私が俺が小学校の時にはドリフを見て、

『こんなすぐ思いつきそうな簡単に結末が分かる同じ事繰り返しているコントの何が楽しいんだろうか』と感じた。

ただ、舞台セットの屋根に本物の自動車がドッカーン!とかは思いつかなかったので面白かった。
結局私も東京のお笑いや上京してきた関西の東京ローカルな、ごっつええ感じや笑う犬の冒険はハマった。

今再びドリフを見ると当時の大人たちの世間的社会的事情、背景が分かるから『ああ、そうゆう事かあ』と納得。

だが年をとってくるとファンキー・クレイジーを通り越して激ヤバとか頭おかしい、とかはインターネットで見ていてハラハラする。

客席も「口コミで見にきました、狂気の沙汰をコワイもの見たさです。」な感じに見える。

東京03とかアレはホントにコントの芝居なの?と怖い。

年をとると、コテコテの大阪オチみたいな間と空気とボケに対する的確なツッコミのやや説明するのが楽しい。

何より漫才は客席の笑い声があるから「テレビの漫才がオモロイから私は笑ってるんですヨ」と近所の目も気にならないし、安全。

面白い番組は自然な笑い声があった方がよいよ。

なんかね~、分かりきったオチだけど要は「言い方」だと思う。あと臨機応変な軌道修正。

マカロニほうれん草の石油扱う商社がオイルショックと不祥事で倒産してビルが崩れて弾みで石油湧いて降ってきたー!とかは大阪オチだが安全な笑い。

今はひたすら安全な笑いを見て、客席と一緒に私も笑っている。

しかも、無性にあの漫才の例のツッコミの台詞がどうしてもまたみたい!となり、一生懸命検索してやっとたどり着き、見て満足する、の繰り返しです。



ってオチ、無いんかいっ!



ん・・・ポ!