか覚えていません。

ただ母子手帳に伝い歩きは1歳頃と書いてありました。



母子手帳を見ていると月齢でできることがあまりできていない子だということがよくわかります。

10ヶ月でつかまり立ちできていなかったようです。

コンニチハやバイバイ、1歳ではできなかったようです。

その遅れは今も顕著です。



最初に躓くと、やはり遅れが出やすいんですね・・・・。




ひーは歩いたの1歳8ヶ月ですが、今はだいぶ追いついたように思います・・・。

折り紙を折るなどは、1対1でないと、全体指示でわからないときがあるようです。

どちらにしても、「できる子」ではないようです・・・;;




遺伝もあるかもしれないので自己分析として書くと、

母親は、幼少のころは勉強は「かなりできるほう」の子でした。


小学校のテストはほぼ満点でした。簡単すぎると思い授業を聞いていませんでした。

(嫌な子供ですね)塾も通っていましたが、こちらの方が学校より楽しみでした。

算数は苦手だったけど、勉強した分だけ成績に出るので楽しんでいました。



運動はからきしダメでした。ボール系、かけっこ能力なし。

走り幅跳びに至っては、真面目に取り組んでいたのに教師にふざけるなと言われました。

鬼ごっここおりおに大嫌いでした。まだできたのはなわとびと鉄棒。

サイドクロスと足かけ後ろまわりは得意でした。



手先はわりと器用でした。

絵を描くのと本を読むのが三度の飯より好きでした。外遊びが大嫌いでした。


そして人が好きではありませんでした。特に年齢が近い子が苦手でした。

あまり友達がいませんでしたが、いなくて特に困ると思ったこともありませんでした。

人間観察は好きでしたが、実際に仲良くなったりというのは面倒くさくて嫌いでした。

学生のときの女子は、すぐあの子が好きだの嫌いだので仲間外れにされたりするので、

関わらない方がいいと思っていました。それゆえ低学年のときは男子と帰っていました。

中学年以降は下校途中に井戸端会議的に女の子たちが話し出すのを聞くのが面倒で、

ひそかに抜けて帰っていました。


今でも友達は多くないですが、特にさみしさや必要性を感じたことがありません。


書いていると自分は変わった子だったなと思います。


漠然とした生きづらさ・・・というよりは自分の生きている意味のなさ(なぜ生きていなきゃならないのか)

は感じてきましたので、息子のことがあってから私も発達障害なのかなと思う時があります。




父親は運動が非常に得意で、勉強もまずまずできていました。

万能選手なタイプでした。性格も温厚で人に好かれていました。

私とは真逆な人気者タイプです。神経質な部分もありますが。



両親に共通しているのは、非常に親に従順で、空気を人一倍読み、

人に気を遣いながら生きてきたタイプということです。

長女は完全に引き継いでおり、このタイプです。



ケイはとても自己中心的で、攻撃的。主張が強く、頑固です。

誰にも似ていない。これは発達障害からくるものなのでしょうか。


少し長くなりました。

遺伝的感想については、また今度書きたいと思います。





歩いたのは1歳半です。

見ていてどう見ても歩けそうな雰囲気だったのですが、

決して歩こうとはしませんでした。

手を引っ張ってあるかせようとすると、しゃがんでしまってダメでした。

他の子は親が引っ張ってあげるとすいすい歩くのに、なぜうちの子はダメなんだろうと、

思っていました。こだわりが強かったんですね。今となるとあーやっぱりと納得します。

手押し車を押させようとしても、嫌がって持とうとはしませんでした。



そして1歳半検診。

積み木は上手につめましたが、どちらかといえば破壊活動を好むタイプでした。

遊び方が乱暴というか、積んだものを破壊したり、

たくさんおもちゃが入っている箱を逆さにして全部を乱暴に出して遊んだりが好きでした。

肝心の「指差し」なし。発達相談を受けることになりました。

娘も受けていたので、まあこんなものだろうと思っていました。



言葉は・・・どうだったのか。

なんごを私が何か言っているというように勘違いしていたかもしれません。

娘も5つくらいしか言えなかったのでそんなに気にしていませんでした。


ただ、ひとつ明確に初語だと言えたのは、

「ダイハツ」でした。

多分。

「ダイハツ」か「ホンダ」かどっちかだったと思います。すごいよね。

車がとにかく好きでした。教えてないのに。

上の子はお姫様が好きな子でしたので、車は一台もありませんでしたが、

教えていないのに、車に執着をするので、トミカがどんどん増えていきました。

長男ケイが生まれたのは長女が2歳の時です。

39週、3000グラムを超えて生まれました。

産院について2時間で出産。非常に安産でした。

産後の経過もよく、先天性の異常も検査の結果なかったです。

母乳で育てていましたが、体重もよく増え健康でした。


長女に手のかかる時期でもあったので、この子が小さいころは明確には覚えていません。

けれど、抱っこしていないとひたすら泣き喚く長女に比べ、そこまで泣かなかったので、

おとなしく育てやすい子だなと感じる半年間でした。


首据わり4ヶ月、寝返り5か月、腰据わり7か月。

このあたりからケイの成長は遅れていきます。

ただあやせば笑う子でしたし、目も合うので、特に何か問題を感じたことはありません。


なんごも非常に豊かで、よくしゃべるので、話すの早いんじゃないかと思っていたくらいです。

なんごというのは、直接口語に発展するわけでは必ずしもないことを、

このときの私は知る由もありませんでした。

10ヶ月でハイハイできるようになるまでは、

座った状態から前に手を伸ばし、後ろずりさがる後ろずりばいのようなものをしていました。

それで上手に方向転換もしていました。



10ヶ月検診でハイハイで興味のあるものを取りにいかず要観察とチェックされています。


母が10ヶ月のころ、声に対する反応が薄いため、耳が聞こえにくいんじゃないかと、

思ったそうです。


このころからある種の、「こだわり」があったのだなと、今は思っています。

自分のやりたいこと以外はしないという彼のこだわり。

呼ばれても興味がなければ振り向かないし、

おもちゃも、興味がなければ取りに行かない。

立たせてみようとすると足を一切突っ張らない。


何かをさせられるということに対する絶対的な拒絶。


彼の中には生まれたときから何かがあったのでしょうね。


30代前半の主婦です。

年長の娘と年少の息子、0歳の息子の3人の子供がいます。


ちょっとデリケートでとても気の細やかな優しい長女。

人のことなどまったく気にせず、好き勝手。自分中心に世界が回る年少の長男。

(彼はおそらく発達障害です)

かーちゃんいないと泣き喚く最盛期の0歳次男。


同じ腹から生まれたのに、性格のまったく違う兄弟を育てながら、

子供たちと一緒に成長するかーちゃんの思いを綴っていきたいと思っています。