終わっちゃった。。。
学生最後のイベントが、今朝で全部終わりました。
追いコンを企画して参加してくれたかわいい後輩と、
いつまでも尊敬すべき先輩方、本当にありがとうございました☆☆

追いコンでも言ったけど、
後輩が嫌い…っていうか苦手!!だった私にとって、
バラブの後輩は色んなことを教えてくれる存在でした。
やっと後輩がかわいいと思えたし、
何よりそれぞれの個性とか明るさとかには、
見習わなきゃいけないことがいっぱいあって、
頼れる存在でもありました。
先輩はもう語るまでもなく、
これだけ大好きなバラブをつくってくれて、
生意気な私たち後輩たちを束ねて、いつでも盛り上げて、
絶対大変だったはずなのにそういう所は絶対見せない、
何に関するキャパも広くて常に憧れです。

追いコンで号泣したけど、
正直なところ実感が全然わかなくて、
また4月になれば、みんな授業だバイトだって忙しがって、
毎月のように車出してもらって旅行して、
ヒマだといっては集まって飲んで、
夏になれば沖縄に行って、冬になればボードに行って、
そんな毎日がこれからも続くような気がしてた。

今もそんな気がするけど、
こうやって部屋で1人になって、
みんなで撮った写真を見てたりすると、
どうしようもない気持ちになってくる。
卒業旅行のDVDとか、みんなで見る時以外は見られない。

みんなで出かけたことが懐かしいのと、
こういう時間が終わってしまったことを確認するのが辛いのと、
逃げようがないけどとにかく寂しい。


大事な大事なバラブの同期へ

みんなが新しい世界を持って、
そこにかける時間が確実に一番長くなっても、
それでもこの大学生活を一緒に過ごせたのは、
これからの新しい世界とは比べられないステキな時間でした。

いいとこも悪いとこも、
認めて笑ってくれるみんなでいてくれてどうもありがとう。
顔も心もすっぴんをさらけだせる友達でいてくれたこと、
ほんとに言葉にできないほど感謝してます。

このつながりはこれからも、
長く長く続いていくと信じてます。
続いていくための努力は、勝手にでもするよ。
同じ時間を過ごせることは少なくなるけど、
その分たまに顔を合わせる時を大事にできると思ってます。

