「自分で考える」「自分の頭で考える」「自分の心に従う」
とても大事なことですが、なかなか難しいことだと思いませんか?
「自分の頭で考え」たつもりでも、「自分の心に従」ったつもりでも、人間は知らず知らず、他人の考え方に誘導されていたり、環境に影響されていたりするものです。
私は6年一般企業で働きました。
とても忙しく、熾烈な職場でした。自分を成長させたいという成長意欲の高い人がとても多い会社だったように思います。
社員が一丸となって、目標を達成するために、必死で頑張る!
売上を達成するために、がむしゃらに競い合う。
そんな環境は、私をとても成長させてくれたように思うし、目的意識の高い人たちと一緒に戦えることはなかなか楽しいものでした。
昼も夜もなく働くので体はボロボロでしたが、同じ目標に向かって仲間たちと戦うというのは、妙な高揚感があるんですよね。その時期は家族よりも職場の仲間と一緒にいる時間がずっと長かったです。
だから、職場の仲間がまるで家族のように思えました。
今思い返してみても、私は、かなり一生懸命だったと思います。
おかげで会社での評価も上がって行きます。
ミッションはどんどん重くなっていきます。さらに忙しくなります。
だけど、嬉しいと思っている自分がいました。なんだか、自分を肯定されているという感じ。
私は、期待されているだ!じゃあもっと頑張ろう♪
まぁ、典型的な日本人気質ですね。日本人は世界的に見てもとても責任感の強い国民性です。
基本的に努力を厭わない人が多いし(努力するのは当たり前)、真面目ですしね。
それが、日本と言う国を強くしている要因の一つだから、とても素晴らしいことだと思いますが…
だけど、ふと思ったんです。
職場で認められて嬉しい。もっと認められたい。褒めてもらいたい。売上あげたい。仕事にやりがいもある。
でも、それって本当に私が望んでいた幸せだったっけ?
人間というものは良くも悪くも(基本的には)環境に適応できるものです。
特に私は器用な方みたいで、どんな環境にいても(それが自分にとって、とても苦しい環境でも)その中から楽しみを見つけ出して上手に生きていくことが出来る能力があるみたいです。
おそらくそういう人って結構いると思います。
例えば「苦しいこともあったけど、思い返してみればなかなか良い一年だったな」
「大変だったけど、あれはあれでいい思い出だ」
とか、思ったこと、ありませんか?
人間って、自分がたどってきた道をどうにかして肯定したがるんですって。
自分を否定しちゃうと苦しいから。なにかの本で読んだんですが、そういう生き物らしいです。
これは生きていくうえで、人間の大きな武器とも言えます。人生、楽しいことばかりじゃないですもんね。
しかしそれゆえ、自分が本当に望んだものでなくてもそれなりに楽しめてしまい、本来の目的を忘れていることがあります。
一生懸命仕事をしていると、どうしても近視眼的になってしまうものです。
会社の中でもっともっと出世したい!とか、この商品の売り上げをもっと伸ばしたい!って思っている自分は、会社という小さな世界の中に組み込まれた「私」の願望だったんだな~と気付いたのか去年の話しです。
会社という小さな世界をとっぱらった、自然体の自分が、本当にやりたいことって何だったっけ?
自分は気がつかないうちに、会社という世界に心が取り込まれていたんだな~と思いました。
私が言いたいのは、会社で一生懸命働くことがバカらしいということではありません。
会社の中でがむしゃらに一生懸命働く人たちが、日本と言う国を支えているのですから。
子供を食べさせるため「私にとっての本当の幸せって何?」とか考える暇もないほどに必死で働くお父さんやお母さん、その姿は美しいし、すごく貴いことをされていると思います。
私はしばらく会社を辞めて、好きなことをするつもりですが、いずれはまた日本の国の為に働きたいと思っています。日本が大好きですから♪
でもこれからは、「会社の中の私」2世の方たちで言うと「教会員としての私」という枠を取り払って、
「ただの、一人の人間としての私」という視点を忘れないようにしたいと思っています。
忙しい時も、しんどい時も、どんな環境に置かれても、何ものにも捕らわれない、縛られない、自由で柔らかな思考が出来る、そんな心を持っていたいものですね。