強制である場合は別として、今回のロンドンテロのように強制下の場合には起こりえない計画的な自爆が実存することが確認されると、自爆の際の意識がどういった精神下におかれているのかが知りたくなる。

信じられないって話ではもうないのだから、その形成過程までとはいわなくとも、どういったものであるのかくらいはを把握しておきたいところ。。。


日常に介在する身の回りの危険指数を逆転するほどの死と直面しながら、目から入る情報は常日頃生活しているものとなんら変わりなく。。。既に開始されている計画上、他のメンバーも気になりながら、爆発物を運んでいる実感を「ただの重み」として捕らえきり。。。尚、変わらない眼前の景色。この国の経済の行く末を気にするようにため息をつくサラリーマンや、仲のよさそうな老夫婦が目の前に座り談笑する姿も自分が背負う「全て」によって終焉を招く。終焉を招く理由はもう既に納得している。今考えることではない。

しきりに時計を気にするも、それは計画実行のタイミングを知らせるものでしか当の自分にはなく、最早自らの死を天秤にかけるコトなどは、既に計画した段階から終わっているその状況下。何かしたり無いこと、思い残すことなんて思い出す時間すらない・・・いや、わずらわしいだけなのかもしれない。本当にそれくらい楽な構え方で「その時」は訪れ、自動であれ手動であれ、自らの死を犠牲に行動を興す。


それくらいでないと実行はおろか、計画遂行はまずありえないのかも。

妄信と怠惰、そして無知を兼ね備える人間でしかなしえないこの荒行を、首謀するそのカリスマ的な存在にこそ釘を刺すべきであり、実行犯(現場)をどれだけ抑えても、一向に納まるはずが無い。

故、荷物検査等、苦肉の策が講じられてはいるが、元栓締めることなく後処理にまわっているようなもので人々の安心はまず得られるわけもなく。。。首謀者の割り出しと、そういった意思の根絶に力を注ぐべき話なのかもしれない。。。