初めて文書にして残そうと思いました。

就職まで残り2週間になりました。
卒業文集ではないが卒業文集のような感覚で書きます。

ここに書き残すことは2点。
1つ目に人生と就職活動について
2つ目に今後何がしたいか
この2点は友人や先輩、後輩によく聞かれることなので文書化することにより記録として残しておけると考えました。


1.私の就職活動
去年の2月の時点でそもそも就職をするかを迷っていました。
それはなぜか、たかが22年間生きてきただけではやりたいことが定まっていなかったからである。

ただ大切なことは2つ
1.自分のよく過ごす5人の平均値であなたの価値が決まること

2.住む場所は非常に大切でどこに住むかによって行動範囲や自分のサークルを広げていけること

この2点だと思う。

就職をするか、世界一周をするかの二択で本気で迷い、結果就職をしようと考えました。
何故私がこんなにも海外に行ってるのか不思議に思う人も多いかもしれません。

遡ると小学4年生から高校3年生まで野球をしていました。
ゲームしかしていなかった私が父親に無理矢理始めさせられたことがきっかけです。

大学に入学し、自分の中で1番芯となっていた野球が無くなりました。

生きてきて初めて目標や夢がない生活に突入しました。
何に対して突き進んでいけば良いのか全く分からなかった。

大学に入学し、新しく出会う友達や環境変化はとても良かったことだが、分析をして振り返ってみると重大なことに気がつきました。

私が関わってきた小中高の友達は常に目標や夢を持った人間のサークルで生活していたことです。
目標や夢があればその目標や夢から時間を逆算して中間目標や今何をしなければならないのかを自発的に考えて行動することができます。
もし目標を達成できなければなぜ目標を達成することができなかったのか反省をして次に活かそうとします。

こんな普通の事を小学生の頃から当たり前のように出来る人間の中で生活していたからこそ、私の周りの人間は頭の回転が速く、すぐ行動に移して実践してみるようなタイプの人間がとてつもなく多いように感じます。

小学生生活

私の小学校は野球とサッカーの2強だった。
圧倒的にサッカー人口が多かった。
中休み、昼休みはグランドに出て毎日隣のクラスとサッカーの試合をしていた。
時には隣のクラスと言い合いや喧嘩をすることも多々あった。
勝っても負けても帰りながら話していたのは、
[あそこはああいう風に攻めた方がよくね?]
[もっとこんな風にできたべ?]
[次はこういう風にしてみよう]
というような、今回の試合の反省点と次の試合に向けての改善点を会話していた事に気がつきました。

中学生生活

マンモス校ということもあり、とにかく人数が多くどの部活も活気があった印象。
物心がつき、恋愛をする人間、不良に走る人間、不登校になる人間、非常に様々なタイプの人間と関わることができた。
ここで触発してくれたのは浦賀中のサッカー部と陸上部、バスケ部、部活動でなくクラブチームに所属していた友の存在。
日々触発されながら生活することが出来たことが今となってはとても財産になっている。
試合をした敵チームの人間や神奈川県選抜に選ばれて共に戦った友との出会いが私を大きくしてくれた。

高校生活

中学生当時は東海大相模に憧れた。
しかし甲子園で東海大相模を倒して甲子園優勝したいという気持ちが日に日に増し、常総学院高校に進学した。

中学生で家族と別の場所で過ごし、寮生活。
当時書いていた日記には先輩が怖すぎて死にたいと書かれていた笑
挨拶の声が気に食わないと平手打ちされたり、ピチピチのアンダーシャツは着てはいけない、ランニングシューズ禁止、1年生は30分前行動などなどこれが強豪校なのかと思ったがこれで甲子園行けるなら苦しくも何ともなかったが、
先輩が怖すぎて外野からの送球も中途半端な球を投げる機会が増えて、罵倒されるたびに日に日に消極的になり、メンタルが確実に怪我に繋がってしまった。病は気からという言葉は合っている。
先輩は皆尊敬でき、目標や憧れでもあった。
ここで後悔があるならば先輩ともっと打ち解けてもっと話してみたかった。

同期にはとても恵まれた。
ウザい奴ももちろんいた。
横須賀生まれということもあり、喧嘩っ早い人間が多かったので、ぶっ飛ばしてやろうかと思った奴も余裕でいた。
高校には可愛い子は1人もいなかった。笑
これが神奈川の女と茨城の女の違いか、、、、
と何度思ったのかわからない。

