と呼びかけてドキッとする世の中であれば、
このフレーズは効くコピーということ。

メール文化だとか、どうしてもコミュニケーションの文化の変遷が
よろしくない方向に向かっているとは感じているのだけれども、
何かそれに対して警鐘を鳴らすような確固たる要因が見つかっていないんですよね。

文字を通すか、声を通すかでまったく違うコミュニケーション手法であって、
しかしながら成立することは成立することとしてもだ。
もっと表情を交わしたり、声を浮かべたりした時のコミュニケーションの本意を
人間としては見直して、掘り下げるべきなんでしょうよ。
と、老獪の方々がこのところ思っていた様に、伝書鳩とはいいません。
まずは「電話をしよう」ってところからスタートしてみるのも
少しばかり懐かしく、嬉しく、思えるところに着地出来るんじゃないかなぁとさ。
今の時代には思う訳です。

タブレットにしてもテレビ電話にしても、某企業のCMでは人に置き換えられている訳じゃない?
擬人化だなんてそんなまどろっこしいことしなくても、もっとダイレクトに
「交わそうよ」と呼びかけるスタンスが、潔いようで、なんだかステキなことを引っ張ってくるような気がするなぁと感じ始めました。

気のせいですかね。