k4sabianのブログ

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日々思ったこと、考えたこと、感じたこと、気になったことなどとりとめのないことを、さらさらと書いてましたので、ブログにしてみました。引用、剽窃たまにあります。
そしてこのブログの利用方法いまいち分かってません。

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四月二十九日
私は我々の生活に辟易している。うんざりだ。退屈で憂鬱だ。何が残る。何もないではないか。徒労。遠い感情にせよ、近い感情にせよ同じことだ。繰り返しだ。私は何を考え、何を感じ、何を言えばいい。少なくとも今私が死ぬのと同時に死んでくれるものはない。皆必死の思いで回ってる。狂気だ。耐えられない。単純に私が、私という草がこの世界に合わない、適合しないというだけかもしれない。そう考える方が自然だ。何故なら大多数の君達は今日も平気の顔で週末や、恋人や、家族や、友人を思い歩いているからだ。私には出来ない。出来るはずがない。何回言えばいい。わからない。

五月一日
敗けた馬券。安い酒。公衆の広場。画一的な敗者達。皆同じようなことを言っている。私のように。どうなりたいのか、分からない。気分は良くない。欠伸のでる悪夢。コップ一杯。溢れたものは感じられない。金持ちも貧民も同じだ。コップ一杯だけなのだ。

五月十二日
悔いがないかと言われると、薄いカーテンの後ろに何かが柔らかく当たっているような気になるが、多分私に悔いは無い。何故なら私は今まで悔いが残る程積極的に物事に取り組んだことがないからだ。

五月十四日
何を言えばいい。何を思えばいい。
何をすればいい。何を見ればいい。
幸福が欲しかった。

五月十五日
面倒だ。息をするのも。

五月十六日
死を想っても滲んでぼやけてよく見えない。
雨の日の窓のように。向こうはいつもはっきりしない。魂が失われていくのもこんな感覚なのだろうか。

五月十七日
近づき過ぎると見にくく、離れば鮮明に。
モザイク画のように。今はよくわかってる。
明日はわからない。そんなものだろう。

五月十八日
無駄な時間がまた次の無駄な時間を助け、また我々に無駄な明日は来る。

午後
喫茶店にて友人と語らう。音楽への愛を再認識。音楽は楽しいものだった。僕等の最高の遊びだった。忘れていたものだった。そうだ。私は音楽が楽しいから、好きだからやっていたんだ。

五月二十日
私の特技は待つことかも知れない。

五月二十一日
やりたいことがない。見たいものがない。
行きたい場所がない。会いたい人もいない。
私は満ち足りているのか。
それとも何か欠落しているのか。
相変わらずわからない。
落伍者の精神。勝って行く人を見て想う。

五月二十二日
雨の日は特別街はいつもより輝いて見える。
我々にも同じことが言えるだろうか。

五月二十六日
今の私は人形と何も変わりはしない。
熱が持てない。
糸が絡まって神様も私を上手く操れないでいる。神様違うよ、そんなに引っ張ったら首が千切れちまう。

私も他の者同様若い頃は私自身星だと思っていた。いや、思いは重なり、強く、更に増しあまつさえ太陽だと思った事さえあった。しかし、歳をとり、段々と陽が昇るように、世の中が見え始め、私はこないだ初めて私を見た。私は星ではなかった。他の多くの者同様私は月だったのだ。燦々と輝く才能豊かな他者がいてはじめて私は輝けるのだ。私は傀儡。私は傀儡。ふしつまろびつ無駄の日々。私は私の中に光を探しいた。長く、本当に長く。私は月だ。盲目の月。無機質の塊。人形。壊れた、穴の空いた人形。誰も此処には居やしない。少なくとも、まともな人間は。此処はごみ溜め。夢の終わり。ああ、太陽はなんて輝かしいのだろう。憎いほど。千切りたくなるほど。今日も木の葉の後ろに夢を映している。

六月一日
旧友と話す。思い出話は尽きることはなかった。あの頃は私のことを不幸だと思っていたが、今振り返ればそうでもなかったのかも知れない。そして、それは多分今日にも言えることだろう。

