ま、具体的なことは避けて話しますけれど、人にゃ迷惑はかけてもいいけど、悲しませちゃいかんよなって思います。

人への迷惑って、なにかしら違うカタチで返せるものだと思うんです。どうしても頼らなくちゃいけないことや、結果として避けられない波及を後々フォローすることは、多分がんばれば出来るコト。
でも、人へ与える悲しみへのフォローって後になったところで返せないものが多いよなぁ。。。と思うんです。

身の回りの最近あった話からの感覚なので、遠い記憶や暗意を込めたものではけしてないのだけれど、悲しみを喜びで埋められるかと言えば、ちょっと違うと思うんです。
対極の様で全く違う事象。的確にフォローしあうような相互関係ではない"感情的な側面"であって、理性的に片付くものではけしてないんですよね。

逆に、現代社会が理性上のものである以上、「悲しませるくらいなら迷惑をかけちゃおう、頼っちゃおう」っていうのは、受ける側の立場に立ってみては、悲しみとは逆に少し嬉しいモノだと思うんです。

全てが全てとは言わないけどさ。恩を着せられる故~だとかそういう嫌らしい話ではなくて、それが迷惑を通り越して悲しみに転ぶくらいなら、手を差し伸べる方が受け手側からしてもスッキリする。
頼られる嬉しさと、人を助けられる機会。人が本来、コミュニケーションを欲している、その本能がそこにあるような気さえします。

でも多分、大きく捉えて「人への気遣い」ってそういうところに基本があるんだよなぁ。
大きな落胆が悲しみへと転化してしまう様に、少なくとも人を悲しませないコトを総括的に考えられていると、世の中の物事って基準が取れて、スムーズなものになるんだと思います。

どんどん迷惑かけていくぞー!とは言わないけれどw、頼るべきところを頼る事を恥と思わない事に、ポジティブな光明を見出せるような気がしてます。

さ、明日からは休みでないぞ?
喜ばせられなくとも、まず、悲しませない日常を送れる様に、心から精進します。