卒後2年は打ちひしがれるだけの毎日で、

一生この時間が続くものだと思っていた。



それでも連休なら、

名古屋へライブを見に行けるようにはなった。

アコースティックのライブなら、椅子に座って見れたから。

体はだるくて重くて

常に鉛を背負っているみたいなので、

遠出をするのは本当に苦痛だった。



生活の中に楽しみなんてなかったけど、

少し時間ができたので、

ギターを習おうと思った。

独学だったので、ちゃんと教わろうと思って。

それが3年目の秋。

何処のスタジオもレッスンの曜日と時間は固定されていて、

3交代残業過多のあたしが通えるところはなかったけど、

それでも探してた。



そしたら、ひとつだけあった。

そこは名古屋の専門学校で、

夜間は月謝制のミュージックスクールをしていた。

遠くて月謝も高いけど、それでも行きたいかな??

時間とお金の無駄にならない?

若い子しかいないんだろうし、ばかにされそう。

仕事で疲れるのに、また疲れに行くようなもんじゃない?



こんなとき、正しいお金の使い道はきっと、

『結婚相談所に登録すること』

なんだろうなって思ったら、

気持ちが固まった。



散々な思いをして貯めたお金は、

好きなことに使わないと。



そこでちんたらちんたらギターを弾いていたんだけど、

自分の独学はそれほど大きく外れていなかったということはわかった。

歌も教えてくれるので、一緒に教わることにした。

そしたら思いのほかへたくそで、これは問題だと思った。

あたしにとって歌はガス抜きする手段でしかなかったんだということを、

痛感した。

『高音を出してみたい』、『女性ボーカルを歌ってみたい』以前の問題。

歌って、誰でも歌えるもんだと思ってたよ。



声が出ないのはもうずっと昔からのことなので、

半ばあきらめ、

睡魔に負けて腹筋や呼吸訓練やストレッチをさぼってる。

歌えないのに歌っているあたしを先生はどう思っているのだろうと思って、

それとなく聞いてみた。

努力不足は自覚しているので、それとなく。

「何処をゴールにすればいいのか」

と。



先生は明言はしなかったけど、

楽しく歌えたらいいんじゃないかって。

そうなの、あたし、本気出していない。



キムラさんに、来年の誕生日から2年後の誕生日まで

仕事を変えてはいけないと言われたことが、

思いのほかのしかかってる。

あたしねぇ、仕事辞めて実家に帰ろうと思ってたんだよ。



ところが、あと3年の首輪生活を約束された。

あたしの嫌いな3交代勤務の。



あぁ、予定狂っちゃったなって思って。

でも別にね、何もないの。

あたしの行きたい所と言ったら、ライブと神社ぐらいで。

やりたいことと言ったら、ほかには何もなくて。

ダンスも、歌のために始めたものだった。



仕事は付随物。

でもあたしが生きてくのには、これに依存するしかない。

生活の8割が仕事だから、

そっちにほとんどを搾取されるけど、

3年間腰を据えるとわかったら、

迷いがなくなった。



人と同じ生き方ができなくていいので。



あと3年歌えると思ったら、

なぜだかとても自由になれた気がした。