六月二日
日々を、月を、年を重ね我々の魂は洗練されていくのだろうか。否。三つ子の魂百まで。殆どは近道を見つけるだけである。行き着くのも、見るものも、感じることも同じである。

六月六日
街はすっかり空っぽで、

六月十日
過ぎて行く雲。飛んでいく鳥。
駅に居る人々皆行く場所も帰る場所もある。
私は何処で何を待て待てばいい。
私は何処で何をすればいい。

六月二十七日
自殺は最善の処世術だ。
間違えない。恐ろしくもない。
唯一の救い。唯一の灯り。
真っ暗な夜の月。私の人生は静かになる。
玲瓏たる月夜に一人立っている。
亡霊達が懐かしい唄を歌っている。
多分もうすぐ。もうすぐ終わる。
分かっている。少なくともそのつもりだ。

八月三日
私達が持ついくつかの結末は
どれもくだらなく、また、悲しく、等しく醜いものである。

誰だって好きになれる
その逆もまた然り
ひものようなもので私達は
長い夢を見る
足りなくっていくのだ
眩しいのは暗いのと同じことだ。
しかし、やはりそこにしか我々の幸せは
ないだろう。
眠りの中にこそ救いは有る

雪の中の煙草のように私は自らの熱で冷めていく。いや、或いは泣いているのかも知れない。このあたたかい世界に。私はは泣いているのかも知れない。

片恋の相手は去り、兄弟が死に
皆知らない人になっていく
まるで、自分の体が空洞になったかのように
感じる。人は管とはよく言ったものだ。
愛も憎しみも悲しみも怒りも喜びも何もかも
いつかは去る。
決して止まることはない。
排泄のように。
食えば出ていく。
そしてまた忘れるから食う。
なんて長い一瞬だろう。

僕はまるで君のぬいぐるみになった気分だよ
君は僕を抱きしめられるけど
僕は君を抱きしめられない
君は僕に色々な話をするけど
僕にそれは聞こえない
そして夜またあの暗い箱の中
ありがとうお休みなさい。
なんて暗い夜なのだろう。

人生はいつも不条理で不幸で不愉快で不自由で不毛で不浄で不平等で不可思議なものだ。
また、どちらかと言えば不要だ。

夢にしては長く、人生にしては短く、
夜にしては眩しく、朝にしては暗い、
日々だった。

安いビールに酔った私の心は世界中の枯れ果てたクリスマスツリーより悲しい。

私も皆もまだ迷いの中
けれど皆手を合わせて目を瞑るものだから
余計迷ってぐるぐる回ってる。
けれど、その中の誰も迷っていることを憶えていない。だから、あんなに眩しい太陽を見れるのだけど。

余りに救いは少なく、迷ってばかりである。

一つのことを好きで居続けることもまた一つの才能である。


私はただうろついているだけ。8割方意味は無い。何かを探してるわけでも、誰かに会いに行くわけでもない。ただうろついているだけ。

思考も取り戻し、手足も繋がり始めた。
じきに瞼も開くだろう。
その時我々にどんな絵が描けるかは私を含め誰にもわからない。けれど、だからこそ私は、我々はペンをとるのだ。そこにこそ人生の喜びは在る。

八月八日
全ての終わり。全ての始まり。
溶けた蝋はすすになり、視界を暗くする。
明日を見るためにあった灯りなのに。

片恋も無くす。それは彼女が私を必要としなかったからと、私に彼女が必要でなくなったからだ。何とも寂しい結末。誰の上にも同じ結末があるのだろうか。今は幾つか有るはずの宇宙に夢を移すだけ。眠りの中で涙。

私の骨も血も涙も夢もバラバラに溶けていくのだろう。ただ、魂なるものが有るのならばそれは煙草のフィルターのように動けずともそこに残るのだろうか。

これは私が死ぬまでの話。
退屈な者には退屈だろう。
もう一度言う。
これは私が死ぬまでの話。
死ぬまでの溜息。

私は私に有る音楽的才能や感覚を他の天才達と比べても何ら遜色ないと今でもまだ思っている。ただ私は他の天才達と比べて目が悪かった。また、偶然にも恵まれなかった。

天国は有るのかも知れないし、無いのかも知れない。地獄と同じように。しかし、我々の世界の如何に地獄的なものか、これ以上の憂鬱、辛苦、飢え、渇き有るのだろうか。亦、我々の感覚はコップ一杯。どんなに苦しくとも、辛くとも、悲しくとも、コップ一杯。
溢れれば感じられない。

