血の繋がりがある、母と父
血の繋がりがない、母と兄と弟と妹
真相を知ったのは25の冬。
祖母から聞かされた内容とは?
私が赤ちゃんの頃、実の母は浮気を繰り返し、
その度に私は振り回され色々な男の家に上がり込んでたらしい。
その中でも暴力を頻繁にする男から手のひらに根性焼き
危うく死ぬ寸前で近所の人が通報し、一旦保護されてたらしい
実の父とは離婚。
離婚する際に実の母は、浮気相手も同行して話し合いしたらしい。
実の父は、裏切りがこの世で一番嫌いな人でした。
それから私が20歳になったら会うと告げて家を去る
私は、実の母の姿や顔全く覚えていません。
それから、実の父は友人の紹介で再婚。
そう父の連れ子として家族へ。
再婚相手の母と父との間には、兄が2人、弟が1人、妹が1人
私は幼少期に兄の1人から性的な暴力を受けていた。
私が小学1年の時に父から暴力の日々を受けていた。
ある日、顔にアザができて目元も腫れたまま登校した
保健室の先生から児童相談所へ連絡がいきました。
その日の夜に、児童相談所の職員が私にこう尋ねました
『このままお父さんとお母さんと暮らす?』
『それとも一旦ご家族とは離れて暮らす?』
私は迷わず『離れて暮らす』と言ったそうです。
これは中学生になった時に父から聞かされました。
この一言で私の人生は変わってしまいました。
一時保護所から児童養護施設へ移動。
その時に泣きながらお家に帰りたいと泣いた記憶があります
でも父と再婚相手の母は、中学卒業の時に暮らそうね?
そう言って私を施設へ預けてしまいました。
それから外泊や外出何度か繰り返すも、その時点で
家族との溝はできてて一緒に暮らせるという自信はありませんでした。中学卒業後も、私は施設。
学校や施設へのイベントには全てではありませんが、顔出てくれましたが直ぐに帰られてしまいました。
私は心の中では泣きじゃくっていました。
20歳までは、金銭面への援助はするけど、20歳になった途端に生活保護にお願いすると言われました。
実際に、20歳でピタリと金銭面の援助は無くなりました。
それから完全に疎遠になってしまい、何かのキッカケで両親を呼んでも『忙しいからごめんね』と言われ続けました。
実の母とは、20歳になっても会えていません。
それには理由があって、再婚相手の母の友人が『もう娘には会わないでいい』『あの娘は、新しい母と上手くやってて幸せだから』と言い放ったらしく、それから実の母の終息は不明。
実家の電話番号を知っていた私は、結婚報告と現状報告をした時に、誕生日も血液型も何もかも忘れられていた。
もう完全に戻ることはできない、壊れたんだと改めて気付かされた。
夫も、横で聞いていて『家族間の話し方じゃないね』って『本当に捨てられちゃってたんだね』と私に言いました。
私が、小学1年の時に父と母といると言ってたらよかったと激しく後悔。それにしても小学1年の言葉を真に受けマジでショック受ける親も親でしょう?
私は、家族へ求めました。帰りたいと泣き叫んだ時もたくさんあります。
本当に生まれてこなきゃよかったって、産んでほしくなかったって心の底から病んだ時期もありました。
世の中で、1番自分が不幸者だと思っていた時期もありました。
私は、家族と反りが合わなかったって思えるレベルではなかったです。
喧嘩だってしたかったですし、ちゃんと怒られたかったですし、時には褒められたかったです。
何より家族からの愛情が欲しかったです。
それでも、生きていかなきゃいけない。
自殺を試みた時期もありましたが、当時付き合っていた彼氏に『お前は幸せだろ?』と『恵まれてるだろ?』『むしろ生きてもっと人生色々と経験して強くなって楽しめよ』と怒られました。
ビンタまでされて初めて子供のように泣きじゃくりました。
こんな風にいってくれて叱ってくれる人がいるんだと…
だから私から家族を捨てました。
もう追いかけることもやめ、連絡も一切入れなくなりました。
不要と思われてる人間に必要を求める必要がない
私は、そう思えるようになりました。
もう家族のことで苦しむのはやめよう。
隣にいてくれる人を大切にしていこうと決意できたのは
紛れもなく今まで関わって、支えてくれた人達のお陰。
ありがとう。
追伸:因みに父から私のことが嫌いな理由
実の母の顔を思い出して裏切られたことを思い出す
父からハッキリ言われました。
実母の写真見たことがありますが、
瓜二つでした。