激務だった仕事を辞めて、まる一年ほど遊び倒しました^^

素晴らしい出会いもあったし(恋愛関係ではない、すごく残念ながら)、毎日が楽しくてまるで

神様からもらったギフトのような日々でした。


ようやく社会復帰し、今は別の職場で働いています。

今度は、ある程度定時で帰れて、プレッシャーの少ない、気楽な会社を選びました。

収入はがた落ちですが(笑)、概ね願ったとおりの生活を送っています。


あとは生涯の伴侶と出会うだけ・・・しかしこれが元2世には至難の業なんですよね。

日本人の平均初婚年齢を1~2年ほど過ぎてしまった今、胸の中は不安の嵐。


思春期~20代前半の、春真っ盛りの季節には「恋愛は罪」だと私を散々脅していた母が、いつの間にか

私が結婚しないことを心配しているようです。

一体いつの間に、恋愛解禁になっていたんでしょうか?

はい、もう解禁!一生結婚しないより恋愛結婚でもいいから旦那さんを見つけて欲しい、と突然言われても私の心はついていけません。


母のことを恨むまいと心に決めていたにも関わらず、「こんなんなったのは誰のせい!?私の青春を返して!」と実はちょうど1年ほど前、私の心は荒れ狂っていました。

泣いたり、母のことを罵ったりしながら、結局たどり着いた答えは、この苦しみや恨みを手放すことが出来るとしたら、それは、私が、私のことを心から愛してくれる男性と出会った時しかないのだろうな、ということです。私のことを愛してくれる男性、同時にそれは、私が罪の意識なしにまっすぐ愛することの出来る男性です。その人と出会った時、きっと全てのことを本当に心から許せるような気がします。


いつかきっと出会えると信じて、「ああ、明日が見えない」状態(笑)の時も、時間がかかっても絶対にそこから抜け出して希望を持ち続けていきたいなと思っています。

「自分で考える」「自分の頭で考える」「自分の心に従う」


とても大事なことですが、なかなか難しいことだと思いませんか?

「自分の頭で考え」たつもりでも、「自分の心に従」ったつもりでも、人間は知らず知らず、他人の考え方に誘導されていたり、環境に影響されていたりするものです。


私は6年一般企業で働きました。

とても忙しく、熾烈な職場でした。自分を成長させたいという成長意欲の高い人がとても多い会社だったように思います。

社員が一丸となって、目標を達成するために、必死で頑張る!

売上を達成するために、がむしゃらに競い合う。

そんな環境は、私をとても成長させてくれたように思うし、目的意識の高い人たちと一緒に戦えることはなかなか楽しいものでした。

昼も夜もなく働くので体はボロボロでしたが、同じ目標に向かって仲間たちと戦うというのは、妙な高揚感があるんですよね。その時期は家族よりも職場の仲間と一緒にいる時間がずっと長かったです。

だから、職場の仲間がまるで家族のように思えました。


今思い返してみても、私は、かなり一生懸命だったと思います。

おかげで会社での評価も上がって行きます。

ミッションはどんどん重くなっていきます。さらに忙しくなります。

だけど、嬉しいと思っている自分がいました。なんだか、自分を肯定されているという感じ。

私は、期待されているだ!じゃあもっと頑張ろう♪ 

まぁ、典型的な日本人気質ですね。日本人は世界的に見てもとても責任感の強い国民性です。

基本的に努力を厭わない人が多いし(努力するのは当たり前)、真面目ですしね。

それが、日本と言う国を強くしている要因の一つだから、とても素晴らしいことだと思いますが…


だけど、ふと思ったんです。

職場で認められて嬉しい。もっと認められたい。褒めてもらいたい。売上あげたい。仕事にやりがいもある。


でも、それって本当に私が望んでいた幸せだったっけ?


人間というものは良くも悪くも(基本的には)環境に適応できるものです。

特に私は器用な方みたいで、どんな環境にいても(それが自分にとって、とても苦しい環境でも)その中から楽しみを見つけ出して上手に生きていくことが出来る能力があるみたいです。

おそらくそういう人って結構いると思います。


例えば「苦しいこともあったけど、思い返してみればなかなか良い一年だったな」

「大変だったけど、あれはあれでいい思い出だ」

とか、思ったこと、ありませんか?


人間って、自分がたどってきた道をどうにかして肯定したがるんですって。

自分を否定しちゃうと苦しいから。なにかの本で読んだんですが、そういう生き物らしいです。


これは生きていくうえで、人間の大きな武器とも言えます。人生、楽しいことばかりじゃないですもんね。

しかしそれゆえ、自分が本当に望んだものでなくてもそれなりに楽しめてしまい、本来の目的を忘れていることがあります。


一生懸命仕事をしていると、どうしても近視眼的になってしまうものです。


会社の中でもっともっと出世したい!とか、この商品の売り上げをもっと伸ばしたい!って思っている自分は、会社という小さな世界の中に組み込まれた「私」の願望だったんだな~と気付いたのか去年の話しです。


会社という小さな世界をとっぱらった、自然体の自分が、本当にやりたいことって何だったっけ?

