人生とは何かを考え続けていました。自分の判断基準の根幹となる不変的な正しい価値観を探していました。

 

何故なら自分に存在価値が無いと思っていたからです。価値の無い自分には生きる意味が無いと思っていました。

 

人付き合いはうまくいかない。職場は影口や悪口ばかり。責任逃ればかりする同僚や上司。

 

恋愛を美談にしても、そこにあるのはグロテスクな欲望の塊。数少ない友人も悪人の口車に乗せられ、私を裏切りました。

 

それらの経験が「自分に存在価値が無い」と思わせました。元をたどると4~5歳のころから親に(お前なんて生まれなければよかった)という言葉をかけられ続けた虐待の経験が、社会に出てからの不協和音の原因と言えます。

 

 

これらの経験が、不安を生み自分の存在価値が無いと思う原因でした。

 

同時にその不安を解消するために「不変的な正しい価値観」を求めるようになりました。

 

「不変的な正しい価値観」を獲得すること≒「絶対の正解」を獲得したかったのでしょう。

 

自分の価値基準に(誠実、愛情、友情、勤勉、努力)等を持ったところで、意味がない。と思っています。

 

なぜなら、世の中で大切と言われる(誠実、愛情、友情、勤勉、努力)等々の言葉は欺瞞・嘘だと思うような経験ばかりしてきたからです。

 

<正直者が馬鹿を見る>という言葉のとおり、これらの価値観が裏切られることが多々あるからです。

ルール・モラルを犯し人を傷つけるロクデナシは世の中にたくさんおり、このような価値観が「絶対の正解」なわけが無いからです。

 

だから私は矛盾の無い「絶対的な正解」=「不変的な正しい価値観」を獲得したいと思うようになりました。

 

それを基準に人生の判断をすることができれば(自分の行動に正当性を持たせることが出来るようになる)と考えたからです。

 

正当性があれば「自分の存在価値」が無くなることは無いだろうと考えました。

 

異常な心理状態と思われるかもしれませんが、私はそれくらい生きることが不安でしょうがいのです。

 

 

そして自然科学、哲学、歴史、脳科学、心理学、宗教、を勉強して以下のような形であれば納得できると知りました。

 

結論から話すと「自分の価値は自然の価値と等価である」という結論でした。

 

 

 

意味わからないと思いますが、詳細を説明します。

 

まず、自分の考える「世界」を「自分、自然社会、人間社会」の三つに分かれている。という風に考えます。

以下のようなイメージで「自然社会」「自分」「人間社会」と境界線を作るイメージです。

 

 

*イメージ図(AI作)

本当は円を3等分するイラストを作りたかったのですが、思った通りにはできませんでした。

 

 

ここで言う「自分」は自分自身のことです。

 

「人間社会」とは「他人」を意味します。家族、友人、同僚、知り合い。等々の自分以外の人間を全て「人間社会」と定義します。

 

逆に「自然社会」は人間を排除しても存在する残りの世界です。動物、植物、海山川、宇宙。等々の存在を全て「自然社会」と定義します。

 

 

 

まず大切なのは、世界が「自分」「人間社会」のみで出来ていないという事実を把握することです。

 

世界が「自分」「人間社会」のみで出来ていると捉えてしまうと、その関係が世界の全てとなってしまいます。

 

そして「自分」「人間社会」でトラブルが生じ、修復が上手くいかないと、自分に存在価値が無いと考えてしまいます。

 

なぜなら「自分」と「人間社会」の間のトラブルは、人間関係によるものが殆どであり、(誠実、愛情、友情、勤勉、努力)などの価値観が重要視されるからです。

 

昔の私もそうですが、多くの人はそれらの価値観を「自分」のアイデンティに置いている事が多いです。

 

そうするとトラブルは何かしら価値観を傷つけ、アイデンティが棄損されることに繋がります。そうすると「自分」の存在価値まで引きずられて下がってしまいます。

 

なので、まず最初は「自分」「人間社会」とは別に「自然社会」が存在すると認識してください。

 

次の記事で説明するのは「自分」「人間社会」の間で生じるトラブルは、実はそれほど重要ではない。という事を理解するための説明です。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

良ければコメントください。