第一子として生まれてきてくれた私たちの娘
”先天性表皮水疱症”という病気と一緒にこの世に生まれてきました
初めての出産、初めての赤ちゃん、何もかもが初めての体験でワクワクドキドキするように楽しみと不安でいっぱいでした
でも正直楽しみでしかなくてなんとかなるって思ってました
生後4日目、外は大雪で道路は真っ白
とても寒い日でした
そんな朝、娘はDr.カーで産婦人科から総合病院へ搬送されました
ブドウ球菌だの天疱瘡だの、医師は診たことのない疾患に気付くわけもなく保育器で娘は数日過ごしました
帝王切開だった私は傷を押さえながら抱けない我が子に毎日面会に行きました
数日後小児科へ転科
”やっと抱ける”
その時の嬉しい気持ちは鮮明に覚えています
小児科へ転科したはいいものの、母乳指導もろくにないまま”はいどうぞ”と娘と二人きり
上手におっぱいが吸えずに大泣きされながら片方のおっぱいで搾乳する毎日でした
娘の状態を把握せずに沐浴指導をした看護師は、点滴抜針後のシールと一緒に娘の皮膚を剥がしました
謝罪もありませんでした
おかしいと思ったり気付いたなら自分から聞いたり言えばよかったのに、その時の私は弱りきって何も出来ませんでした
娘を守ることが出来ませんでした
1週間半入院していろんな検査をした中で一番考えられる水疱症は、遺伝子検査も必要なために確定診断には至らず退院となりました
実家に帰ってからは他の子と同じように母乳と寝かしつけに追われる毎日、体の水疱は毎日お風呂上がりに処置が必要でした
季節が暖かくなり、身動きがとれるようになってから久留米の総合病院へ受診
私たち夫婦の遺伝子検査の結果
”先天性表皮水疱症 劣性栄養障害型”
でした
キャリアとして私たちのような人は400人に1人の割合で存在するそうです
その2人から生まれた子供の25%、つまり4分の1の確率でこの疾患を持った子供が生まれます
その中でも軽症だったり重症だったり様々な状態の子が存在するそうです
結局この病院の専門医からこれからの生活のことや処置についてなど具体的なアドバイスをもらえず、かかりつけがないまま過ごしました
近所の小児科にはかかっていましたが、やはり診たことのない疾患ですし処置方法も私次第
なんか、いろんな意味で諦めてました
自分次第なんだな。と