「八つ当たり」は卑怯である。 | 人生はサウナ

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「八つ当たり」は卑怯な行為だ。
私も過去何度もしてしまった。だから猛省せねばならない。本当に。
では、なぜ「八つ当たり」は卑怯なのか?
「八つ当たり」は心理学では「異指向攻撃」という。何かに「怒り」をぶつけ、その「怒り」を解消することである。人間だから怒るのはしょうがない。 
問題は「怒り」じゃない。「怒り」の矛先だ。
「八つ当たり」の場合、「怒り」の矛先は周到に計算されていることが多い。だから、「八つ当たり」はタチが悪いし、卑怯なのである。



周到な計算とは「甘え」である。
それは「コイツなら『八つ当たり』しても平気だろう」というある種の信頼というか確信だ。
人は「八つ当たり」の相手を確実に選んでいる。
その相手とは絶対に反撃してこないだろう人。つまり、自分より弱い相手、あるいは「甘え」を許してもらえる相手だけを選ぶのである。だって、自分より強かったり、「甘え」を許さない相手だったら、反撃されてあえなく「撃沈!」ってな結末になってしまうから。
ここにイヤらしい計算がある。
だから、「八つ当たり」は卑怯なのである。
2009年の「傘男」の事件なんてその典型だ。
被害者は女性ばかり2人。なぜ屈強なマッチョじゃなかったのか?
そこに計算があるからである。
というわけで、ふだん深刻に考えず、ついやってしまう「八つ当たり」。
これは卑怯な行為だ。
社会問題になっている、イジメや幼児虐待、DV・・・etc
「周到な計算でもって相手を確実に選んでいる」という点では、どれもこれも根っ子は「八つ当たり」と同じだと思う。
「八つ当たり」という言葉のイメージは軽い。軽すぎる。
でも、もっともっと自覚しなきゃダメなようだ。その行為の意味するものを。
反省である。自戒の念を込めてそう思うのでした。


STOP!八つ当たり