どんな言葉にしても伝わり切らないけど、
本当に本当にありがとう。
これからもずっとね。

昨日は久々にBar に行ってきた。

普段も全然行かないけど、ごくたまに機会があれば、

うっかり入って飲んだりもする。

いっつも入るときちょっとドキドキするんだけど。


友達に一度勧められて以来、いつもラムを飲む。

一番大好きなロンサカパ・センテナリオXOに出会ったのも、

沖縄の”アフロバー”っていうバーだった。

種類も味も全然詳しくないんだけど、

詳しくないからこそ、バーテンさんに教わりながら飲むのも楽しい。



3時過ぎくらいに新宿3丁目の”HAVANA”へ。

新宿では比較的ラムを置いてる店だと聞いてたので、

行く前から何を飲むか色々考えてた・・・


んだけど、それを覆すようなお酒を置いていた。

Legend of Cuban Rum


1940~50年にキューバで蒸留されたものを、

スペインの酒蔵で熟成してきたらしい。

門外不出だったこのラムも、

オーナーが子供の不幸をきっかけに酒蔵を売却したため、

今では1年に300本程度ボトリングされてるとのこと。

今はその酒蔵も更地になってるらしく、

「失われた時間の詰まった伝説のラム」

とか言われている。

付け焼刃の知識ですが。


同じく最近ラムにはまった友達と、

偶然この日「飲んでみたいねぇ」って話してたら、

メニューにうっかり載っていた。


さすがにいいお値段はしたけど、

せっかくだし頼んでみる。


1日たって味とかもはやあんまり覚えてないけど、

香りがすっごく甘ったるくて、本当にいい香り。

実際に口に入れると熱くて強いけど、濃い感じはしなくて、

わりとさらっとした感じ。

高くて熟成されたラムっていうと濃いイメージを勝手に持ってたから、

けっこう意外だった。

スパイシーっていうのともまた違うけど、優しい刺激がある感じ。


これ以上に気に入ったのは、Captain MorganのPrivate Stock。

もともとバニラスパイスが入ってるので好きだったお酒だけど、

さらにバニラフレーバーが強くなってる感じ。

これは割と、とろ~んとしてて、すごく飲みやすかった。

家にも1本欲しいところ。


他にもHavana Clubの15年とか、

滅多にお目にかかれなそうなラムもオーダー。

あとは、初めてベネズエラ産のパンペロ・アニベルサリオも飲んだ。

ちなみにパンペロ=大草原を渡る風 っていう意味らしい。



ラムの味なんて、舌が肥えてないから全然わからないけど、

比べて飲んでみるとやっぱり個性がそれぞれで面白い。

そのお酒にストーリーが隠されてたりもして、知識としても楽しい。

希少性が高いものでも、

1杯あたりは手が届く範囲内のものが多いので、

見栄っ張りな自分の性格にも合ってるお酒なんだなぁ、

って再確認。

ただ、貴重なお酒を高いお金を払って飲むばっかりじゃなくて、

今回のCaptain Morganみたいに、

本当に自分好みのラムを見つけられた時も最高に幸せ。


まだまだ飲んでみたいラムはいっぱい・・・。

ロバと王女2



今日も渋谷で一人映画をしてきた。


Bunkamura ル・シネマで見た「ロバと王女」 


映画の公開日に新聞広告で見て、

そういえば小さい頃によく絵本で読んだなぁ・・・と思い出して以来、

ずっと見に行きたかった映画。


昔読んだ絵本っていうのが、小学館の世界名作童話集みたいな本で、

他にも色んな童話がいっぱい入っていた。

絵も子供だましじゃなく、話ごとに色々なイラストレーターを使っていて、

特に「シンデレラ」とか「赤バラ白バラ」「トム・チット・トット」、

そして「ロバと王女」の原作の「ロバの皮」の絵はすごく繊細で写実的で、

それまでディズニーとかお話絵本とか、いかにもイラスト、

っていう絵本に慣れていた自分にとっては、

子供ながら「これは別格」と思える絵本だった。


この映画の原作の「ロバの皮」は「シンデレラ」と同じペローの作品。

ストーリーの構成はやっぱり似ていて、

他の誰もが気づいていないような身分の低い美女を気に入って、

その美女が身に付けているものを1つ手に入れると、

それを国中の女性に試させてお相手を見つける・・・。

っていう展開。


青の国のお姫様(カトリーヌ・ド・ヌーヴ)は、

母親を亡くして以来、王様である父親から求婚されて困っていた。

というのも、母親は「自分より美しい人と再婚して」と、

王様に言い残していたのである。

王様はお妃様より美しい人はお姫様しかいないと確信し、

結婚を迫っていたのだ。


お姫様は妖精リラに悩みを打ち明け、

無理難題を王様に突きつけて結婚をあきらめさせようとするものの、

空色や月色や太陽の色のドレス、

そして国宝である、宝石を生むロバの皮でさえ、

王様はお姫様のために作ってしまう。


結婚に応じようとするお姫様だったがリラは反対し、

ロバの皮をお姫様にかぶって遠くの農村に身を隠すよう助言をする。

いつでも皮をかぶったままのお姫様は


「ロバの皮」と呼ばれ農村の嫌われ者だったが、

一人離れの小屋で、王様に誂えさせたドレスを着ている姿を

偶然見かけた赤の国の王子は、一目ぼれして恋の病にかかってしまう。

病気になった王子のために、家来は「ロバの皮」にお菓子を作らせる。

お姫様は自分が作ったことの証明に自分の指輪をお菓子の中に隠し、

家来が持ち帰ったお菓子を食べた王子は、

その指輪がぴったりとはまる人と結婚すると宣言する。


結局、シンデレラと同じように、城にやってきたロバの皮の指に、

その指輪がぴったりとはまり、めでたくお姫様と王子は結婚。

さらに王様は何と妖精リラと再婚。

究極のハッピーエンドな話だった。


