以前彼女の母親に
怒られたのもあり、
彼女とは家のまではなく、
50mないくらいのL字に曲がった手前で
彼女とはバイバイしてました。
ある、いつもと変わらぬ日、
彼女といつものように
仕事終わりに彼女の家まで
一緒向かいます。
いつものように手前でバイバイしました。
バイトが休みの日でした。
彼女が昼ごろから私の家にやってきて
しばらく喋った後、若い二人なんで
そういう雰囲気になります、
その時、いつもと違う、、
体を強ばらせ、小刻みに震えてるか
震えていないくらいで硬直する彼女がいました。
以前彼女の母親に
怒られたのもあり、
彼女とは家のまではなく、
50mないくらいのL字に曲がった手前で
彼女とはバイバイしてました。
ある、いつもと変わらぬ日、
彼女といつものように
仕事終わりに彼女の家まで
一緒向かいます。
いつものように手前でバイバイしました。
バイトが休みの日でした。
彼女が昼ごろから私の家にやってきて
しばらく喋った後、若い二人なんで
そういう雰囲気になります、
その時、いつもと違う、、
体を強ばらせ、小刻みに震えてるか
震えていないくらいで硬直する彼女がいました。
彼女がいるという
存在が慣れだした頃、
季節は夏から冬になりました。
ある日、いつものように彼女を
家まで送ったときです、
家に着いたら彼女の家の窓が開き、
「何時やと思ってんの!こんな時間まで何してんの!」
と彼女の母親が顔を出し、
罵倒されました。
私はびっくりして謝ることしかできませんでした。
相手の親と、最悪な顔合わせでしたね。
彼女の親とも顔合わせも終わったところで
私たちは休みをとって、旅行に行きたいね。って
話しになり、私は人生初の旅行に出かけることに
なりました。
はじめての旅行にわからないことが多いなか、
彼女は過去に友達と行ったことがあるから
ある程度わかる、ということで私がわからないとこは
リードしてくれて、お姉さんの部分が見れて
普段とは違う姿に好きが増します。
3泊4日の休みをとり
旅行場所はド定番のディズニー。
着いてから東京観光もして
最高に二人だけの時間を過ごせた
3泊4日になりました。
もちろん旅行以外にも
彼女とは様々な場所に行き
思い出はたくさん増えてその思い出の分
彼女のことは好きになっていきました。
Nさんはおっちょこちょいなところもあって
仕事場に原チャで来ていたのですが、
たまにコケたりしてまして
すごく心配でした。
そんな心配になる部分と、
少しでも長く一緒に居たい私は
仕事の日は彼女と彼女の家まで
一緒に帰ることにしてました。
仕事場から彼女の家まで
5、6kmあるんですが、
1時間かけて歩いて帰ってました。
今思えばアップダウンもあって
そんな距離をよくまぁ歩いてたなと思いますね。
歩いて帰るその1時間が
彼女といれる楽しい時間だったから
できたことですね。
彼女が学校なくて、
ふたりとも仕事が休みの日に
私は初めての彼女なので、
どこへ行こうかとか色々考えて
ひとりでは行かないようなとこも
いっぱい探しました。
デートはすごく楽しくて
そのデートが楽しすぎて
別れの時間がとても寂しかったです。
どこかで一緒に楽しむのも
良いのですが、私たちは二人だけの空間が
ほしいのもありました。
お互いにそんな気持ちに気付いたころ、
彼女の部屋を見てみたいと私が言ってので、
彼女の家に行くことになりました。
彼女の部屋はすごく女の子らしい部屋で
私はドキドキです。
大学の教材を見たり、
ノートを見たりして楽しい時間が過ぎて、
私と彼女はベッドへ、、
彼女の母親が帰ってきたので
その日は結ばれることはありませんでした。
それから別の日、
彼女は私の家に行きたいと
言い出しましたが、私の家はゴミがまだまだ
残っている状態で、家というレベルではなかったですし、
二人だけで居れる空間の部屋もなかったので
私はとても困りました。
しかし、そんなこと言ってもそんな家を
想像できない彼女は多少汚くても大丈夫だと、、
私は頑張って家を片付ける覚悟をします。
とにかく二人でいれる部屋だけでもと
頑張って片付けを始めた私の姿を見た母親は
母「彼女が来るの?」
私「うん」
母「いつ?」
私「今日」
母「はぁ?もっと早く言わんかいな!こんな汚いので家上がれせるわけにはいかへんやろ!」
と思春期の私にブチ切れの母に
私も怒り、片付けをしないから
困ることになるんだと言ってしまいました。
母の協力の元ある程度片付き、
徹夜で片付けた部屋もなんとか
片付いたのですが、やはり匂いはとれませんでした。
彼女が家に来ました。
玄関からそのまま片付けた部屋へ案内します。
私の初めての彼女に母も挨拶来て飲み物やらお菓子やら
いらないかと怒ってましたが気を使ってくれましたね。
やっぱりそういうとこ、母です。
中学のときのアルバムがみたいとか
言われましたが、見当たらないふりして
小学校のときのアルバム見せました。
彼女には中学校のときの辛い過去は
話せてませんでした。
そうこうしているうちに夕方になり、
私の彼女は布団の上でワイワイしてたので
そのまま布団の中へ、、
その日、結ばれました。
そのままお互い疲れて寝ました。
日付が変わるころに目が覚め、
いつものように一緒に彼女の家へ向かいます。
初めての経験を終えてなんか恥かしさも
ありますが、お互いをさらに知り、
さらに深く好きになることができて、
好きな気持ちに深みが出たって感じです。
初ちゅーは前の彼女の家でしました。
