更新情報>天馬行空 >阪谷素肖像
WEBサイト「天馬行空 >学者の肖像」に朗盧・阪谷素(さかたに・
しろし、1822-81)の肖像を追加しました。
阪谷素は備中国川上郡に阪田左五八の次男として生まれ、
昌平坂学問所の教官であった古賀侗庵(178-1847)らに
学び、帰郷して郷校興譲館を開き、門人たちに教授しました。
維新後は太政官・陸軍省・文部省・内務省などに出仕し、内務省
警視局の准奏任御用掛に在職中の明治14年1月15日に死去
しました。
子息の阪谷芳郎(1863-1941)は、大蔵省の官僚から大蔵大臣に
昇り、東京市長・貴族院議員をつとめています。
その著作は『朗盧文鈔』・『朗盧全集』にまとめられており、
後者は国立国会図書館 の近代デジタルライブラリー から
画像を閲覧できますので、あわせてご覧下さい。
更新情報>天馬行空 >御巫清直肖像
WEBサイト「天馬行空 >学者の肖像」に御巫清直(みかなぎ・きよなお、
1812―94)の肖像を追加しました(「みかなぎ」は「みかんなぎ」とも)。
清直は杉原光基の長男として伊勢国度会郡に生まれ、従祖父御巫清富
の没後に途絶えていた御巫家を相続しました。
御巫家は伊勢神宮の外宮(豊受【とゆけ】大神宮)の摂社度会大国玉姫
神社の祝部職を世襲してきた家柄でした。
その後、清直は国学を修めて国学の立場から文献学・考証学の研究を
行い、その研究は『神宮神事考証 御巫清直全集』(大神宮叢書、1935-
36年)などにまとめられています。
同書は2006年に吉川弘文館 より復刊され、現在でも新刊書として購入
できますので、興味を持たれた方は現物に就いてご覧下さい。
更新情報>天馬行空 >大槻如電和歌短冊
WEBサイト「天馬行空 >>学者の筆跡」に大槻如電
(1845-1931)の和歌短冊を追加しました。
この和歌は如電が七十歳を迎えた「甲寅」の年、すなわち
大正3年(1914)の正月に詠まれたもので、「むかしより
まれてふよはひ むかへしは とまれかくまれ ほまれ
なるへし」(昔より 稀てふ齢 迎へしは とまれかくまれ 誉れ
なるべし)とあります。
和漢洋の三学に秀でた如電は、この歌のように独特の
ユーモアのある和歌や俳句を多く残し、また「軍艦唱歌」
などの作詩も手がけました。
その年譜などは、またの機会に追加したいと思います。
更新情報>天馬行空 >河田羆肖像
(1842-1920)の肖像写真を追加しました。
塚本明毅(1833-85)や小島尚絅(1839-80)と同様に、
旧幕臣で維新後は内務省地理局を中心に勤務した
学者です。
塚本・小島らと同じく、漢学の素養の上に西洋の地理学を
学び、地図の作成や地誌の編纂に努めました。
また晩年の重野安繹(1827-1910)を補佐して『支那彊域
沿革図』・『支那彊域沿革略説』(ともに富山房、1896年)、
『国史綜覧稿』(静嘉堂文庫、1906年)の編纂・刊行に
尽力しました。
これらの書物についても、また詳しく紹介したいと思います。