死。終わり。

嘘の中に語られる真実に初めて出会う。
いや、今までにもあったのかも知れないが、これ程はっきりとその輪郭を見たのは初めてである。
或る女の子との会話にて。

虚仮、虚飾、虚栄、嘘、欺瞞。

八月二十六日
音楽的に死に、人間としても死につつある私に有るのは痛みばかり。
退屈の痛み。空虚の痛み。孤独の痛み。
いや、孤独は贈り物だったか。
ブコウスキーはそう言っていた。

八月二十七日
苦役から逃れられると思うと、少しは気も晴れる。迷惑?どうでもいい。生きている限り大なり小なり誰かに迷惑はかけているのだから。いや、死んでもか。まあどうでもいい。
一日からは賭博の日々。かけるリスクは労働の対価。彼等の節穴であることを祈ろう。

目を閉じて開くものは何だ。

八月二十八日
そもそもカンダタは救われようとしたのか。
あの糸に一緒に昇ろうとしたのは彼の咎ではなかろうか。切っても切れぬ咎ではなかろうか。

九月十三日
長く生きた。長く、生きた気はする。
私はもうほとんどの物語の結びを知っている。四季の彩りに最早感動はなく、今は一日一日とずれて行く太陽を眺めては昨日と同じ溜息をついている。

人にはそれぞれ役目が有る。
勿論、亦、例外は何にでも有る。
私は生まれた時から君等とは違う場所で生きている。私は世界のその外に生きている。
私が担った役目は何だったのだろうか。

九月十六日
愛されながら歩く稚児を見る。
私も同じような環境に育ったらまた違う道を歩いていたのだろうか。

今日が終わっていく。
一日一日ずれていく太陽。

九月十七日
生きていくことは辛い。
これ以上の表現はない。
生きていくことは辛い。
不毛を歩いていく。月が今夜も私を見ている。

九月二十日
分からないことが多過ぎて通り過ぎる影まで疑いたくなる。私は確かに今ここに居るのか。私とは何だ。

ほとんどの物語はやたら遠回りしたがる。
けれど私は違う。今見ているものが、今感じているものが、今聞こえてるものが、全てだ。私の。一頁もあれば私は君等に全てを伝えられる。私の人生はたったの一頁にも若かないのだ。人生は一行のボードレールにも若かない。けれどこんなにまで濁ってはもう誰も私の見ている景色を理解出来ないだろう。だって私にすら理解出来ていないのだから。

私が3500円払って今夜得たもの。
疎外感。

或る程度容姿が好みで、或る程度性格が好みの異性に或る日出会ったら、少なからず好意を抱き、それが成就したなら、一般的には、恋を経て、二人は結婚するだろう。つまり、私達は結局誰にでも恋が出来るのだ。要訂正。要加筆。

恋にも想うところ少なくなってきた。
誰だって良いのだから。

九月二十一日
選ばれてないことの安堵と不安。
二つ我にあり。

人は飽きないのだろうか。
一杯の紅茶に。必ず来る週末に。
誰も居なくなった公園に。裏切られる痛みに。人は飽きないのだろうか。

夢見る若者もいつしか夢を見なくなる。
世界は余りに狭く、窮屈だ。

九月二十三日
終わりは近い。そう感じるのだ。

九月二十四日
生きていくのも。止まるのも。
終わりにするのも。外を眺めるのも。
全て同じことだ。
一はひっくり返っても一。二や三にはならない。それはどれだけの時間が費やされても変わらないこと。理のこと。飽きてきたのだ帰りの電車に。夢に。眠りに。朝に。欠伸。
本当に終わりは近い。終わりは、近い。
そして私もそれを望んでいる。
アパートのちぐはぐな灯りが、いくつか在るであろう宇宙を今夜も私に。

