10数年前からの持論なのだが、日本のデフレは、近年までは「豊かなデフレ」だったと思う。英語で言えば、さだめし"Afluent Defaltion"だろうか。
 内外のマスメディアでは、以前も今も、日本の消費が増えないのは、更に物価が下がるのを待っていて、買え控えしていると評論し続けている。
 そういう人もいるだろうが、多くの人達は、安くなるのを待っているという意識ではなく、一応必要な物はあるので、基本的に敢えて買わなくても生活して行けるという意識なのではあるまいか。その意味では、依然「豊かなデフレ」と言えるのかも知れない。
 勿論、失業やリストラをされた方々は別である。そして、この「豊かさ」が永遠に続くとは誰も思っていない。消費税値上げ、年金削減や支給年齢引き上げ、社会保障制度の負担増、大幅な財政赤字で、加えて賃上げはなし、リストラもあり得べしという状況では、将来への不安は募り、益々不要不急の出費は控える気持ちになるのが自然だろう。

 いや、1986年暮れ頃から始まったバブル景気と言われた期間でさえ、「豊かさ」を実感出来ないと多くの人がぼやいていたように、豊かでもそれを感じないのは、浮き世の性(さが)なのかも知れない。

 以前も若干触れたが、1人当たり国民所得が日本の5分の1であるアルゼンチンで生活して見ると、統計数字では計り知れない豊かさを感じることができた。
 なにしろ、ホームレスがビフテキを食べている国なのだ。衣食住も余暇も、天然資源や観光資源も実に豊かな国だ。
 広大で豊穣な大草原、パンパは、山も谷もなく、肥料がほとんど不要なので、牛肉も羊肉も鳥肉も更に野菜も実に美味い。口蹄疫で日本には輸入禁止だが、パリでは「アルゼンチン牛」を入れていることがレストランの宣伝になる位だ。野菜嫌いの子供も、ブエノスアイレスに行った途端、野菜好きになる。
 土地も安くて担保にならないから、会社がつぶれても自宅は残る。スポーツ施設も沢山ある。
 休暇を郊外の農場(エスタンシア)で過ごせば、1泊1人当たり20米ドル位だった。それも、中程度でも東京23区くらいの敷地で、食事付き、ゴルフ、テニス、プール、乗馬、サッカー等スポーツ施設利用、瀟洒な館での宿泊、全て込みの価格だ。
 過去の資産もある。オークション大手クリスティーズ社の海外最大の支店は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある。市内のコロン劇場は、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並び世界の三大劇場の一つだし、ノーベル賞受賞者は、医学、化学を含めて5名もいる。
 ブエノスアイレスは、花の都パリに比肩する美しさで、マドリッドが田園都市に見えるほどだ。
 1968年、日本が自由世界第二の経済大国になった年、日本の1人当たりGNPは431,700円(1,199米ドル)に対し、衰えたりとはいえ、アルゼンチンは、1,210米ドルで、日本よりも豊かだった。1994年メキシコが先進国クラブのOECD加盟をした時の1人当たりGDPは、アルゼンチン以下だった。
 それでも、彼らも、特に「豊かな国」とは感じていない。

 以前名古屋に住んでいた頃、ブラジルの友人が訪ねて来た。「ここの人達はつつましいよ。このあたりには、冷凍食品を売ってる店がない。皆食事の余り物を小さい冷蔵庫から取り出して、足りない物を毎日店に買いに行く。」と言ったら、「それは何というゼイタクだ!すごい豊かさだ!ブラジルでは、買いだめしとかないと、いつ必要な物が入るか分からない。いつでも必要な物がある、というのは実に羨ましい。」と言う。

 しかし、その「豊かさ」もいつまでもつのだろう。そう長くはもたないとの前提で政策企画をすすめるべきだと思う。
 前述の消費税引き上げから財政赤字の縮小までの対策は、やむを得ない措置として呑み込むとしても、このままでは縮小均衡しかない。要は、成長の維持だ。子育て優遇、科学技術振興、恵まれない人々への安全弁といった国内対策に加えて、世界経済秩序の改革もやらなければならない。自由放任の行き過ぎで、信用創造が信用破壊になった金融秩序の改革や、近視眼的に陥りやすい国際会計基準の見直し、さらには政府や民間の役割の調整も重要な課題だと思う。