仕事と遊びっていう相対する(?)ことも世の中にはあるっちゃあるんですが、
基本的に「公→私」なんて持っていき方をしないクチでして。

公がどうだからといって、私に影響がなるだけないようにはしています。
だってそうでしょう?公なんてやりたくてやってる、言いたくて言ってる
なんてことの方が少ないんですから。
それぞれの私には無い立場や責任が公にはあって、
それでいて生じる意識の衝動であったり、判断であったりするんですものさ。
根本がそんなところにある以上は、私において真に受け止める方が
滑稽ってもんじゃないっすかね?

んだもんだから、仕事の愚痴に華を咲かすような私の時間ってそんな好きじゃないんですよね。
そりゃ自分が作った会社なら分からなくはないけれど、
たかだか他人の会社のあれやこれやを論議することに、
あまり生産性を見出していないので。

もっとも共通の話題がそこにある以上は抜け出せなくて仕方が無いにしても、
それが続く限りは関係としてまだまだ深くはない証なんですよね。


一方、「私→公」という持っていき方はしちゃいます。えぇ。

どうしても私の部分での素行におけるそれは、公におけるそれに対しても
同じ様に捉えてしまいがち。
個人としては、私の部分から目に余る人間に、
公の何かを任せる度量(仮)はなかなか持てません。
公からは想像もつかない私をもつ逆のパターンの場合は
手放しで尊敬するんですけどね。

という、一見して相対する物に対しての姿勢が統一してないんだな~なんてことを、
ぼんやりと考えていたら、車のライトつけるの忘れてた!アブネー!!