九月二十五日
仕事を辞めた。休憩中悪い癖が出た。
飽きたのだ。その時はもういくら貰えたとしても帰りたかった。私は多分大人には慣れない。亦、それを望んでもいない。


選民と賎民。

九月二十六日
何かになるには耐えなければならない。
努力しなければならない。そして、それを継続しなければならない。また、時には何かを捨てねばならない。それがその動機であるときもないわけではない。だから、私は何にもならなかった。慣れなかった。長い、本当に長い夢を見ていた。これが、ここが私の人生の果て。私の最期。胸に去来する影や想い、悉く感謝。私は今全てにこうべをたれたい。感謝?謝罪かもしれない。わからない。けれど、本当にありがとう。全ての嘘よ。本当にありがとう。全ての幻よ。私はまたかえる。一に。

九月二十九日
それは人の目には映らないかも知れない。
また、それは人の耳には聞こえないかも知れない。
また、それは匂いも無く、肌に触れる感覚も無いかも知れない。けれど、私はそれを少し信じたくなった。瞼を閉じて深呼吸すると胸の中にそれが広がるのを感じる。騙されて生きるのもまんざら悪くも思えなくなる。
ずっとこうであったらいいのに。

俺は誰でもいい。そして、誰でもない。

九月三十日
誰でもいいし、何でもいいし、
どれでもいいし、いつでもいいし、何処でもいい。

これはゲーム。一つの意地悪な遊戯。
嫌なら、また、飽きたならやめればいい。

誰か泳ぎ方を教えてくれよ。

十月一日
これ、全て私の戯言、譫言。独り言。

十月五日
私は君の不貞を許し、君は私の不貞を許す。
私達は一体何だ。要加筆。要訂正。

十月七日
仕事をしていると自分が削がれていくような気分になる。正に時間を売っているような気分だ。目標は遠く、あてにもならない。また、辞めそうだ。

私は呼ばれてもいない世界へ行った。
全てが七揃えの内装。蜂は時々氷を運んだ。
何処から何が来て、私が何を見ているのかもわからない。ただ、時々言葉は楽しく我々の糧となるだろう。

11月20日
久しぶりの初恋の子からの連絡。どうやら彼女が言っていたDVは彼女の虚言ではなかったようだ。離婚するらしい。この事実はまた証明になる。恋は昼休みのランチに似ている。
近くに中華料理屋があれば、多数はその中華料理屋を利用するだろう。或いは、隣町までカレーを食べに行く者もいるかも知れない。まとまってない比喩は書くべきではない。

十一月二十三日
答えは転がっている小石と思よ。
答えは風の中と思よ。

人生はお前が思っているよりずっと簡単だ。

命だけが平等とは余りに不平等ではないだろうか。

十二月五日
不意に父親からの連絡。あれほど毛嫌いしていた父親が少し寂しそうに見えた。俺も年をとったのか。血は水よりも濃いという言葉を思いだす。やや今日は感傷的だ。

十二月二十三日
思い悩む時間より人生の方が大分短い。

一月一日
私にも新しい一年が来た数えで27回目の年だ、だからか、殆ど何の感慨もない。しかし、入院している祖母を見舞いに行った時はさすがに感傷的になった。話しかけても祖母は返事をしてるのか、ただ苦しかったのか、あぁ、あぁ、と息を漏らすばかりで言葉は一つも有りはしなかった。人の終わりとはこんなに辛いものなのか。やはり、私は最後まで走る気にならないだろう。

一月五日
明日この街を去る。もう一時は帰ってこないだろう。この街には何もないから。

一月八日
死ねるならその日が一番いい。

一月九日
有るようで無いのが時間。

生きている状態は常に不利な状況である。
常に失われ、奪われ、忘れられるからである。また、そうしていないと生命は維持できないからである。

一月十四日
二十二時の夜景。
人の、否、我々の欲とはかくも美しく成り得るのか。

一月二十二日
time fliesつくづく

一月二十八日
出口が見える。正確にはそこから差し込む光が見える。この世界で私が見つけた、唯一の光だ。私は残念ながら多くの人々が見ている《と思われる。》光を見ることが出来ない。それが答えだ。私の二十七年かけて出した答え。至極単純。至極簡単。七色の虹だ。明るい崖から向こうへ渡るための。

