「そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」(1:20/新共同訳)

 

 パウロのこの言葉は、クリスチャンにとって願っているものの一つであることは間違いないと思う。自分自身を通して、公に、キリストがあがめられることは、私たちクリスチャンにとって願い、希望することでしょう。私を通してキリストがあがめられるのなら、それは非常に喜ばしいことであり、感謝なことである。

 

 神様、私自身を通して、あなたがあがめられますように。私を用いてください。