ベースの”な”さんが自己解放の域に達したそうで。

何その歳で悟ってん(笑)

オッサンまだこの歳で何も悟ってないし!


この間のスタジオ練習の後、相当凹んだ。

これではあかん。

みんなの足引っ張るだけや。

どないかせなあかん。


問題はまず


●静かな曲以外はクリック聞こえんようになる



これだ。


聞こえないからフィル入れた後、ずれてないか探す

そしてそれ故に感情を入れて演奏出来ない。

すなわち強弱をつけたりする意識が飛ぶ。


これは問題だ。



Mistralは最高の歌モノバンドだ。


だからドラムも叩くのではなく

弾く、歌う感覚で演奏せなあかん。



これを改善する為に色々考えた。

でも資金もないし出来るだけお金使わない方法で。



以前使ってたZOOMのリズムマシンを引っ張り出し

クリックとして使う音色をカウベルにしたり

スティックにしたりして、あまりキツクない音色を選ぶのだ。

色々試した結果、ハイハットの音がしっくり来るかなぁと感じた。


でも実際セット叩いてみてどんな感じか分からんけどね。

音色変えれるからあかんかったら変えたらいいし。

スタジオでみんなで音出して、音が消えなかったら問題なし!



初の同期モノだし、リズムがしっかりしていない自分には

ほんと練習になるなぁ。

もっともっと上手くなりたい。


ただセット叩けるのが週末しかないから

上達スローペースだけど、みんな許してね・・・。



いつかMstralに


”おかぴのドラム有!”


と、みんなに思ってもらえるドラマーになりたい。



話は変わって

今までライブして思った事。


歌が聞こえないバンドが多い。

いい曲なのに歌が聞こえない。

残念でならない。

だいだい原因は、リハの時にある。

大抵自分の音が聞こえないと


ギター「PAさん、ギター返して下さい~」


とか言うのだ。


そしてその後


ベース「すみません~、ベース返してもらえます?」


と言いよる。


そして結末


「すみません、ボーカルもっと返せます?」


PA「もういっぱいです。これ以上あげれません。頑張って歌って下さい」



そりゃそーだろ。

みんなが自分の音上げてたら、聞こえんようになるの当たり前だ。

そしてその結果、ステージ上で音がまわり

客席にはちっともボーカル聞こえない。

インストバンドの出来上がりだ。


自分の音は必要最低限の音でアンプで調整するのだ。

必要なのは他のパートの音。

自分の音が聞こえないようなら、他を下げてもらう。

下げ下げチューニングだ。

これでバッチリ、ボーカルが聞こえる

素晴らしい歌モノバンドになるはずだ。



しっかりしたPAさんがいるライブハウスは

モニターには基本何も返していない。

欲しいパートだけPAさんに言って返してもらうのだ。

こういうライブハウスはいいライブが出来る。


偉そうに書いたけど

今までアンケートで散々言われました(泣)

歌聞こえない、ボーカルをもっと生かせ・・・etc


その結果出た結論です。







Mstralは

長年求めていた

聞かせる歌を奏でる

最高のバンド。


みんなの声を

そして奏でる楽器隊の音を

一つにして届ける。



いいライブしたいな!


ドラマーに転向する時に加入してもらったメンバー。


それがキーボディストのガオサン。

彼は根っから鍵盤好きで、独特の世界観を持つ不思議オーラの人。


ASLANメンバーが全員去って行った時

ガオサンだけは残ってくれた。


二人でメンバー探しをし、ようやく集まった。


Vo:ゆきち

Gt:やっくん

Ba:やまさん

key:ガオサン

Dr:おかぴ


このメンバーで、


「νーASLAN」


を結成。


νはギリシャ後のニューと、新しいのニューをかけてね。


具体的にどういう音楽をするとかなく、ポップスロックという大きなくくりで始めた。

ガオサンの作る楽曲は本人と同じで、独特の雰囲気があった。


おかぴがリーダーで始めたνーASLAN。

目指したのは月一ライブが出来るように

インディーズレーベルで音源発売までいけるように

そんなコンセプトで始めたけど

ドラマー初心者の自分には高い壁でした(笑)

下手くそな自分についてきてくれたメンバーには

今でも感謝。

本当の土台作りはここから始まったのかなと思う。


このメンバーで2003年11月19日だったかな?

ライブをやった。

これでベースのやまさんが脱退。


ベース抜きで2004年4月くらいまで頑張ったかな。


その後ベースたけぴが加入。

最初彼を見た時は、黒いテンガロンハットを被り

黒いロングコートに手には黒い手袋というファッションで

殺し屋かと思った(笑)


そしてバンド名を


「くっくどぅどぅる」


に改名。

変は名前(笑)


2004年6月に難波ハッチでライブを始め、2004年12月までに4本ライブをした。

自分では初の本格レコーディングにも挑戦。

クリック聴いて叩いた事ないのに、非常に辛かった(笑)