二月一日
もうあまり長くはない。そう思う。囚われる物もほとんどない。やはり死にたい。しかし、やはり死は恐ろしい。しかし、やはりそれしかない。

二月二日
これが私の最後の一行となるかも知れない。
けれど、何も上手いことは思いつかない。
だから、最後なのかも知れない。死は恐ろしいが、それしかないならばそうしなければならない。成らない。
皆善い人だった。私だけ我儘だった。あれもこれも欲しがって、手に入らないのは全て環境のせいにしていた。今思うのは、何だろう。自分でもよく分からない、けれど、あまりいい気分ではないのは確か。果たした約束は少ない。何を言える。分からない。私は大分イかれてる。恋も夢も人も私もどうでもいい。今の私には薬しか必要ない。しかし、それも死ねば不要。終わり。終わり。終わり。
終わり。

二月十三日
The sleep more amused than last sleep. At least, must be easily

二月十四日
二兎を追う者一兎も得ず

二月十六日
運命が徐々に死の色彩を帯び始めた。
水は湯に湯はやがて煮えたぎるであろう。
カエルもそれなら気付かずに、今夜を眠るように死ねるだろう。
死んだら皆んなに謝ろう。感傷的になっているだろうから。覚えていたら、忘れなかったら、私は皆んなに謝るよ。心の底から今夜の為に。

終わり、終わり、終わり。
何の感慨も無い。
気分は落ち着いている。
死ぬのだ、私は。
最期の最期まで景色は変わらなかった。
いや、いつも景色が変わるなんてことはなかった。ただ、私の気分が、我々の雰囲気が
フィルターになっていたのだろう。
今見える景色は少し痛く、少し悲しい。

二月十九日
死ぬのを少し待つことにした。
もう少し生きて、その時ダメだったら死のう。

私から全ての光を遠ざけ、
私から全ての色を奪い、
私から全ての人を消し、
私にこの醜く暗い週末を渡したのは、
他でもない私自身だ。

私が私の全ての機会を捨てたのだ。
私に有って君に無いもの
君に有って私に無いもの
私は何でも欲しがった。
この両手ではとても足りない程の
夢を、未来を、愛を、友を、
今の私には何もない。
今の私には何もない。
だから君がいくらこのページを見かえしても君が得るものは何もない。
これはみなただの阿呆の戯言。
誰も悪くはない。この世界だ。
押し合いへしあい憎み憎まれ仕方ない。
生きていれば毎日誰かの面倒になる。
或いは死んでもそうかも知れない。
わからない。多くのことを私は知らないまま
死んでしまいそうだ。
最期に皆んなの笑顔があればいいけれど。

二月二十日
我々の夜は長い。何を書くにしても余りある程長い。だから、今夜は少し長くなりそうな話を書こうかと思っている。
初恋だ。

彼女は美しかった。単純に。
白い肌。大きな目。個性的な声のショートカットの良く似合う女の子だった。
私は毎日彼女に告白しようと思っていた。
が、彼女の前に出ると言葉は胃の奥に沈み、何も出て来なかった。そして、或る日人づてに彼女に男が出来たと知らされた。泥中に蓮を見ながら沈んでいくは時きっとこんな気分なのだろうと思った。

二月二十七日
Arbeit macht frei

三月三日
それは眠り過ぎた午後に、行き過ぎた今日に、余りに無知な自分を恥じ私の真似に私が安心する時に、点く光。危険を知らせる信号。私がそれ以上私を無くさない為の安全装置。盲目の道路。フロントガラスをつたう涙と血。誰が居たのだろう。この道に。この問いに。解っていても、いなくても、また繰り返すならそれは退屈な問題。死に至りたい。

三月十九日
思い出すなら今日がいい、そんな日に憧れる。皆愛している。皆憎い。どうでもいい神経が欲しい。明日も今日も勿論昨日も気にならない位の。

三月二十日
運命を退けて、その角を曲がったなら微かに笑うことくらいは出来るのだろうか。

三月二十七日
指で弾いて戻ってくるのが私の詩。
足で蹴って遠くへ行ったのも私の詩。
夢の中で目を閉じて見えたのも私の詩。
今にも消えそうに儚い涙の跡も私の詩。
通りは詩、街は詩、世界は詩、
求めている時に多くをなくすのを忘れない為に。