子どものときは絵を描くのが好きだった。

同居していた叔母とも、
 
よく絵を描いて遊んだんだよなぁ。

4歳未満の記憶。

叔母が嫁ぐ前日は、
 
二人だけで大きな公園に行って遊んだっけ。



年子の妹がいたから、

母親にかまってもらえないわたしがかわいそうだったみたい。

祖父母は私が生まれるより前に亡くなっていたので、

わたしは叔母っ子だった。

叔母が嫁ぐ日まで。

叔母は気を遣って、一度も里帰りをしなかったな。



思春期を迎えて、自分の思いがぐちゃぐちゃになった時、

悲しくなって自分の思いを全部言葉にして吐き出したら、

思った以上にすっきりしたのが、快感であり感動だった。

それが、書くようになった始まり。



思い浮かぶ事柄を
 
ひとつずつ文字に変えて書き出していったら、

考えが整理されて方向性が定まって、

何がしたいのか、何が嫌だったのかを把握できた。

何が問題で、
 
それにはどうすればいいのかなんてことも見えた。

10代の頭の中身だから、
 
当然主観的で独断と偏見に満ちていたはずだけど、

書くことで自分を確認することができたと同時に

カタルシスを体験した。



マメじゃないから、
 
せっせと日記を書くなんてことはしなくて、

不定期的に浮上するつぶやきだったり殴り書きだったり。

だけど悲しい時も、むかついた時も憎たらしい時も、

書けば自分へ着地ができる。

書いたらすっきりするからそこで終わって、

落ち込んだら思いだしたようにまた書いて吐いた。

そんなことを繰り返しているうちに、
 
書くことが生活の一部になった。



ブログにして定期的に物を書くようになったのは

今の仕事に就いてから。

最初は悲惨なブログだったけど、変化があった。

楽しいことやうれしいことを書くようになった。



飽き症でめんどくさがりだけど、

書くことは飽きないしめんどうじゃない。

20歳ぐらいから

『70歳になったら自伝を書こう』

って漠然と思いだした。



出版とかはしないと思うけど、
 
どうせならおもしろく生きて、

あとのお楽しみにすれば、
 
生きることにも意味が生まれるから。

何歳まで生きるかはわからないけど、

60歳では早いって感覚があったので70歳。

自分の半生を書きたいんじゃなくて、

人生を書こうと思ってるから。



その計画を今も持ち続けている。

そこには、
 
わたしの体験した辛かったことも悲しかったことも

うれしかったことも楽しかったことも全部書く。

ブログは単なる忘備録にすぎなくても。

書くことが生きること。



ただねぇ、20歳の時には、

女性の70歳がアルツハイマーの好発年齢って知らないから。

その時運が良ければ生きてるけど、

認知症状が出てたら、

自伝のこと

全部

忘れちゃうかな