童話だけに、突っ込みどころを探すとキリがなく、

映像的にも「そのシーン、必要??」といいたくなるような、

冷静に見てしまうと大爆笑のシーンもたくさんあった。


奥様は魔女とオズの魔法使いを足したような映像で、

しかも中世ヨーロッパをイメージした舞台ながら、

ヘリコプターも出てきちゃう何でもアリの世界。


ただ、この映画の価値は、CGも発達していなかった70年代に、

セットを駆使して夢の世界を作り上げて、

チープで豪華な御伽噺の中に浸れるところにあると思う。

ストーリー云々じゃなく、

目の覚めるような3種類のドレスや、

ベッドの頭にお城のミニチュア、掛け布団は野原のかわいい寝床、

森に住む妖精の美しさ、

目立つものの一つ一つにいちいちうっとりさせられる。


何よりカトリーヌ・ド・ヌーヴやデルフィーヌ・セイリグが、

絵本から出てきたように美しくて、おとぎの世界に説得力を与えるし、

ジャン・マレーもジャック・ぺランも王様と王子様がハマってて、

あんな格好をしてても違和感を感じさせなかった。


昔あこがれた絵本の中の世界に、

実際に人間がいるということを楽しめた映画。

70年の映像のざっくりさにちょっと笑うこともできるし、

想いっきり魔法の国に陶酔することもできるし、

自分がどの軸で見るかを決めれば、

色んな楽しみ方ができる、

色んな意味でおもしろい映画だった。

先月の土曜、夕方から渋谷で久々に一人で見た映画が空中庭園。

5月にテアトル新宿で「イン・ザ・プール」を見たとき予告編でやっていて、

見たいと思っていたら、監督が捕まってテアトル系で上映中止になった。


なかなか行かない渋谷という土地と、

かなりキャパの少ないミニシアター、

久々の一人映画というハンデを乗り越えて見に行ったのは、

角田光代の小説が、どうやって映像になるか興味があったから。


「対岸の彼女」で直木賞を受賞してから、何冊か彼女の小説を読んだ。

全て表面上は当たり前にすすむ生活を描写しながら、

それを裏打ちする過去や、それぞれのバックグラウンドを、

少しミステリアスに解きほぐす。

同じ時間軸にありながら、全く性質の異なるいわば2つのストーリーを、

どうやって進めていくのかなぁ、と思った。


淡々と生活描写をすすめる中にも、

狂気を持った心情描写がされている、

あたりまえと言えば当たり前のつくり。

ただ、表面上の平淡さと深層の激しさにギャップがありすぎて、

人ってこんな狂気を持っているのかも…と思うと物凄くこわかった。


覚醒剤だか薬物使用だかで捕まってたからこういう描写なのかなぁ、

とか少し考えてしまう。


実は母親を愛し、そして愛されていたのかもしれないということに気づき、

時を同じくして家族のルールが何の意味も持たなかったことを知る。


ベランダに出た絵里子が血の雨を浴びながらひたすら叫ぶシーンは、

本当に病的。個人的にはもっとあっさりしていてほしかった…。


あとは、もっと映画で

「隠し事をしない」という意味にもっと触れてほしかった。


本を読んだとき、

「隠し事をしない」というルールの持つ意味にはっとさせられた。

一度隠し事をしてしまえば、いつかそれを吐き出すのは、

それは相手に物事を隠しているという罪悪感から解放されたいから。

一見それは、相手に隠し事をしてはいけない、

相手に真実を伝えようという、

隠し事をした者なりの誠意に見えるかもしれない。

でもそれは、後ろめたい気持ちを抱えきれなくなった弱者が、

カミングアウトしてラクになりたいだけなのだ。


でも、打ち明けられた側は??

隠し事をされていた、という出来事に対する衝撃。

さらに隠し事の内容によっては、

突然知らされる事実と向き合い、そして苦しまなくてはならない。

隠し事をしていた当人が抱えていた苦しみが、いつのまにか転嫁される。


隠し事を分けたことで、罪悪感から解放される者。

隠し事を分けられたことで、目を背けたかった事実を突きつけられる者。


「隠し事をしない」

それは最初から秘密を作らないということであり、

隠すという行為がない、ということであり、

それはつまり、秘密を抱える強さが無いものは、

最初から隠しごとをするな、ということなのだ。

隠し事をしない人間も、秘密を抱えきれる強い人間も、

存在するはずもないのに。


じゃあ、私は?

誰かに隠し事をしていたとして、

でも、真実を伝えることが正しいことだと思っていた。

それは、この作品を読んだあとでもあまり変わらない。


だけど、自分が隠していた何かを人に話すとき、

それは確かに自分がラクになりたいから話すこともある。

罪悪感からラクになることもあれば、

話したいという欲求を満たす意味でラクになることもある。


結局、誰かに物事を伝えることなんて

所詮エゴなんだと思う。

相手のためを思って口から出る言葉なんて、

この世の中にはほとんどないんじゃないかと思う。


でも、自分のエゴと他人のエゴとが重なり合うとき、

きっとその人に出会えて良かったんだ、

と感じるのかもしれない。


自分の好きなこと、何かを見たり聞いたりして思ったことを、

気が向いたらちょっとずつ残していこうかな、と思う。


細く長く、気が向いたらアップする程度のつもりだし、

そんないいことも書けないし、

それでも自分が感じたことを文字で残して、

例えば映画のレビューを書いたとしたら、

この先年をとって同じ映画を見直したときに、

あの頃の私はこんな風に思ってたんだ、

とか、誰とこの映画を見たな、とか、

一人で見たな、とか、大抵一人で映画見てたな、とか、

懐かしく振り返るための、

備忘録的レビューにしようと思う。


ヒマな人はどうぞ。