ケイトは生後五ヶ月で初めての発作をおこし、それ以来、入浴で、発熱で、気温で、
興奮で、発作をおこし、救急搬送され
入退院を繰り返していました。

ある夏の日、
点滴につながれて眠るケイトを
見つめていると、 
子供たちの笑い声が聞こえました。
病室の窓から、外に目をやると、
真っ黒に日焼けした子供たちが、
自転車で通りすぎてゆく姿が
目に入りました。

眩しかったです。
普通の夏の日の光景が、
私には、すごく遠い世界に見えました。

暑い外で遊ぶことも
真っ黒に日焼けさせることも
自転車に一人で乗れることも
入院せずに生活できることも
全てが遠い遠い憧れの世界だったからです。

そんなケイトが
一日、一ヶ月、一年、
少しずつ、少しずつ
制限がとれてゆき、
できることが増え、
憧れだった世界が、日常に変わりました。

毎日生き生きと顔を輝かせ、
自信に満ちたケイトの顔。
憧れが強かった分、輝く毎日でした。

けれど、たった一回の発作が
ケイトから全てを奪いました。 

辛かったです。
苦しいケイトの姿をみることが。

ケイトは、生まれ変わって、
元気な身体でやり直させてもらった方が
幸せなんじゃないか。
脳症後、まだまだ命の炎が
小さいケイトをみていると
一番、生きることを望んでやらねば
ならない母親である私なのに、
そんなことを考えてしまいました。

今、生きているのは、
私や家族の為なんじゃないか?
私たちが悲しむから、

だから、

誰のこともわからない、
何も見えない、聞こえない、
暗闇をたった一人で
恐怖に怯え、

一日中、眠れず座れず
動き回り、
身体はきっと
へとへとに疲れて、、

そんな苦しい毎日なのに 
生きることを頑張ってるの?

生きてこそ、だけど、
生きてこそ、と思えなくなっていました。
もう、苦しみから解放させてやりたいと。



けれど、そこからまた
一秒、一分、一時間、一日、一ヶ月
少しずつ少しずつ
生きやすくなってきたケイトを
見守っているうちに、

ケイトは、やっぱり
誰の為でもなく、
ただただ生きたかっただけだったのかな、

ただただ私たち家族とまだまだ
時を共にしたかったのかな、
まだまだ美味しいもの食べたいし
楽しいことしたいし
笑いたいし、泣きたいし、
ただ日常を過ごしたかったのかな、

そんな風に思うようになりました。


天国へ旅だったお友達も
生きたかったから
この世界が大好きだから、

だから、
何時間も苦しい発作と
立ち向かっていたのでは。

たった数分でも
永遠に感じる発作を
小さな身体で。


もしも、
ブコラムが承認されていたら?
手元にあったら?

考えずにはいられません。

その叶わなかった未来が
神様ではなく、
人間の裁量にかかっているのなら
尚更に、考えずにはいられません。


どうか、ブコラム早期承認要望の
電子署名にご協力をお願い致します。↓