人見知りで話すのは不得意でしたが、
接客業で働いているおかげで
仕事場では比較的誰とでも話せることが
できた私は、気になる子に積極的に
話しかけることができました。
仕事中もできるだけ
気にかけて身の回りのことを
手伝い、仕事終わりには
私「なんでいつもすぐ帰るん?」
気になる子さん「学校早いから」
そんな、どうでもいい会話から
どんどん会話を増やしていき
距離を縮めていきました。
気になる子さんのタイムカードをみてみると
下の名前が載っていたのですが
全然読み方がわかりません。
私「なんて読むの?」
気になる子さん「たぶん正解でないよ~」
と微笑む気になる子さん。
その姿がとても可愛くて
どんどん好きになっていくのがわかります。
名前当てクイズが始まり、
私は○○!××!などと答えましたが当たらず、、
気になる子さん「読み方はN!Nって読む」
名前も可愛くてNって読むんだぁ~と
さりげなく下の名前で呼びました。
日を重ねるごとに会話は弾み、
Nさんは歳が2こ上大学生ということも知りました。
なので、早く帰らないといけない理由は、
次の日の大学の授業のためだとも知ります。
いつも早く帰ってしまうから
もっと話したいとかあからさまに
自分の気持ちをアピールしてましたね。
そのうちNさんはできるだけ
仕事終わりに残って話してくれるようになり
ある日、Nさんが帰ってしまうとき
駐輪場まで話しながら歩いてたとき
私は勇気を振り絞ってNさんに
私「Nさんのことが好きです。付き合ってほしい。」
Nさんは笑いながらOKをくれてました。
私に初めての彼女ができました。
バイトを始めだしてからの初夏休み
朝市からバイトに行き、
途中で抜けてまた夜に出てきて
次の日の特売の品出し準備をする。
これを繰り返してるときに気づきました。
夜の従業員は若い子が多い。
夜の時間帯には姉の同級生も2人おり、
夜の仕事の流れもその方に教えてもらい、
すんなりと夜の時間帯の方たちとも
馴染むことができました。
夜の方が楽しくなってきた頃、
店長が気を使ってくれて、
夏休みの間は遅番時間で働けるように
シフトを変えてくれ、私は学校の友達と
仕事場の同僚と仲良くなりことができました。
遅番で慣れ始めてからすぐに
週3、4日ほどでレジにしか入らない
身長の低い女の子がいることに気付いた私は
その子に惹かれるようになりました。
物静かであまり周りの人とも絡むことなく
仕事が終わるとすっと帰るような姿に
更に気になった私は惹かれていきました。
友達の中でも、いつも学校の行き帰りを
共にしていた仲の良い友達おり、
その子(Aくん)がアルバイトをはじめようかなと
言い始めました。
たしかに私の周りの友達は
ゲーセンによく行ったり、タバコ吸ってたりで
一緒に遊び続けるにはお金が必要でした。
それに加えてそのAくんは彼女がいたので
尚更お金が必要だったのでしょう。
Aくんはバイトをはじめるといってからすぐに
採用され、バイトをはじめました。
私もそのことに触発され、焦りもあり、
近所のスーパーでアルバイトをはじめることになりました。
スーパーの昼間の時間帯は
主婦の方や年配の男の人ばかりで
仕事もすごく丁寧に教えてもらい、
多くを語らない仕事ぶりは、
スーパーなのに職人気質で背中をみて
覚えることがたくさんありました。
はじめてのレジ打ちに緊張したり、
小銭が正確に数えれなかったり、
大量買いされるお客様の品数を間違えたりと
ミス連発でレジ打ちは心が折れましたが
品出しは、体力仕事とお店の状況を
見ながら適正な品や数を出すことに、
すごくやりがいを感じることが出きました。
バイトが慣れてきた頃、
学校が休みの日に遅番で閉店まで
仕事をしたり、一日スーパーで働くことになり
稼ぎもまぁまぁあり、友達と遊びに行くのもへっちゃらで
服を沢山買ったりと全然お金の使い方を
知りませんでした。
高校生活がはじまり、
すぐに友達はできました。
新たに友達ができた嬉しさが
あったのですが、友達とどう接せれば
良いのかわからなくなる感じはありました。
高校に行くと今までの考えがウソのように
いろんな人がいるんだな。と
年配の人も主婦の方も、
悪そうな子もいじめられてたのかな?なんて子も
いて、そんな環境に私もすんなり
溶け込むことができて一安心。
高校入った夏頃はじめてタバコ吸ったり
学校サボって遊びに行ったり
楽しい毎日がはじまり、今までの
自分とは全然違う生活、友達が
ずっとまだ遊ぼうまだ遊ぼうと
言ってくれることに嬉しさしかありませんでした。
高校に入ってから私の世界には色が付き。
生活そのものが大きく変わっていきます。
まえもって連絡を取り合って
待ち合わせをした入試テストの日。
担任は私が卒業して1年経ったにもかかわらず、
入試テストの日に車で高校の近くまで
私を送迎し、入試を応援してくれました。
結果は合格。
まぁ新学校なんで全然定員も少なかったから
ってのもあったんですけどね。
ここから私は高校生活を
始めるのですが、
中学校の時と同じような状況で
通学するわけではありません。
母親にも色々変化はあり、
完全ではありませんが、
家のたまりにたまったゴミを
片付けたりと、奮闘してました。
そのおかげで匂いはまだするものの
以前のような強烈な匂いは軽減され、
後ろ指さされるような状況から脱出できました。
ここから同級生からは
1年遅れの生活が始まりです。
卒業式が近付いてきた頃
担任から、学校来ないか?
