今日、急に祖母から連絡がありました。大事な用だったようですぐに親と変わったのですが、その内容というのが『現在入院中だった(体の半身が麻痺してるため)祖父が昨日体調が悪かったらしく、検査してみたところ脈などに異状はなかったものの、心臓の動きがとても弱くなっていて、今日明日までしかもたないかもしれない。』とのことでした。
最近も元気だった祖父にいきなりこんな余命宣告されても、正直疑問ばかりが浮かぶのですが、医者が言ってることなんで完璧な嘘ではないのでしょう(今日明日ってわけではないかもしれませんが、心臓が弱くなってることは事実でしょう。)
ってなわけで、明日早朝に祖父のいる仙台市にむけて出発する予定です。母親は今喪服とかの準備をしていますが、そんな亡くなることを前提に何かをするというならば、数日でも長く生きていられるよう祈ってやる方が重要だと自分はおもいます。
父親は仕事後直接祖父のもとへ向かいました。やっぱり身内がいなくなると寂しいものなのでしょうか?自分はさっき「なんでそんな飄飄としてるの!」と叱られたのですが、逆に何故母親や姉達があんなにあせっている様子なのかが気になりました。『今日中に祖父のもとへ行くためには何時何分の電車に乗らなければならない。』とかそういう状況だったならば焦るのも分かるのですが、明日早朝に行くことに決めたならば、準備する時間も十分にあるので問題ない。むしろ、焦ることで更に気が動転してすべきことも効率的にできないのではないかと思います。
なんか今日は文の書き方も暗くなってしまいましたね^^;やっぱりちょっとした動揺は隠せないかぁ><
こんなこと(↑)を書いてると知れたらまた怒られるのでしょうが、祖父が生きているという事実に変わりはないのですから、自分は今は悲しむのではなく、そして先のことを考えて動くのでもなく、せめて短くても、明日自分が着いて祖父の顔見れるまで生きていてくれること祈っています。
なぜなら、これが珍しく自分が熟考してでた本当に正しいと思える結果だったからです。