常総学院高校は野球だけでなく、他の部活動も全国トップクラスの成績を残していた。
勉強の面でも当時偏差値が65だったので進学していく大学もレベルが違かった。
中途半端な人間が少なく、日々何かに向かって突き進んだ集団の中に属することができていた。

大学生活

ここが最大の分岐点である。
学生生活で初めて目標や夢を明確に持たない人間の中に属した。
全てがくだらなく感じてしまった。
1年時のゼミにも恵まれなかった。
話せる男は1人だけ。あとはみんな軽音部出身や俗にいう陰キャラ集団。
大学生活終わった感があった。
本気で勉強して編入してやろうかとも考えた。

ただ1人だけ違う人がいた。
ゼミで同じだった女である。
入学してすぐにあったキャンプで友達にめっちゃ似てるという理由から何故か仲良くなった。
モデルになりたい。
その為にオーディション受けたりしてるけど全然上手くいかないんだよね、、、という今まで関わったことがなかった別次元の悩みを持った女だった。頑張ろうとしている人間の近くにいれば自分自身も頑張れるかもしれないと感じた。
登下校や昼飯も毎日のように一緒に過ごした。
弱音を吐く事もあったがあえて厳しい言葉をかけ続けた。ごめんなさい。

事務所に受かったよ!
初めて雑誌に掲載されるんだー!
仕事貰えるようになってきた!
と言われたあの日々。
自分の事のようにめちゃくちゃ嬉しかった。
それと同時にめちゃくちゃ悔しかった。
こいつのように俺も目標や夢に向かってキラキラした毎日を過ごしたいと日に日に想いは増した。
七夕を鎌倉に書きに行った時に彼女はガールズアワードのランウェイを歩くという願いを書いた。
今ではその目標を達成し、それ以上の結果を残している。

そんな彼女との出会いから、考えついた答えが
人と違うことをしないと自己成長はない
という答えだった。
当時大学1年生だった私が辿り着いたのは

海外へ出てみること
出来るだけ多くの人間と接点を持つ

当時周りで海外に行っている友は全くいなかったことと、体育会系の友達しかいなかったから男女問わず色んな人を接点を持ってみようと考えた。

まず初めに行った国がアメリカ。
英語は全く分からず、単語帳片手に必死になってテキサス州のヒューストンを歩いた。
切符の買い方もわからない。トイレの借り方もわからない。そんな状態からのスタート。
だけどそんな逆境を楽しんでいる自分がいた。
帰国する頃にはある程度理解できるようになった。

ここから人生は大きく変化した。
なぜこうなんだろう、
どうしてこれはこうなんだろう、
俺だったらこういう風にしてみたい
というような自分で考えて行動する力が海外に行ったことにより、更に深みを増して自然に身についていた。

より多くの人間と接点を持つにはどうすればいいのか。
辿り着いた答えは

アルバイトを変えること
趣味の幅を増やしてみる

この2点だった。

当時地元の焼肉きんぐでアルバイトをしていたが
完全に未開拓領域だった日本酒のアルバイトやアパレルスタッフなどをやり始めた。
趣味の幅を増やすという点では、一眼レフを買い写真を撮ること、スケートボード、キックボクシング、バイクに乗る等々だった。

この2点が好転に結びつき、様々な人間と関わることができるようなキッカケを作ることができた。爺さんから高校生まで幅広く人と関わり、様々な人と会話し認知してもらうことで多種多様な人脈を形成していくことができた。

年齢に合わせてSNSも駆使した。
同世代にはTwitterやInstagram、
サラリーマンにはFacebook
膨大な情報を手に入れることができた。
この膨大な情報量と人脈を活かしていくと、お金の収入にも変化が現れた。チャンスがものすごく転がっていることにも気がついた。

アルバイトでトップになり何不自由ない状態で働くことが生き甲斐であり、ここが私の居場所だと感じる人も多いかもしれないがそれ以上の成長はない。
天狗になり上からモノを言い、慢心していくだけであると考えた。
トップクラスになったと思った時にアルバイトを全て辞めてきた。
ほぼ全てのアルバイトでトップクラスになった自信がある。
社員にも何かを提言できる状態にもなった。
関わってきた全ての人間に感謝したい。