卒業式は出てきてな!と
電話が週1くらいでありましたが、
私は電話にちゃんと出ず、
母親が電話に出て話してました。
私は担任と会うことは
できましたが、学校へ行き。
みんなと顔を合わす気持ちにはやはり
なれませんでした。
「よう来たな」
この言葉を言われたときの光景や
息ができなくなってしまうくらいの
心の苦しさはそう簡単には癒えません。
それからしばらくして
卒業式。
担任からの電話
担任「みんな帰ったし、出ておいでや!卒業式するために先生みんな待ってるで!」
そんな言葉をかけてくれた担任の言葉と、
みんなを待たせてしまってるのかという
気持ちで私は行くことを決めました。
母親と渡しは支度をして
中学校へ。
外へ出るとまだ日は高く
外にはちょうど帰っていく
卒業生徒が歩いてました。
何人かが私を指差してます。
嫌な気持ちでした。
私は悪いことしていないのに、
悪いのはそっちなのに、
なんで学校へ向かう私が
珍しいものを、変なものを見るような顔で
見られなければいけないのか、、
私は学校へ着くまで顔を伏せて、
できるだけ周りを見ないようにして
職員室へと向かいました。
夜学校へ向かっていたときと
同じように、先生方が利用する勝手口の方から
母と職員室へ。
担任「おお!校長先生も待ってるから!」
と足早に校長室へ向かいます。
そこには確かに何人もの先生も居ました。
私は校長室で卒業式を迎えました。
ほんとにね。
最近の子はあまりわからないかもしれませんが
3年B組みたいに不登校の子が
卒業式をひっそりとやるのと
全く一緒でした。。
卒業証書を受け取るときに
そのことに気付いて、
なんか自分はそういうふうに、
そういう子達と一緒に見られてるんだと
自覚して、悲しくなりましたが
もっと悲しいことが、、
その時の母、
ちゃんとした服をと思って、
着替えてるのですが
全然正装ではなく、ちょっと貧乏くさい服で
来ていたことがすごく悲しく、
こういう行事ごとには私の親といえば
スーツ的なので来るのが普通だったのに
その今の感覚のずれにショックでもあり、
担任が母親を見て
担任「大変でしたね。」
その一言に涙ぐんだ母を見て
こっちまで悲しくなりました。
母の涙は、あの日別れてしまってから
今日までの「大変だった」という
気持ちで涙ぐんだというのが
伝わってきましたね。
卒業証書を受け取ると、写真を撮る方も
残ってくれていたので、写真も校長室で撮りました。
そのときの写真は後に頂くのですが、
校長室で独りで迎えた卒業式に
心が痛くて、その時以来15年ほど経つ
今まで見ていません。
アルバムももらいましたがそこには
1枚も私は写っていません。
みんなは、みなさんは、
普通はどんな気持ちで
卒業アルバムをめくりますか?
1年から3年まで1枚も
思い返すところがない私にとって
卒業アルバムをめくり、
あのときの思い出に浸る。なんて
ことはありません。
今でも思い返すことなく、心に傷として
刻まれてます。
見学先の高校
その高校の先生が
この高校は来年なくなると言ってきました。
来年統合されて、別の場所で新しい高校に
生まれ変わるとのこと。
そのことを恐らく知っていたと
思うのですが、担任と見学が
終わってから数日後、電話で話しました。
恐らく母親と担任もこのことで話したと思うのですが、
担任は私にそのまま進学してもいいが
来年新しく統合されたら制服代等が
また新たに掛かかってしまうとのこと。
家計に余裕のないことを
知っていた私はみんなと1年ずれて
統合されたら進学することを決めました。
担任は進学には勉強が必要だから
渡したユニットを使って
しっかり1年間勉強するように!
と応援してくれました。