つらつら思うに、人は、緊張していると、むしろ感覚がにぶり、感ずるべきものを感じなくなる。
気を楽にするとは、鈍感になるのではなく、逆に敏感になることなのである。
緊張しても、興奮していても、敏感にはなれない。
 
英国人がドライなユーモア感覚を尊び、応援する時、「頑張れ!」とは言わず、「リラックスしてね」と言うのも、その辺に理由があるのだろう。
世界大戦直後に出て、長期間ベスト・セラーになった”How to be an alien”という本がある。ユーモアあふれる英国論である。
著者は、英国に帰化したハンガリー人、George Mikes (苗字はミケシュと発音するらしい)である。和訳すれば、「どうしたら異人さんになれるか」かも知れないが、いい訳が見つからない。
もともとハンガリーの法学士で英国に帰化した人だ。彼曰く、「英国人は、お前はバカだと言われるより、お前は興奮していると言われた方が傷つく」と。ユーモアのセンスがないと言われたのと同様に傷つくのである。
要するに、ベタベタした英国論でもなく、かといって、嫌みもない。半世紀前、彼が来日した時、在日の英国大使の計らいで、彼とお茶を飲んだことがある。卓越したユーモアと心が広く、暖かい人物という印象であった。今再読しても、笑いがこみ上げてくる。一読をお薦めする。

個人的には一緒に居て楽しい人が沢山居るのに、集団になると突然人が変わるのが韓国であろう。大衆迎合を国是とする風土では、歯止めが効かない。
韓国人は、最も感情的、情緒的になりやすい人達として、つとに世界中で有名だ。
理性も分別も忘れて、一途に反日感情を爆発し続ける。そうすればもっと日本人から同情を得られるとでも誤解しているかのように。
デモといえば、10万人の群衆が容易に集まる。日本では、1~2万人がせいぜいだろう。
ソウル五輪では、ボクシングで同国選手が外国人選手に負けたら、群衆がリンクに駆け上り、勝者を袋叩きにした。
ユーモアを尊ぶ精神文化がもう少し必要なのかも知れない。
 
以前にも書いたが、対象から近すぎず、遠すぎず、適度な距離を保つことが、ユーモア精神を維持する秘訣だと思う。冷戦時代のルーマニアとソ連の関係(2014-05-23 兄弟より友人)を思い出して欲しい。
韓国人を兄弟と見ないで、友人とみるのである。兄弟なら永遠に縁を切れないし、兄のくせに、弟のくせにと、感情的にもなりやすくなる。友人なら、イヤになったら、いつでも縁を切れるのである。
だからと言って、対韓絶交を主張するつもりはない。心身を楽にして、改めてゼロから出直し、お互い持続的に友人になる道を探ってみてはどうか。

 安全保障に入る前に、もう一度日本叩きの時代を振り返ってみたい。
 当時もドルは基軸通貨で、貿易決済の多くはドルでなされていたから、米国が黒字を続けると、米国を除く全世界は、赤字が続き、最終的には、世界経済は破綻する。米国の赤字が「適度な」レベルにあることが、世界経済には必要不可欠なのである。赤字は、必ずしも悪ではないのだ。
 従って、赤字をあたかも「悪」として問題視するのは、別の政治的狙いがあるからだ。
 
 そもそも「適度な赤字」とは何か、それを決める公明正大な基準とは何かは、難問で、なかなか結論は出ない。しかし、政治的には何かしないわけにはいかない。
 加えてあの頃は、米国の経常収支赤字の6割が日本であったから、日本の黒字は目立った。
 更に、米国の象徴である自動車が高品質の日本車に圧倒されているのも目立った。自分の象徴が傷ついている。ハリウッドやマンハッタンもそうだ。これらは、米国の象徴なのだ。それが外国に乗っ取られる。米国はどうなるのか?
 更にまた、相手は、あの真珠湾の日本だ、となる。単なる貿易問題ではなくなる。
 これに日本や日本人に対する百年来の人種的偏見も重なるから、気が遠くなるほど厄介な日米摩擦であった。
 
 そうなると、米側の指導層の多くは、一般市民と同様、日本を叩きつぶせ、となる。その最初の矛先が「プラザ合意」や「日米構造協議(通称SII)」を生んだ。
 SIIは、フォローアップも含めれば、1989年から数年続いた。結果、米側にも宿題はできたが、日本は、公共事業投資、大店舗法改正、土地税制の見直しなど、従来の貿易交渉の対象分野を遙かに超える譲歩を約束することになった。
 それは、旧財閥等の系列優遇への攻撃を含むものであった。
 当時英経済誌「エコノミスト」の東京特派員(後に同誌編集長)だったビル・エモットを南カリフォルニア日米協会が招聘して午餐会で講演してもらったことがある。質疑応答の時間帯で、米国人会員が「日本の閉鎖的な旧財閥の系列問題をどう思うか」と質問した。
 エモットは、「それには質問の形で答えたい。ドイツにおける『系列』は、日本の比ではないほど強烈で、外国企業の進出には大きな障壁になっているが、なぜあなた方は、そのドイツを責めず、日本だけを責めるのか知りたい」と述べ、質問者は沈黙。しかし、満場大拍手だった。

