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5月9日「今日のダーリン」より。

なんだか、たくさんの人の、とても多くの時間が、「正解」を探すことに費やされているように思えてなりません。
いや、遠慮なく言えば、「正解」探しばかりで人生終っちゃう人ばかりじゃない?

「正解」じゃないことを選ぶと、損? 悪? 迷惑?
「正解」病ってのが、いまの時代病のような気がする。





・・・たしかにそうだよな。。。と、やっぱり感心。

生活の中、正解であるべきものってのはなんなんでしょね?
比較や信用の投げ合いが「正解」を「求めるべきもの」として成り立ちがちだけれど、
その正解があるからといって、その先はどうだったんだろう。

おそらくにして、今はじまったことじゃないんです。
この「正解」の奪い合いが、歴史を象ってきたことも事実だし、
それなくしての競争の原理は生まれ得ないかもしれない。

でも、個人の視点に立って、「損をしたくない」という具合と「正解」を選ぶというそれは、必ずしも補完し合う関係にはないような気がします。
世の中的な正解と、個人としての本意が同じではないのと一緒。求められるべき状況に「正解」でなく「答え」があるんでしょうね。

答えなんて間違っててもいいでしょ。
「正解」ばかりを突き進んで求めなくとも、それを正解とする努力の方が、よっぽど人間的で、よっぽど魅力的に映るもんじゃないかしらねー。

その時、その場のその表情が、おそらくにして最大のヒントです:)