「空流 | 占いと哲学が交わる場所 ― 学びと魂の記録」

「空流 | 占いと哲学が交わる場所 ― 学びと魂の記録」

タロットを通して心と魂の声を聴く。迷いを灯に変え、自分らしく生きる道を探る。占い師見習い・空kuuの、導きと学びと霊性の旅。

元々はラッパーMC|空kuu|占いと哲学が交わる場所

迷いは魂が進化するための導き。
タロットは未来を当てるための道具ではなく、
“今”を深く見つめ、自分の本音と対話するための鏡だと思っています。

このブログ「空流」は、占い師見習いとしての日々の学びと、
現実と霊性のあいだを行き来する心の旅を綴る記録です。
カードの象徴、日々の出来事、直感、詩的な気づきを通して、
人が本来持つ「内なる光」を見つけ出す手がかりを探しています。

俺にとってタロットは、“哲学的修行”です。
カードの意味を覚えるだけでなく、
そこに宿る神話や心理、自然の循環、そして人間の深層意識を探究する。
その学びを通して、自分自身の在り方を整え、
他者を導くための“静かな力”を育てていきたいと思っています。

この場所は、答えを押しつける場所ではありません。
誰もが自分のペースで気づきを見つけ、
生き方を少しずつ磨いていける、そんな優しい空間を目指しています。
タロットを通して心が軽くなったり、
詩的な言葉の中に勇気やヒントを感じてもらえたら嬉しいです。

占い師として、まだ修行の途中。
だからこそ、迷いも成長も、ぜんぶ共有していきたい。
ここに綴るのは、“導き・学び・霊性探求”という三つの灯を携えた、
空kuuの魂の旅路の記録です。

異なる畑にいても、すべては同じ宇宙の一部。
否定や批判から離れ、平和と愛を広げていける意識でいます。
共に幸せの探求者となれる方々なら、
コメント・読者登録、どうぞお気軽に。
ここで出会える仲間が増えたら、心から嬉しく思います

おはようございます☀



鳶職の現場で、宗教勧誘員のようだと言われている。

空です。


「忙しい」と言うと、

「終わった後は何してるの?」と聞かれる。


「勉強してます」と答える。


「何の?」


少し間があって、

「占いの勉強です」と言う。


その瞬間、

空気の質が変わる。


占いという言葉は、

人によっては

宗教、洗脳、依存、非科学、

そういったイメージと直結するらしい。


ここで面白いのは、

正しいか間違っているかではなく、

**人は“知らないものを既存の枠に入れて理解する”**という構造だ。


理解できないものは、

危険という棚に置く。

怪しいというラベルを貼る。

それは攻撃ではなく、

安心のための整理行動だ。


だから責める必要はない。


人は変えられない。

そして、自分も無理に変える必要はない。


必要なのは、

視座を一段上げることだけ。




占いの勉強をしている、と言ったときに起きる反応は、

相手の世界観の表明だ。


それは

「自分は現実主義だ」という宣言かもしれないし、

「精神性に距離を置きたい」という防衛かもしれない。


そこに善悪はない。


ただ、世界の地図が違うだけだ。




ここで感情を乗せると、

摩擦が生まれる。


だが、観察に徹すると、

これは一つの社会的現象になる。


・肉体労働者が精神性を語ると違和感が生まれる

・占いという言葉が持つ文化的バイアス

・未知への警戒反応


すべて、興味深いデータだ。


怒る必要はない。

証明する必要もない。


ただ、

「ああ、この世界ではそう受け取られるのか」と

受け止めるだけ。




鎧を脱ぐとは、

反撃しないことでもある。


理解されることを前提にしないことでもある。


自分の軸は、

他人の理解の上には立っていない。


鳶職で汗を流し、

夜にカードを開く。


肉体と精神。

物質と象徴。


この二重性を

自分が楽しめているなら、

それで十分だ。




視座を変えると、

批判は攻撃ではなく、

観察対象になる。


違和感は、

排除すべきものではなく、

世界の多様性の証明になる。


受け止め方を変えるだけで、

世界は少しだけ立体になる。


人は変えられない。

自分も変えなくていい。


ただ、

立つ位置を変える。


それだけで、

同じ現場も、

同じ言葉も、

別の景色に見えてくる。