母が亡くなって4ヵ月。
たくさん時間がたったような。
いや、まだ4ヵ月か…と不思議な感覚です。


2020年10月。
泥酔し、『アンタに何がわかるのよ!』と私に言った母。
『わからない。私にはもう、やってあげられる事はない。じゃあね』と言った私。
『ゴメン。○○(私の名前)。ゴメン』
母の言葉は聞こえましたが、私は振り向かずに母のアパートを出ました。
今でも、その時の事を思い出すと辛くなります。
これが生きてる母との最後の会話でした。


それから3年後。
今年の8月に母は亡くなりました。


亡くなって4ヵ月。
母は3回、夢に出てきました。
きちんとした格好で、化粧をして、髪を整えた姿で、
『今まで悪かった。これからは、ちゃんとするから…』
そう真剣に、でも穏やかな顔で、私を見て言いました。
これが最初に出てきた夢でした。


2度目は、母の遺骨の一部を母の田舎に連れて行って散骨した次の日でした。
姿はありません。
でもお金を送ってくる夢でした。
色々な手続き、片付け、田舎に行った事など、お金がかかっただろう。お金あげるよ。そうゆう意味だと私は思っています。


3度目は電話をかけてくる夢でした。
会話の内容は覚えていません。
何か一方的に母が話していましたが、内容はたいした内容ではなかったと思います。
それよりも、言葉がすごくなまっていて、めちゃくちゃなまってるなー(笑)と、私は笑いながら起きました。
母は都会で暮らしてから長かったので、一切田舎のなまりは出ませんでした。だから母の方言は、私は聞いた記憶がほぼないのです。
でも、夢で電話してきた母はめちゃくちゃなまっていました。
あぁ、田舎に連れて行ったもんね。
向こうにいるのね。だからすっかり田舎の言葉で話すようになったのね~と思っています。


変な話しですが、亡くなってからの方が母との関係がいいような。
そんな気がします。
亡くなって、ある意味アルコール依存症の母からは解放された部分もあって…。


泥酔している母との付き合いはしんどかった。
会話がしんどかった。
酔った顔、姿、見るのが嫌で嫌で仕方なかった。
今はそれがない。
警察や、救急隊から電話がくる事もない。
あぁ、終わったんだ…と思う。


このブログを始めたのは、同じような思いをしている人と繋がりたかったから。
それから、この病気の事をもっと知って欲しかったから。
自分の戦いは終わったと今は思うけど、
じゃあ自分は終わったからこの病気とはもう関係ないとは、私は思えないんです。


医療機関、相談窓口、役所、保健所、警察、たくさん相談しました。
たくさん助けを求めました。
最後は、結局誰も助けてくれないじゃないか!と泣きました。
だから、母の手を放す決断をしました。
手を放した事が良い方向にいく場合もある。
より悪い方向にいく場合もある。
覚悟の上でした。


この国の、アルコール依存症という病気に対する理解、依存症の人や、依存症者の家族に対する理解がもっと深まる事を願って。
これからも心の整理をしながら、ブログで私なりに伝えたい事をゆっくり書いていきたいと思っています。


こんなブログを読んでくださりありがとうございます。
いつもコメントをくださり、支えてくださる方々に感謝をしております。
本当にありがとうございます。