その後ボーカルゆきちが、プロのタップダンサーになる為脱退。

そしてバンドも無期活動休止。

2006年2月19日に一度だけ、復活ライブをしたのを最期に本格的に活動休止。



2005年1月よりハイパポッピーバンド、


ASTRO-HATCH(アストロハッチ)に加入。


2月3月にライブ、5月に新開地音楽祭に出演、

ネットラジオにも出演、6月にレコーディング

全国発売のインディーズオムニバスCDの中に選ばれる


等々短期間に精力的に活動。

やっと自分の目指す事が出来てきたかもって思った。



しかし8月にボーカルからメールが。


「自分以外のメンバーは全員サポートとします。

私一人でASTRO-HATCHです。」



ボーカル、ベースはフリーター

ギターと自分はサラリーマン。


このメンバーでは上を目指すのは無理だと

メンバーに相談もなしに

一方的に切られた。


今となっては気持は分かるけど

納得はしてないな。


一緒に頑張って来たメンバーに

この最期はなかろう。



結局この状態で8月にライブをして解散。

全然楽しくないライブやった。



この時から自分のバンドに対する考え方が変わって来た。



もう楽しければいいやん。

みんなで頑張って来たって

こんな解散の仕方されたら

哀しすぎる。



それからは2007年9月にピアノとボーカルのユニットでライブをした。

そのライブを偶然見てくれたごうさんに、


ゴスペルグループ「HAPPY PRINGLES」


でピアノを弾いてくれないかと頼まれた。



その頃はガオサン夫妻のユニット「M.I..G」

でサポートでドラム叩いてたし

元くっくメンバーで「R-30」を結成してたし

いっぱいいっぱいの状態やったけど

声かけてくれた人には精一杯答えようと思って

参加を決意。



今から思うとこれが運命的な出会いやったんかもね。



ここであさと&なーに出会ったんだから。



あさとの第一印象。


「うわぁ、結構生意気そう(笑)」

「でも歌UMEEEEEE」

「話せば結構おもしろい」



なーの印象。


「このオネエサン、KOEEEEEEEE!!!!!!!」

「なんか俺、冷たくされてる?」

「この人、俺の事嫌いなんやろうなぁ(笑)」

「しかも絶対音感持ってるし!!!」



二人共アツイミュージシャンやったし、ハピプリの全体がパワフルだった。

ピアノ結構頑張った


つもり(笑)


やったことないジャンルやったから

結構悪戦苦闘(笑)




こうして激動の2007年修了。



色んな人と出会い、別れ、

そして繋がっていく人もいる。




次回ようやくMistral登場かな。












結局1996年9月23日のライブで、モダチョキのコピバン


「ホゲ藤原&ゴールデングルーヴバンドwithoutホゲ藤原」(略称ホゲグル)


の鍵盤担当になってしまい、結局ドラマーはとしてはスタート切れなかった。

ていうか、withoutホゲ藤原て何やねん(笑)

それよりホゲ藤原て誰よ(笑)


色んな曲をコピーしよってコンセプトで、ほんま節操なくコピーした。


メンバーが目まぐるしく変わり、1998年から2001年は


「ほくろひげ」(略称ほくげ 笑)


に名前を変え、5回程ライブ。


気がついた時には初期のメンバーは8人から2人になっていた。


ネットでメンバーを募集し、集まった新メンバーで


「ASLAN」を結成。


初のオリジナルとコピー曲でライブを3回?程やった。

初めてオリジナルをやったし、自分も作曲を初めてやった。

初めてばっかり(笑)


このバンドのドラマー”ながっつ”は

超ステキドラミングだった。

叩くというより

”弾く、歌う”

感じ。

音の粒が非常に綺麗で、繊細で

スタジオで鍵盤弾きながらも

彼のドラミングに見入ってた。


ながっつとは3年くらい一緒にやった。


そして2002年5月に

ながっつはメインのバンドで上を目指す為

ASLANを去った。



ここでおかぴは悩んだ。




ドラマーに転向するチャンスかも知れない・・・。



盟友美佳ちゃんに相談した。

すると彼女は、


「本当に鍵盤したいんかなって、ずっと思っててん。

自分のやりたい事やればいいよ」


と背中を押してくれた。



勇気を出してメンバーに話した。

とりあえずは承諾してくれたけど

何回か練習した後にファミレスにミーティングで呼ばれた。



「鍵盤に戻ってくれ」


と。


悲しかった。

辛かった。


でも


「俺はどうしてもドラムがやりたいねん。高校からずっと思ってて、やっと今叶ってん」


と言った。



ボーカルが言うには、自分は大学4年で来年就職やから

それまでにライブやりたいと。


それには俺のドラムでは無理だと。



無理と言われると燃える俺の性格(笑)



「社会人になるまでに絶対ライブまで持っていけるように、練習するからドラムさせてくれ」


何とかみんなを説得し、練習した。

その頃家から5分のところにスタジオがあったので、練習によく行った。

でも人気でいつもいっぱいだった。

空き時間が夜中の3時だろうと4時だろうと

予約して練習に行った。



2003年3月30日、ライブが出来た。



そしておかぴを残して

全メンバーが去って行った。



自分がドラマーに転向した事で

みんないなくなった。



おかぴ32歳の哀しい出来事。