あらゆる行動には必ず目的が必要になる。
その目的が利益や数字で無い場合には、尚更、目的は明確にされなくてはいけない。

何故なのかを考える。
今の環境には、それがことごとく抜けている。


病気になったとして、その原因究明を疎かにする医者がいるんだろうか?
風邪に対して、絆創膏を処方するような行動が、はたして「治療」と扱われるのだろうか?

都度、どれだけ進言しても聞く耳すら持たなかったそれに対して、
判断すら許されないそれに対して、今更責任を負う気はまるで無い。
むしろ、いわれが無い。


自分が必ずしも正しいとは言わない。
けれど、絆創膏を処方するようなアタマを糾弾するくらいの現実的な立ち位置は、
保持していくつもりです。

目的はもちろん、そんな風邪を治すため。
各部位の自己治癒の意識を取り戻させるため。