綴ってもね。
なにも解決されないし、普段つぶやいている様にもっとシンプルに、素直にやっていくのが人間らしく、遠回りの様で実は一番希望に近い結果を招いてくれそうなので、無理矢理にでもそう書くことにしました。

何事も環境なんですよね。
試験前に無駄に整理しだす様な感覚も、逃げ道としても捉えられるけど、それを終えた後の向き合うべきものに対して逃げ場の無さを無理矢理に作り込むイイ習慣じゃないですか。
キレイにもなって一石二鳥、その試験結果がどうあるかは能力次第なのかもしれないけれどw、ぶつくさいいながら後回しにしたり、手を付けなかったりするよりはよっぽどいい。
自分のあるべき方向に、周りから固めてしまう方法は、その気付けなかった”あるべき方向”をも指し示してくれるモノになるような気もしてます。

なんやかんや言い聞かせてもね。心は心にウソつけないもんなんだと痛感。
心が大切にしたいものは、大切にしきることが心には一番いい。
掛詞の様で、素直ってそんなことなんだと思います。

順序良く、前に進むことだけを思い切ろう。
そんなとこです。
この2月ほどは非常に時間感覚が長くて、長くて。。。
楽しい時は時間はあれだけ早く過ぎるのにね。
苦しい時、過ぎてほしいと思う時間程ゆっくりとなるのは、人間ホントいただけない機能です。

ただ、こうやってブログを書こうと思い立つことも大分少なくなってきた機会でもあるので、せつせつと。こういう時だから自分を見つめ直す必要があると解釈し直して、タイピングに勤しんでみます。

環境の変化があまりに変わりすぎたために、順応すべきこと受け入れられないことの狭間で、精神的にはものすごくツラい日々を送る今日この頃ですが、ひとつ完全に欠落したものを発見しました。

それ故に、カラダ的にも非常にツラい影響が出てきてはいるのだけど、人間吸収する分出さなきゃいけないことも同じくらいの量があるんですよね。
それを受け入れるキャッチボール相手が両方で失われたことが、多分この今の大嫌いな状態の切り株的な部分。
はけ口としてとかそんな雑な意味でなくて、なにか「共感」という側面からひとつご無沙汰な現状が、いろんな歯車を軋ませている。

こればかりはコミュニケーションが必要なんですよね。何よりも人のみが解決出来ること。
これまでも一人で生きてきたつもりも毛頭ないけれど、それでも今ほどに人を要したことがないくらいに、「共感」を渇望しています。
独りよがりだよね。大っ嫌いだけど。
人間、人に頼ることをしないと生きていけないことも、もう一度認識しなおさないと、嫌いな人種になるそれ以上に、ありもしない結果を招いてしまうから。

下手に思い込まずに、あえて頼らせてください、いろんな人。
少しばかり考えることがあったので、ブログはお休み。
原点に立ち戻る機会と、これほどまでに時間を遅く感じている自分に驚きと言うか落胆と言うか。
早くすぎてほしいと思うことは、やっぱりなかなか進まないです。長く続いてほしいと思うことは光陰矢の如しなのにね。

あらゆる局面からの考えを巡らせました。
考えに考え抜いて、導いた答えはとってもシンプルなもの。

「素直になること」

自分がこれまでに概念の様に信じていたものは、多分本音の塊だったと思うんです。
生かされるでなく、生きる道を選んで前を向くこと。自分に正直に、未来に人に誠実に、信じたい道を生きることが、多分人の間に置かれている人生の意義に近いものだと感じてます。

いろんなことに目を向けては、俯瞰してみたり。ただただひとつの思いに無意識にもなにかを重ねてしまっている節は否めないけれど、いろんなシチュエーションに置く作業を今も続けています。
見えずにいた部分に後悔がわいてしまうような、そんなお粗末なことにはならないように。
若干のビビリを自覚しながら、こつこつと本来の得意分野を最大活用して、今日に至ってます。

不器用なんだな~と改めて。


さ、犠牲を犠牲とさせないための整理をする、そんな週間に突入です。
好きだからこだわりが生まれる。
そのこだわり故に、動きづらくなる。
こだわりがないから、なんでも言える。

「興味が無いことを武器にする」と言う、モノを送る側の発言としては、受け手側にとっては冒涜としか思えない、個人的には倫理的に許し難い振る舞い。
しかしながらすごく納得がいった。何故に自分が理解出来なかったのかが。

自分自身が好きなものと社会に準えるそれが相違ある場合、ある種覚悟しなければいけない視線があるんだと思います。自分で「変人」を気取るあまりに一周回ってただの人以下になるケースは実は多くある。
でも、それを「”普通”が間違っている」とする人を目の前に、自分に出来ることは何も無い。
残酷なようだけれど、社会というルールを一緒に踏み外してあげる義理もないので。


「スリーアウト交代?なんでフォーアウトにしないの?」なんて。
そりゃ話も振られない訳だよ。
表現ってやっぱいいですよね。
言葉も表情も全部ひっくるめて、アウトプットされるものってのは、
小気味いいというか、その波動だけで感動を呼び起こす様な気もします。

どのレベルを客前にだしていいものか。
そのさじ加減が、多分各々がもつクリエイティブの深さだと思うんです。
故に、人が多く関わるもの、そのアウトプットで浅いものはあまり見ないし、
逆にその浅い質からかかる人数が推測出来たりもします。

素晴らしいクリエイティブってのは、実際は少人数で、多くが関わっているように魅せられること。
これもまた物差しってんですかねー。

一人と手数を高括るようじゃ、客前に出すことはおろか、アウトプットするも正直甚だしい。
手前の人間を納得させずに、大勢を唸らせることは可能性としてもほぼゼロに近いことを、
経験として認めていかないと、成長はないんですよね。

ズタズタな体でもって才能を超える様なね。
もっともっといろんなものを見て、もっともっと変わっていきたいなーと久しぶりに思う週末になりました。