不思議なことがあった。

いつものように重い足を引き摺りながら、通勤電車へ乗り込むと

西村さんの「夢魔去りぬ」を開いた。

始発列車で必ず座れるため、貴重な読書時間となっている。

 いつの間にか眠ってしまったらしく、乗り換え駅の1つ前で覚醒する。

そして電車から降りるとすぐとその違和感に気付いた。

 「鞄が重い」

それこそ鉛でも叩き込まれたように、ずっしりと重く

唯でさえ思い足取りを一層重くさせてくる。

 「なんとも面妖な」

鞄を開けて中身を確認するも、当然乗車時と変化はない。

 「そんなに行きたくねえんだったら、信濃路行ったらいいじゃねえか。何が会社、だ」

と声が聞こえた気がする。

 「いやいや西村さん、マンボウだから24営業はしてないですよきっと」

そんな言い訳をしながら、僕は相変わらずの平凡な毎日にしがみ付いている。

 「夢魔はこの希望のない世界のことなんじゃないか知らん?」

 「明日は休みだから昼から信濃路でも行こうかな」

そんなことを考えつつ、収容所への行進の列に加わった。

 また書いてみようという気になった。

西村賢太が死んだからだ。

 彼の作品は主に文庫で読んでいた。

貪るように彼の作品を読み漁った。

それは何故か?兎に角、彼が羨ましかったのだ。

人の顔色ばかりを窺い、嫌われないことだけを願い

安パイだけを切りまくる人生にあって、彼はヒーローだった。

 

 無頼派?そんな言葉では軽すぎる。

世の中からの見てくれや、人から映る自分の姿を放棄し

限りなく自分の感情、激情に添い遂げる姿に喝采を叫んだ。

 

 命には限りがある。

その中にあって、どれだけ自分のために命を使えるだろうか?

彼の生涯は、てめえのためにてめえの命を使い倒したのだ。

 嘘つきは地獄に堕ちるそうだが、自分に正直であり続けた

西村賢太を差し置いて天国に行ける人間などいないのではないだろうか。

合掌。

 

 

 

 こんばんは。久し振りに筆を取ります。

最近仕事が忙しく、帰ってきてテレビを付けると「しくじり先生」という番組が始まった。

だいたい仕事から帰って来た後、ヘラヘラしたバラエティ番組を見ると

虫唾が走るので何の感情も沸かないショップチャンネルや

撮り溜めた「NNNドキュメント」や「ザ・ノンフィクション」をぼうっと眺めながら

お酒を飲むのが常なのだが、今日は何故かこの番組を見始めた。

 

 先生として話をしたのが、山口真由さんという方。

内容を要約すると彼女は東大卒の弁護士で所謂エリートで才女である。

しかし乍ら、これまでの人生を感情を押し殺しストイックに

自分を高めることだけに傾倒し生きてきた結果、

恋愛では全くと言ってよいほど、幸せな経験をすることができなかったというもの。

それを「しくじった」と彼女は訴えていた。

 

 「うーん。とても興味深いな」と。

誰しもが羨むステータスでエリートと称えられ、収入もきっと良いだろう彼女であるが

話を聞くと全然だめなのである。

 

 「やっぱり、バランスは重要だよね」と再認識した。

偏るってことは凶事であるなぁと。

 我が事に置き換えてみると、

仕事が忙しい→ストレスが溜まる→週末狂人のごとく飲む→金がなくなる→後悔する→月曜日が来る→繰り返し

これは仕事に偏りが起こったことによるスパイラルであり、決して良い流れではない。

狂人はいつかきっと抹殺されるであろう予感もある。

肉体的にも社会的にもそのどちらの側面からでもである。

 

 「飢えない程度のお金」と「飽きない程度の自由」がバランスよく調和された感じが良いな。

そうなれば、40前にしていよいよ大人の嗜みとしてのお酒が飲めるのになと。

 儒教には「中庸」という言葉があり、解釈には様々な視点があると思うが

僕は「過不足なく調和が取れている状態。偏りがなく、ぶれないこと」と

いったイメージを持っている。

 ということで、明日からは仕事なんてさっさと切り上げ、

自由の側の盃に酒を注いでせいぜいバランスと取ってやろうと思っている。