昨夜、キセキがおきた。

ずっと探していた曲が見つかったのだ。
33年前の中学卒業の春、15歳、私は友人の家でその曲に出逢った。
こっそりと友人のお兄さんの部屋へ二人で入り、いろいろなレコードを聴いて楽しんでた。
そこで、ある曲を聴き私の心は揺さぶられた。
何回も聴き、帰る頃には歌詞も曲も私の中に浸透し、口ずさみながら帰った。
それからその曲はずっと私の心の中にあった。
また、聴きたいと思い、外出先で思い出しては探していた。
いろいろ検索した。YouTubeでも何度も検索した。
ぜんぜん見つからなかった。
あー、もう、あの曲は聴けないのか。
と、諦めとなり心の中で聴いていた。
いつか、どこかでまたあの曲と出逢えるといいなぁ~。なんて思いながら数年過ごしていた。
昨夜、YouTubeで懐かしい曲を聴いてた。
検索履歴に「again聞かせて」と残っているのに気づき、開いてみた。
ん?「again伝えて」が私の目にとびこんできた。
曲名を間違えていたのだ。
聴いたら、33年前に聴いたあの曲だった。
イントロがなく、すぐに歌から入る。
なんかもう嬉しくて何度も繰り返し聴いた。
あの頃は、どんな思いで聴いていたのだろう。
なんか、寂しかった。
両親がクリスチャンだったため、必然と私はクリスチャンホームで育った。
なんかいつも違和感や窮屈さを感じていた。
その我慢が中学生の時に爆発してしまい、私は両親を困らせ悲しませた。特に母を。
私は、家族やその環境から離れたくて自ら遠い寮生活の高校を選んだ。
ちょっと両親への反抗心もあったかもしれない。
けど、いざ行くとなると寂しかった。
家族や友人と離れることも寂しかった。
そんな思いをかかえながら、あの曲を聴いていたように思う。
寮生活の高校へ入学し1ヶ月、母は突然亡くなった。
なんでこんなことが起こるのか。
私が母を困らせた罰を与えられたのか。
母に「ごめんね」と言えずに、ずっと苦しかった。
それから、様々な出来事が起こり苦しかった。
私は今回、その事を本当に癒したい赦したいと思った。
勇気を出して掘った。
なんか、内側の感情が手を差し伸べてくれるのを待っていたように感情が溢れだした。
一つ一つ時間をかけて丁寧に向き合った。
感情は、私の心や体の準備が整うをずっと待っていた。
私のゆるぎないものにたどり着いた。
嬉しかった。穏やかだった。
なぜ今、あの曲に出逢えたんだろう。
探していた時は、見つからなかったのに。
またいつかどこかで、聴けたらいいな。とそんなふうに思いを手放してからだ。
ふっと、今、このタイミングで見つかった。
出逢た。
今、曲を聴くと暖かく優しい気持ちになって、どんどん癒されていく。
赦されているような気さえする。
あー、だから「今」だったのか。
