運とは何か?
辞書を見ると手っ取り早かろう。ふむ、幸、不幸をもたらす、人為を超越した物事の作用、か。
言葉としては、そうなのだろう。では、現実の実際もそうだろうか?

結論から述べると、私の考えとは少し異なる。
運とは人為を超越した作用、と言うが、それはわざわざ言わなくとも、この世界は人為だけに従っているわけではない。むしろ逆で、人為が作用している点などほんの僅かだろう。
自然で起きるほぼ全てが、人為を超越していて、なおかつ「普通の」作用だ。
自然は、ただあるがまま自らを運行するのみ。
その内にある我々は、その気まぐれさえも、予測することが出来ないので、あらゆる場面に、運を感じているわけだ。

直感的にそれを知りたければ、あなたが家を出る前に、十秒だけ待って出発してみればいい。
意識的に十秒経過させたわけだから、あなたは、
「十秒前に出発した世界」とは違う世界を選択したことになる。
そしてその後、運を感じる場面に出会った時、あなたは、その十秒がその運を引き寄せたと感じるか、十秒前の世界なら、こんな事にはならなかったかもと感じるかを、問うてみればよい。

思うに運とは、海面の無数の波の中で、波と波が重なりあい、生まれる波のピークみたいなものだ。
例えば、あなたが街でガムを踏んでしまったとする。ガムを踏むという一つの事象が、あなたの身に起きるまでに、どのような別の事象の関連があったかを、少し考えるだけでも、無数の波の干渉を読むことが不可能と分かる。
あなたが十秒待って出発したからガムを踏んだのか、十秒早く出発してたら、別の人が踏んだのか、それは分からない。
しかし、一つだけ確かな事は、途中の分岐や選択がどう作用しようとも、ガムはあなたに踏まれたのだ。

この事も、確かに自らではどうにもならぬ人為を超越した作用にて、ガム踏みに至った、運の仕業。
十秒待ったのは、自分の選択。しかし、その意味は、そのもたらす結果にのみ、左右される。しかも、どのタイミングで結果が生じたのかは、選択の有無によらず、理解不能。

…だが、今述べた全てが、自然に起こる、ただの当たり前だ。人為?超越?理解?意味?

そんなものとは、何の関係も無く、ただ生じる事象。
運の本質は、
一つの結果、ということ。本来は、それ以上でも以下でもない。