自分は気がつかないうちに、会社という世界に心が取り込まれていたんだな~と思いました。


私が言いたいのは、会社で一生懸命働くことがバカらしいということではありません。

会社の中でがむしゃらに一生懸命働く人たちが、日本と言う国を支えているのですから。

子供を食べさせるため「私にとっての本当の幸せって何?」とか考える暇もないほどに必死で働くお父さんやお母さん、その姿は美しいし、すごく貴いことをされていると思います。


私はしばらく会社を辞めて、好きなことをするつもりですが、いずれはまた日本の国の為に働きたいと思っています。日本が大好きですから♪


でもこれからは、「会社の中の私」2世の方たちで言うと「教会員としての私」という枠を取り払って、

「ただの、一人の人間としての私」という視点を忘れないようにしたいと思っています。


忙しい時も、しんどい時も、どんな環境に置かれても、何ものにも捕らわれない、縛られない、自由で柔らかな思考が出来る、そんな心を持っていたいものですね。


2世の方たちに避けては通れない問題…

色々あるけどその一つが、やっぱり「恋愛問題」ではないでしょうか?


教会の教えでは、恋愛→罪→地獄行きでした。

今はどうやら少しずつ解釈が変わってきている部分もあるらしいですが、私が当時受けた

教えはまさに、これでした。


私が小学生の頃に受けた教えは、異性を見てときめくことすら罪というものでした。

教会長(男性)さんは言いました。

「足や腕を出している女の人を見た時、やっぱりどうしても目がいきます。それが人間の持っている堕落性というものなのです。だから私は若いころ、いつもポケットに針をしのばせていました。女の人に目がいくたびに、その針で自分の指をさすのです」


当時から真面目な信者ではなかった私は、内心「馬鹿らしい~」と思っていましたが、周囲の子供たちは笑いながらも真剣そのもの。


統一教会の教えでとにかく厳しい、何よりも守らないといけないとされているのが、すなわち「純潔」

なのです。

時には命よりも、純潔を尊ぶ― それが教会の教えでした。


当然、信者である母は子供の「恋愛関係」に神経質になります。

私の母は、普段はとても明るく優しい、そして基本的にはおおらかな人なのですが、こと恋愛に限って言えば、異常なくらい神経質でした。


母は当時子供たちの間で流行っていた少女漫画「りぼん」ですら汚らわしいものだという考えでした。

私がりぼんを読んでいた時、母が私をまるで見下すかのように、やけに冷淡な目で「そんな本読んでいるの?」と言ったことは今でも鮮明に覚えています。

あの時の私を見る目!

汚いものを見るかのような、バカにするような冷たい瞳でした。


当時のりぼんなんて、主人公が好きな男の子に名前を知ってもらいたくて、生徒手帳を落としてみたり、

手と手が触れて、顔真っ赤 といったいたって健全でかわいらしいものだったのにも関わらず(笑)

子供がそれを読むことによって、余計な興味を持つことが怖かったんでしょうね。


もちろんドラマなんて絶対だめ!!

母はドラマをまるで悪魔のように嫌っていました。おかげで私は、ドラマをリアルタイムで見たことがほとんどありません。

学校から帰った後、夕方の再放送をこっそり見ていました。うちは母が仕事をしていたため・・・・

でも、いつ母が帰ってくるか心配で心配で、とてもドラマの内容に集中することなんて出来ませんでした(@Д@; 正直おびえていましたね。


中学校、高校に進むにつれ、私も普通に好きな男の子が出来たりました。

高校生の時の初デートでは、嬉しいという気持ちよりも、どこかで母と遭遇したりしないか怖くて怖くて

仕方ありませんでした。


教会教えに真面目でない私ですらそうだったのです。

きっと私以上に悩んでいる2世のみなさんはたくさんいるでしょうね。


何故こんなに怖かったのか。

一つは幼いころから「ダメだ!どんなことがあっても絶対に禁止!」と言われ続けていたこと。

もう一つは、もし道を誤ってしまったら(ここでは男の子と付き合ったりすること)地獄に落ちると言われ続けたことがあげられます。


地獄というのは永遠です。

人間の寿命は長くても80~100ねん程度。しかし、死後の世界は終りがないのです。

これはかなり恐ろしいことです。

たった数十年の現世で一度犯した罪により、死後永遠に苦しい思いをしなければならない。


恐ろしいことに、死んだら自分を知っている人たち、家族や親類、友人、恩師などみーんな!が

集まって、映画のようなものを見るらしいのです。

その映画には、自分が生まれてから死ぬまでに起きた全てのことが、全て鮮明に映し出されるそうなのです。死んでも隠したいあのことや、知られたら恥ずかしくて死んじゃいたいくらいのあのことまで、全部。


この教えは、幼心にとても怖かった。

恐怖で体と心を縛られたような気分でした。


今ではすっかり教会から足を洗った私は普通の生活をしています。

母は恋愛には潔癖ですが、その他のことではとても愛情深く、大切に私を育ててくれました。

ですから、昔のことを掘り返して怨むつもりは全くありません。

とても仲良しで、なんでも話します。

でもそれでも、やっぱり、恋愛や異性の話しだけは、未だに母としたことがありません。

そして、私は男性に対してとても潔癖な考え方を持つようになってしまいました。

それは私の足を多少ひっぱっています。(適齢期なのに…汗


小さいころの体験や、教育はこんなにも子供に影響を与えるんだなと、つくづく思います。