調べてたら面白くなってきたので、

歴史についても振り返り。



◆ベリーダンスの歴史◆

ベリーダンスの起源は、はっきりしたことはわかっていない。
踊りに込められた意味についても、豊穣祈願や女神信仰、

婚礼や出産の準備等、諸説ある。

西暦610年アラビア半島にイスラーム誕生、中東全域に広まる。
純潔を教える教えに基づき、
親族以外の男性から女性を隔離する女部屋(ハレム)や、

顔をベールで覆う制度が発達。
そのような社会でもベリーダンスは

親しい人々が集う席で楽しまれ、受け継がれる。

10世紀ごろのインド北部より西方へ移動し始め、

踊りや音楽を生業としていた「ジプシー(ロマ)」が、
各地でその民族の踊りをミックスし、次の土地へと伝え、

ベリーダンスを広めていったとも言われている。
スペインで独自に発達したフラメンコもその一つ。

1453年オスマン帝国建国。
支配者スルタンの住む王宮の奥に、

一夫多妻制のグランド・ハレムが誕生。
スルタンに使えるためだけに

各地から美しい娘たちが奴隷として集められ、
宮廷での作法、詩、歌、踊りを教育される。
王宮にはスルタンのために世界中から踊り子が招かれ、
グランド・ハレムの娘たちも彼らから

直接踊りを学んだとされる。

グランド・ハレムの歴史は約4世紀に渡り、
さまざまな女性たちが生き、愛し、美を競い合ううち、
ベリーダンスは

彼女たちの魅力を訴える手段として発達していく。

1704年に翻訳された『千夜一夜物語』をきっかけに、
ロマンスと官能に彩られたオリエント文化に魅了され、
19世紀にはヨーロッパでもベリーダンスが踊られるようになる。

しかしエジプトでは、官能的すぎることを理由に
1834年首都カイロにいた踊り子たちを追放している。
イスラームの教えに背くため、

結構重い刑が科せられたりもしたらしい。

1893年コロンビア世界博覧会で「ベリーダンス」が注目を浴びる。
腹部(英語でBelly)の動きが珍しく特徴的な踊り、

という名称が定着。
それまでべリーダンスの呼称は
「ラクス・シャルキィ(東方の踊り)」、

「ラクス・バラディ(民族の踊り)」、
「オルヤンタル・ダンス(東方の踊り)」等、

各地で異なった。

その後、

現代ダンスのパイオニアが

ベリーダンスの要素を取り入れたり、
ハリウッド映画やナイトクラブで神秘的で

セクシーなオリエントの踊りとして登場し、
アメリカで華やかに発展したベリーダンスは、

エジプトにも影響を与えた。

1960年代アメリカにおいて、

社会的抑圧から女性解放を目指した政治運動や、
性に対する意識改革が起こる。
ベリーダンスは、女性解放の踊りとして評価される。



そうして発展を遂げたベリーダンスがこちら。



◆ベリーダンスの種類◆


・エジプシャンスタイル

エジプトで生まれ、踊られているベリーダンス全般。
柔らかさが特徴。力を入れるのではなく緩めるダンス。
脱力すればするほど魅力が出てくる、

コントロールされているエレガントさ。
どのようなムーブメントでも

動きの中心は常に身体の内側にある。
優雅で細かい動きが多いが、

身体を部分ごとに細かく独立させて動かすことが多い。
音と一体になり音のフィーリングに合わせて踊る。
高難度の技を見せることより、音楽の理解度が高いことが大切。

独特の「ため」など粘りのある力強さも持ち味。
移動が少なく、両踵をしっかりと床につけて踊ることが多い。
立ったり座ったりと上下に大きく動いたり、膝をついたり、

床に寝そべったりすることはほとんどない。
(エジプトではそれらのフロアワークが禁じられている)
音楽が聴き手に与える感情を

視覚的に表現することが非常に重要視される。
ダンサーの個性がはっきり出やすいスタイル。
本来は即興で踊る。
基本は裸足で踊る。
衣装は全体的にエレガントで大胆なデザインが多く、
ベルベットやジョーゼットなどに、スパンコールやビーズ、
ラインストーンをちりばめた華やかなものが多い。


・ターキッシュスタイル

東方から長い年月をかけて移動してきた

ジプシーたちの踊りに強い影響を受ける。
スペースを広く使ったダイナミックで大きな動き。
手の動き、足さばきなどで美しいムーブメントを作る。
ベールやジルなどの小道具を巧みに使う。
膝をついたり寝転がったりといったフロアワーク。
ダンサーが身体のさまざまな部分に触れて、

より感情を喚起させる踊り方。
エジプシャンスタイルが内面にエネルギーを向けるのに対し、
ターキッシュはエネルギーを外に出す踊り。

生きる力強さ、

その瞬間に情熱をかける力に優れている人が多い。
重心が高めで軽やかに踊る。
身体の部分を細かく分けて動かすより、

身体全体で音楽を表現する傾向がある。
腹部で強くアクセントをつけることが少ない。
踊りながらジル(両手の親指と中指につけ

て打ち鳴らす小型のシンバル)を

器用に使いこなすダンサーが多い。
ターキッシュスタイルでよく使われるトルコ音楽は、

アラブ音楽に比べて高音域が広く、
打楽器よりもバイオリンなどの弦楽器の音が強い傾向にある。
クラリネットを多用するのも特徴。
ジルの音もエジプトのものより高め。
ジプシー独特のリズムである9/8拍子に代表される