就職活動を迎えようとしていた大学3年。
ここまでで色々な事をしてきたが何がしたいとかは全くなかった。
だからこそ世界一周をするという選択肢が生まれた。
大学3年の1月までになぜなんだろうという気持ちだけで動いていただけで28カ国を旅していた。
就職をするならば日本一の企業に行きたいと思った。
日本一の企業はどこだろうと考えた結果、
日本の誰もがそのサービスを使い、ビジネスをする上でめちゃくちゃ凄い人間がいる人達の中で働きたいと考えた。

その企業がリクルートだった。
リクルートに内定をもらうのが目標であり、それ以外の就職活動は全て練習試合だった。
面接慣れをしてきた頃に就職に対する考え方が変化してきた。
リクルートのように日本の誰もがそのサービスを使うような企業を作りたい、もしくは属したいと思うようになってきた。
そこで出会ったのがビズリーチだった。
人材紹介の会社だと思われがちだが、IT企業である。ITの力で世の中に選択肢と可能性をというコンセプトである。これだと思った。
正直この学歴では考えられないくらいの企業から内定を頂くことができた。
それは自分自身が1番驚いている。

世界を旅してきてわかったことは日本という国はめちゃくちゃ凄いということ。
海外に行った事がない人間にはわからないだろう。
日本という国がどれだけ凄くて、どれだけ恵まれた環境の中で生活を送ることができているのか。

自分が恵まれていないと感じる人間には是非発展途上国に行くことをオススメする。
年収が日本円で10万円に届かない国、月収が日本円で数百円という国、雨が降ったら毎日洪水、
盗みをしないと生活ができない国、電波がない国、本当に色々な国をこの目で見てきた。
だからこそそのような国の生活水準を変えてあげたいとも思った。

日本人というブランドは世界ではとても評価されていることも海外に行くと痛感できる。
逆に中国人と分かれば、入店さえできない、物も買えないというような光景も見てきた。

行かなければわからない。まずは行って自分自身の五感で体感することが1番早い。
経験してきたからこそ言えることである。

就職活動でアドバイスすること
それは圧倒的な自己分析。これに尽きる。

自分の人生を1から振り返り、
なぜこのような選択をしてきたのか、
どうしてこういう行動をとってきたのか、
目標や夢に向かって突き進んだ経験は何か、
どのように今後過ごしたいか、
どういう大人になりたいのか、
等々1度自分自身を本気で分析してから就職活動をすべきである。
自己分析をすれば勝手に軸はできあがり、目指すべく目標を立てることができる。
その目標に突き進んでほしい。



人生を振り返ってみると、
自ら考えて行動するということを体現できた22年間だった。
学生生活では本当に人に恵まれた。
恋愛もしてきたが全て意味があってその人と付き合ってきたと感じている。
もっと早く出逢いたかった人間も沢山いる。
全ての人、環境に感謝したい。
何不自由なく横須賀という素晴らしい土地で育ててくれた両親に1番感謝したい。


2.今後何がしたいか
これは一択である。

影響力を与え続ける人間になる

今の所の夢は起業して自分の会社を持ちたい。
社長ですって普通に言いたい。笑
どの分野でも的確にアドバイスができ、良い友好関係を築いていきたい。
妻子ができたらもちろん夢は変わるかもしれない。その時はその時である。
まずは夢に向かってやるべきことをやる。
就職をして自分の力の無さを痛感して早く挫折をしたい。小さなことも1つ1つ乗り越えて共に励まし合い協力していきたい。
人は1人では生きていけないということは誰もが分かることだと思う。
自分の飲食店も持ちたいし、アパレルも作ってみたいし、旅行会社の代理店も持ちたいし、世界中の人が利用してくれるような宿も建設したい等々様々な事をしてみたい。

やりたい事がありすぎるからこの3年間でとりあえず絞りたい。その為の就職である。
いつか友達みんな呼んでうちの店で宴会だーー、
なんてこともしたい。
想像するとワクワクする。
若いうちに体現できたら非常にレベルの高い合コンになることは間違いない。笑

ワクワクする心を忘れずに生きていきたい。
日本のことは頭の良い天才達にどうにかしてもらいたい。頑張ってくれ天才達。

堅苦しい話は以上。
とりあえずみんな飲みにいこう。笑笑

2019年3月20日(水)