いっちゃんです
お久ぶりです😁
18日も経てしまいましたが、7月9日に知多半島の先端の内海海水浴場に泳ぎに行ってきました
感想ですが、今年は しんどかった〜
まず、大得意だった平泳ぎですが,
昨年までは、まだマシだった足の動きも、
今年は、特に右足が手の動きに対してアホのように連動して動かなくて、速度も距離も出なくなっていた
更に、ほんの少し泳ぐと、手や足の筋肉の動きをコントロールできなくなるだけでなく、
1番苦しかったのは息で、息がもたないからしんどくて、、
体力も酷く低下していることを実感した
究極だったのは、これまでは話題にもしなかった''漂い''。
"海に仰向けになって浮いて力を抜いて漂う"ことにより、波に逆らうことなく 体力を回復する方法で特段説明する必要は無いと思う。
但し、おおよその進路を決めるため、
手は軽く海水をかくように動かしていた
この''漂い'' を、昨年までは 当たり前のようにやっていたのですが、
今年も昨年までのように、仰向けなり漂って疲れを癒していたのですが、いつものように右手でほんの少し強く海水をかいて方向転換しようとしたら、手の動かし方をコントロールできなくて
方向転換できない事に焦り、少しばかりの海水を飲む乱れた動きをして 溺れかけました
私もこれにはビックリ‼️
しかし、その時は 大脳では対処できないか?
と変に納得していた。
もう少し重い説明を加えます。
脊髄小脳変性症とは、筋肉の動きを司る小脳が変性してゆき、さらに、反射的な動きを直接指示する神経や、皮膚や筋肉に発生する信号を小脳に伝え、逆に小脳から筋肉への指示を伝える神経の働きも失調させていくことにより、全身の動きがゆっくりした速度で冒されていく進行性の神経難病なんです。
しかも、その病症は罹患者が死ぬまで、悪い方向に一方的に進行していくので、別の理由が発生しない限り、地獄の苦しみを存分に味わえることが保証されてます。
しかしながら、何年もかけてゆっくりと進行するため、早くから諦めてはイケナイと思います。
どんな理由があっても、人生は1度きりなので、病気に抗ってできるだけ楽しく過ごすことが良いのではないかと思うのです。
私の「海」も、自由で楽しいを満喫するための良いカンフル剤になったと思います。
さて、私があんな”漂い'' という単純なステージで溺れた理由を考えてみました。
私はこれまでの長い人生の中で溺れたことは1度もなかった。大抵のことなら、海水中であれば対処できるとたかを括ってましだ。
普通なら小脳が片手間に解決するような些細なことの筈が、溺れるとは?
小脳の偉大な能力と比べると、大脳の解析力など如何にちっぽけな能力なのかを、病気が進むことによって充分に理解していたつもりだった。
リハビリ時には、わざと大脳に動きに関して代わりを担当させてみるのだが、危ないと感じた時には、既に小脳が情報処理と各筋肉への指示を終わっていて、怪我を回避した後だったことは何回もあった。
しかし、今回の「海」で、私の小脳は 思っている以上にポンコツ化してることを 実感してしまったのです。
マジで死ぬかと思いました
今年は、いつも一緒に来てくれる弟や元水泳部キャプテンは来れなかったので、
高校時代の野球部の連れ達と、初めて内海に来たこともあり、
'' もし私がここで死んだら、コイツ達や他人にも、大迷惑を掛けるだろーな! と大いに反省して、私の海への挑戦も、今年で最後にしようと決断しました。
従って、私が歩けなくなった翌年に、40年振りに海に泳ぎに行き、
その時に感じた「自由」と「沸き立つ程に感じた体力と力」に感動して.その年から始めた
''Let’s swim in the sea“
7話目の本日、歩けなくなってからは8年を経ましたが、''頑張ればできる'' ''だけど、なるべく他人に迷惑をかけないよう'' という言葉を残して終わりたいと思います。
(ブログに歯抜け が有りますが、恐らく昨年やらかした私のミスが原因です。復旧もできなかったので放置してあります)
応援してくださった方は、ありがとうございました
最後に、今回私を介助してくれた連れを紹介します。
高校時代は野球部キャプテンだったB型君と野球部員だったO型君です。
尚私は、野球部でなく ラグビー部でした
O型君と
序でに、今の私の脊髄小脳変性症の進み具合の一部を簡単に説明します。
陸上での動きは酷いもので、日常的に必要な動きは。情けないほどほとんどできません。
しかし、40代半ばから毎日続けてきた筋トレの多くは、身体障害者となってからも、型を改善しながらあるいは強化しながら続けてきました。
目標としたのは、2022年8月11日のブログで説明した、(左)横介助歩きのリハビリをやり続けらるように身体をつくることです。
現在は横介助歩きのリハビリ以外では、歩く練習や日常的な介助歩きはしておりません。
室内用と外用の車イス(10年前に自費購入した)を保有しており、家の中でも外でもその車イスで移動しています。
リハビリ歩き時の横介助者は、私のグラグラを受けながら私の歩きを介助しなければならないため、そこそこ大柄な力のある男でないとできなくなりました。
ですから、今はそのようなPTさん等にお願いして、週に3回、一回辺り10〜15分ほどの横介助歩きを実施しています。
