映画「アラバマ物語」では、二つのストーリーが絡まりあいながら進みます。人種差別による事件の裁判とブーと呼ばれる精神異常者をめぐる話です。どちらも子どもの目を通して語られます。一方は差別との闘いにおける理不尽さ、もう一方は得体のしれない怖さです。ブーがどうしてこの映画に必要なのか不思議に思って観ていました。ブーが子どもたちにだんだんと心を開いていく様子が描かれています。二つのストーリーが最後に結びつきました。二つの物語と二つの正義です。

 

 昨年の12月に映画「情婦」(1957年)を観ました。このときのテーマは、「二つの正義」でした。犯人は法の正義に勝ったけれども、神の正義によって罰せられたというものです。「アラバマ物語」では、白人の娘が黒人の男性を誘惑していたとき、それを見つけた父親が娘の首を絞め、その黒人を殺人未遂で保安官に訴えて裁判となりました。弁護士は法廷で黒人男性の無実を証明しますが、全員が白人の陪審員は黒人を有罪とします。その黒人は移送中に逃げだし、殺されてしまいました。なんとも理不尽な話でした。

 

 しかし白人女性が既婚の黒人男性を誘惑しようとした事実は裁判のなかであからさまになってしまい、それを逆恨みした父親と白人男性たちは、弁護士の息子と娘がハロウィーンから帰る途中に夜の森で襲います。そのときにブーが現われ、子どもたちを救ってくれますが、もみあっているときに父親をナイフで刺し殺してしまいました。

 

 保安官は弁護士に、父親が転んだときに誤ってナイフで自分を刺してしまったのだ、ブーは無実だ、父親が亡くなったのは当然の報いなのだ、と告げます。それを聞いていた弁護士の娘は、「ものまね鳥を殺してはいけない」んだよね、と言います。父から教えてもらった格言の意味は、罪のない者を罰してはいけない、ということだと悟ったのでした。ここでも、法は正義であり、間違った判決でも受け入れなければいけないけれども、神の報いは別にある、というキリスト教世界の倫理が顔をのぞかせました。