仙台坂(麻布十番-広尾)
坂の南側(現在の韓国大使館側)に松平陸奥守(仙台藩伊達家)の下屋敷があったためついた名とのこと。
だらだらと長く、高級外車の往来も激しい。韓国大使館の警備員の眼が怖いけど、素敵な坂道。★★

 

檜坂(六本木-赤坂)
江戸時代には、檜の木が多いため檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸に添う坂であった。ミッドタウンと赤坂の間の坂道。どことなく江戸情緒を感じる。★★

 

暗闇坂 (麻布十番-六本木)
樹木が暗いほどおい茂った坂であったという。以前の宮村(町)を通るため宮村坂ともいった。
名前もセクシー。
確かに街路灯が無ければ怖いかも。★★

 

饂飩坂 (六本木)
天明年間末(1788)頃まで松屋伊兵衛といううどん屋があったためうどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうこともある。直ぐ下で交わう芋洗坂と共に六本木の坂道の言わずと知れた顔。超短いけど★★★

 

七面坂 (麻布十番)
坂の東側にあった本善寺(戦後五反田へ移転)に七面大明神の木像が安置されていたためにできた名称である。
ザブジュウの目立たない裏道。ナダラカで歩き易い短い坂道。
★★

永井坂(飯倉)

江戸時代から明治初期にかけて、この付近の地を芝永井町といったことからこの名が付いた。
坂上の333を最も楽しめる坂道★★★

 

雁木坂(飯倉)
階段になった坂を一般に雁木坂というが、敷石が直角(※)に組まれていたからともいい、当て字で岩岐坂とも書く。飯倉交差点のすぐ裏手にこんな坂があるとは!
★★★

 

狸穴坂 (麻布狸穴町)
まみとは雌タヌキ・ムササビまたはアナグマの類で昔その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。ここを通れば皆同じ穴の貉!★★★

 

鼠坂 (麻布狸穴町)
細長く狭い道を江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあった。一名鼬(いたち)坂で上は植木坂につながる。由来が定かではない坂道で、一番名前と坂の雰囲気が合致する。★★

 

植木坂 (麻布永坂町)
この付近に植木屋があり菊人形を始めたという。外苑東通りからおりる所という説もある。
何とも複雑な坂道。もう一度素で行けと言われても迷子になるかも。★

 

永坂 (麻布永坂町)
麻布台から十番へ下る長い坂であったためにいう。長坂氏が住んでいたともいうが、その確証はえられていない。
永坂更科の名前もきっとこの坂なんだろうネ。
★★

 

於多福坂
坂の傾斜が途中でいったんゆるやかになってまた下ったので、顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられた。
由来を知ってから行ったので、1往復半しちゃった。
何かホッコリする坂道。★★★
 

 

 

鳥居坂
江戸時代なかばまで坂の東側に大名鳥居家の屋敷があった。元禄年間(一六八八~一七〇三)ごろ開かれた道である。ホントに急なんだよ!歩きたくないけど眺めはイイ坂道。★★
 

 

霊南坂
江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつしか嶺が霊となった。百恵ちゃぁ~~ん!警備厳しくアメ大使館寄りは車道ブッチしなきゃ。★★★
 

 

行合坂
双方から行合う道の坂であるため、行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかではない。六本木1丁目方面へも飯倉片町方面へも下りと上りの坂道。★★★
 

 

落合坂
我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人が、行きあう位置にあるので、落合坂と呼んだ。位置に別の説もある。だらだらと長く緩い坂道。のほほ~んとできますね!★
 

 

芋洗坂
正しくは、麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以後にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。
親しみ易さに★★★

 

丹波谷坂
元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初期この坂を開き、谷の名から坂の名称とした
  路地裏の急坂って感じだけど雰囲気あり★★

 

寄席坂
坂の途中の北側に明治から大正三年にかけて福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになった
六本木通りから見えてチョイ趣に欠ける★

 

なだれ坂
流華・奈大礼・長華などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。
江戸末期はこんな場所で辻斬りがあったんじゃないか?★

 

桜坂
明治中期に新しく作られた道筋で坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからその名が付いた。
散歩道としては秀逸!★★★

 

道源寺坂
江戸時代のはじめから坂の上に道源寺があった。その寺名にちなんで道源寺坂または道源坂と呼んでいた。
知る人ぞ知る隠れた名坂★★★

 

スペイン坂
六本木通りからスペイン大使館につながることから「スペイン坂」と名付けられた。
 

良い坂道なのでせめて西班牙と命名してくれたらなぁ!★★

 

日向坂
江戸時代前期 南側に 徳山藩毛利日向守の屋敷があった。袖振坂ともいった。由来は不明である。誤って ひなた坂 とも呼んだ。
三田の山登り★★

 

神明坂
天祖神社を 元神明 というところから 神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが,綱の手引坂との混同があるらしい。
武家屋敷の中の裏の坂道★★

綱の手引坂
平安時代の勇士 源頼光,四天王の一人 渡辺綱 にまつわる名称でまた姥坂(うばざか)とも呼んだが 馬場坂の説もある。
雰囲気あるんですよ!