ところが、脊髄小脳変性症は、進行性の難病なので、力も動きも一方的に衰えていきます。
従って、何年も介助歩きをやり続けられる身体を維持するためには、身体の強化が必須であり、病気が進むに従って、むしろ強い筋トレが必要になってきます。
また、筋トレが必要な部位も増えていきます。
もし、介助歩きが5分間も継続できなくなってしまった時には,1番の楽しみだった「海」に行くのも諦めようと決めていたので、
介助歩き可能な身体の維持に必要となった、身体の各部位の筋トレは、健常者だった時にはやっていないほど、時間や回数をやるようになりました。
当然ながら、私の体力は,この病気のせいで、物凄い速度で衰えてきます。
やり始めは一回もできなくなっていた動作や筋トレ(例 えば手摺りを掴んでの片足立ち)でも、
毎日-1年も真剣に頑張って限界を作らずにやり続けていれば、必ず相当な域に到達すると思います。
手摺りに掴まっての片足立ちが 、再びできるようになるまでには、2週間ほど要しました。
ましてや片足立ちハーフスクワットなど夢のまた夢であった筋トレですが、あれから3年間ほど、自ら限界を作らすに毎日頑張り続けた現在は、毎日片足立ちでハーフスクワットを、片足辺り400〜550回ほどやるようになりました。
しかしながら、先程述べたように、この病気は進行性なので、この病気に抗がっている限り 筋トレの強化に終わりは有りません。
筋トレでは、対応出来なくなった時がおわりなのかも知れません。
今回で「海」が終わってしまったので、気持ちを維持し続けることが可能かどうかわかりません。
でも、今のところ大丈夫です
(追記)
私の身体の状態を、グラグラと複視に限ってもう少し詳しく書いてみました。
興味かがあれば、読んでください。
私がどれだけ頑張っても、始終体幹や腰や下半身がグラグラしていて、バランスがとれません。
固定された手摺りがないと一歩も歩け無いのてす。
一般的な手引き歩行は、左右及び前後へのグラグラが強すぎて、私も介助者のPTさんも怖くて、
1歩に向かう前に、介助にならないことがわかり、手を離してしまいます。
手摺りに頼っていても、自由に身体は動きませんので手摺りに掴まりながら転倒することはしょっ中あります。
私は複視が酷くて、メガネでの補正は困難です。複視を抑制するプリズムを20も入れたメガネが、
世界でも最高峰のプリズムメガネです。
そのプリズム20のメガネでも花火を見上げると、花火が倍の数上がっているように見えます。
ですから、花火を見上げ続けられるほど、グラグラが小さくて、体力的にも問題がなければ、花火大会はさぞ綺麗で楽しいんではないかと予想しております。
一方、これだけ複視が酷くなると、距離感がなくなり、手摺りまでの距離を間違えて、手摺りを掴み損なうこともあります。
手摺りの掴み損ないはかなり危険なので、両手共手摺りから離れるタイミングが無いようにしています。
足元の段差や傾きもわからないないので、そのようなものがある時は、介助者の声掛けが必要です
歯ブラシに歯磨き剤をつけようとしても、歯ブラシよりも前に落ちたり、後ろに落ちたりするので、困ってます。
一昨年までは、今掴んでいる手摺りを手離してから、一歩先にあるはずの手摺りに掴まろうと体重移動することもあったのですが、
あると思っていた所に手摺りが無くて、スカを食らって両手フリーのまま、身体を床や置き物の出っ張りにうちつけることもありました。
落ちる先が危険な場所である時ほど、スローモーションに見えました
それから2年後の今は、外はもちろんですが、手摺りがあちらこちらに配置された家の中であっても、車イスで移動しています。
さて、この病気の本症状である グラグラ 感をどう伝えたらわかりやすいのか?
例えば、この病気がそれほど進んでいない約12年前のまだ車イスも使っていない頃に、この辺りを襲った震度4の地震の揺れを、私は体感することはできませんでした。
ただ、地震に伴う音ははっきりと聞こえ、物が揺れている様もはっきり見てました。
一昨年あたりには、横になると はっきり体感しているように感じとれるのですが、
膝下辺りから足先にかけてゆっくり5cmほど上下するように揺れているのです
妻に、今地面が揺れてない?と聞くと、全く揺れていないと言う。
最近は、手摺りを伝って、僅かな距離を歩く際にも、一歩一歩硬いはずの床が沈み込むように感じています。
まだ、私が全く元気な30〜35年ほど前の20代半ば〜30歳だった頃に、どこかのお化け屋敷かイベント会場で経験したことがある足元の感じです。
昨年頃から、体幹や腰周りの筋肉が上手く働かなくなったように、上半身の自重を支えるのが困難になってきた。
背骨が左右方向に曲がってしまい、座っていると簡単に左方向に倒れる。
立っていても、座っていても、身体が左方向に曲がっているのがわかる。
毎日、矯正を試みているが、あまり効果がない。
脊髄小脳変性症は、ALSや多系統萎縮症のように比較的早く全く動けなくなる病気ではないため、
逆に地獄の苦しみは長く続いてしまうのですが、
頑張り代はあると思うのです。
終わってしもうたんじゃな!
'Let’s swim in the sea.’
次は、腸内細菌サプリで
便秘とさらばした話しでもするかの〜
さらばじゃ