変拍子が多く使われる。
ハイヒールや厚底のシューズを履いて踊るダンサーも多い。
(日本ではほとんど裸足だけど、トルコではほぼハイヒールを履いて踊る)
手さばきや足さばきを十分に見せるように

比較的露出が多めでスカートのスリットも深め。
脚をより長く見せるためか、ヒールの高いシューズで踊ることが多い。
高いヒールでダイナミックに踊るため、

ダンサーには高度な身体能力が求められる。


・トライバルスタイル

アメリカ西海岸で発祥(Tribal=部族の、民族の、という意味)
エジプシャンやターキッシュなどのオリエンタルベリーダンスに、
中央アジアから北アフリカに渡るさまざまな民族舞踊の要素を

盛り込んだスタイル。
女性の肉体美、女性の内面の強さ、仲間との融和、世界に向けて、

平和と自然回帰を表現する踊り。
ATSの基本姿勢やムーブメントは

肩の柔軟性やコアな筋肉を培う。
上半身と下半身ともに深く軸のあるアイソレーションが

独特の雰囲気を与える。
細かく速いアイソレーションやアクロバットな動き、
時空が歪んだようなスーパースローな動きでは

筋肉の柔軟性が必要。
筋トレも基礎トレーニングに必要。
以下、代表する2つのスタイルについて。

①ATS(アメリカン・トライバル・スタイル)
2~4人のグループによる即興の群舞。
70種類ほどあるムーブメントやフォーメーションを使い、

リーダーと呼ばれるダンサーのの出す合図に
フォロワーと呼ばれるダンサーが合わせて踊る。
踊りながらリーダーとフォロワーは入れ替わり、

踊っているダンサー以外はジルを叩いたり、
ステップを踏んだりしてメインのダンサーを盛り上げる(コーラス)。
メインのダンサーとコーラスも、

踊りの中で入れ替わっていくことが多い。
衣装はインドから北アフリカまでの

さまざまな部族のファッションを融合させていて、

肌の露出は控えめ。

②トライバル・フュージョン
ATSにヒップホップやジャズダンス、ヨガ、

オリエンタルベリーダンス、インド舞踊、コンテンポラリー、
スチームパンク、ヴォードヴィルなど、

さまざまなダンスやカルチャーを融合させたスタイル。
ベースがATSのため、踊りや衣装については

その特徴を強く引き継いでいるが、
基本的に決まりはなく、

融合させるダンスの種類によって大きく変わる。
いずれも「可愛い」や「セクシー」よりも

「かっこいい」要素が強いのが特徴。
ソロでも群舞でも踊られる。

『モダン・フュージョン』という、

ATSにオリエンタルベリーダンスを再融合させたスタイルや、
『ダーク・フュージョン/ゴシック・ベリーダンス』という、
ボンテージやSM、黒魔術などの

ダークな世界観を融合させたスタイルもある。


・ジプシースタイル

11~13世紀に北インド周辺から中東、ヨーロッパ、

トルコ、スペインなどに移動した
ジプシー(ロマ)たちのダンスをモチーフにしたスタイル。
国によってジプシーの踊りは異なる。

バルカンジプシーはステップが特徴的、
ターキッシュジプシーは骨盤を持ち上げる動きや身体を叩くアクション、
インドジプシーは高速で繰り返される旋回など。

すべてにおいて決まりごとなく自由に踊れる。
ジプシーの人たちのように、今を楽しみ、情熱的に踊ることが大切。
腰から上の動きが多いオリエンタルベリーダンスに比べて、

足の複雑なステップや、
ジプシーの生活に根ざした力強い動きが多くみられる。
洗濯物を干す、子供をあやす、料理を作る、化粧をする、

といった動作をイメージした振り付けなどもよく見られる。
トルコのジプシーをモチーフにした

ターキッシュロマスタイルが多く見受けられる。
東欧のジプシー・ブラス系の音楽がよく使われる。
それらのジプシー音楽には

踊りださずにはいられない独特の魅力があり、
音楽の魅力に見せられて

ジプシースタイルのベリーダンスを始める人も少なくない。
特有のビート感や軽快なリズムが特徴で、

9/8拍子などの変拍子も多い。
衣装は、綿素材で裾が大きく広がる10ヤード以上の

カラフルなスカートがよく使われる。



代表的なものを上げましたが、ベリーダンスの進化は止まらなくて、

フュージョン・スタイルにおいては多岐に渡ります。

それ以上はもう想像の世界にしておきます。





習い始めの頃は、女らしさが邪魔だったし面倒だったから、

オリエンタルよりもトライバル・フュージョンがやりたかったんだ。

とにかくかっこよくてさ。

でも最近は、オリエンタルの面白さがわかってきたな。


アメリカでブレイクするまでは不遇の時代もあったけど、

世界のどこかで常に誰かが受け継いできたのは、

それが絶対に必要なものだったからだと思うの。



本来の自分に目覚める場所になるという。











つづく。