 トランプ大統領の日本批判は、これからどの方向に進むであろうか?
 今や、当時と比べると、米国の赤字は、日本が全体の10%以下で、対中国赤字の方が遙かに目立っているから、対日赤字をめぐる状況は、かつてより深刻ではない。彼が現実を知り、かつ米国オンリーではなく、相互依存の重要性を理解すれば、日本叩き再燃の可能性は低くなるだろう。彼が、頭を切り換え、知識をアップデートして、TPPを支持する側に立ち、もっと重要な課題であるアジア・太平洋の安全保障確保をより確実にするような日米協力に力を傾注してもらいたいものである。
 米国人は、もともと交戦好きである。そう言うと、多くの米国人は、驚き、あ るいは否定する。米国人ほどの平和愛好者はいないと思っているからである。
 わが国のように、大戦後一度も武力を行使したことがない国の国民からみると、米国は、非常に好戦的に映るのは確かである。
 しかし、第二次大戦後、F.ルーズベルトからオバマまで、戦争をしなかった 大統領は1人もいない米国である。米国の国防予算は、NATO諸国の国防予算の総計の倍以上もある。武器の個人所有も認められている。これだけ見ても、米国が好戦的と言える少なくとも「傍証」にはなると思うのだが、納得しない米国人は多い。
 
 トランプ大統領となると、どうみても「猛烈に」喧嘩好きにみえる。しかも、 口汚く、挑発的な言辞を使って、悪口雑言、罵倒する。相手は、それに最後まで付き合っていては、己の品性を落とすことになるから、途中で黙ってしまう。しかし、彼は、自分の品性が疑われることを恐れもしない、あるいは恐れを知らないかのように振る舞っている。最も控え目に表現しても、「並以上」の喧嘩好きと言えそうである。
 これだけでも、日本にとっては、最も手強いタイプである。加えて、トランプは、独善的米国至上主義ときた。これでは、かつての「醜い米国人」の再来である。
 
 1958年に出版された政治小説「The Ugly American(醜いアメリカ人)」(Eugene Burdick and William Lederer共著)は、当時一世を風靡した。日本でも、若者の間でさえ知られる程有名だった。5年後には、マーロン・ブランド主演で映画化もされた。東南アジアを舞台にした、米国外交をめぐる小説である。
 激化する米ソ対立の狭間であえぐアジアを味方につけなければならない立場にありながら、現地語も現地の文化も知ろうともせず、勝手な大国外交を展開する米国を批判した小説である。
 
 しかし、これまでの日本の対応は、まるでサマになっていない。「日本の対米投資が少ない」「日本はフェアでない」と文句を言われて、「近く何兆円追加投資する予定です」と応じているよう では、いつまでたっても先方の偏見は直らない。むしろ、日本の会社や政府は、自ら自分達が悪いと認めたと確信させるだけである。反論にも喧嘩にもなっていない。
 担当大臣は、テレビで「米国製自動車に対する日本の関税はゼロだが、米国関税は2.5%だ」と反論した積もりでいるようだが、これでは対等の反論ではない。補足で付け足す程度の話であろ う。要するに遠慮のし過ぎである。
 また、筋悪の悪口雑言に対して、「対米追加投資をします!」では、負けを認めたも同然である。
 こういった日本の対応の下手さは、政府もメーカーも、同じ穴のムジナとしか言いようがない。
 
 でも喧嘩下手な日本でも、やり方はあると思う。「米国こそ、日本に会社をつくって頑張るべし。逆に撤退するようでは敗北を認めたも同然だ」「ヨットのようなバカでかい米車では、日本の道を走れず、ショーウインドウを飾れるだけだ」とでも応ずるのがコミュニケーションというものであろう。
 付け足しをもう一つ。2~30年前、よく日本人は、「米国は買え買えとうる さく言うが、買う物がないではないか」と反論していた。これは、大間違いである。これを聞いた米国人は、皆意気消沈し、反日感情を逆に強めたのだった。
 あの当時でも、また現在でも、相手国商品の購入額を比較すれば、日本人の米 国商品購入額は、米国人の日本商品購入額を上回る。相手国からの輸入額を人口で割り算した数字である。これは、 米国商務省統計でもジェトロ統計でも変わりはない。
 これは、三つのことを意味する。第1に米国にも売れる商品が沢山ある、第2 に日本市場は米国市場と同様に開かれている、第3に両国は良き貿易パートナー同士である、ということである。
 この論法は、皆歓迎してくれる。反日、排日感情が最高潮だった当時、この話 を講演で言うと、皆演台に駆け寄って来て、いい話を教えてくれたと、目を輝かせて謝意を表してくれた。
 また、TPP反対のトランプだが、一国づつ交渉し直ししていたら、あと何十年かかるか分かるまい。スピード感を重視するトランプや安倍首相の好みではなかろう。表向きは、二国間でも、実質は、TPPとほぼ同じ中味なら話は別である。お互いその辺で手を打つべきだと思う。
 
 しかし、安全保障の問題となると話は別だ。事態は、もっと深刻になり得るからである。次回以降に論じてみたい。