天武天皇が女系天皇であることは当時から周知だったのではないでしょうか? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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女性天皇、さらには女系天皇までも認めるべきと答える人が、

今は80パーセント超えているそうですね。当然だと思いま

す。ただ反対派の中には、「日本の何千年もの伝統が・・」

などと言い出す人もいますね。

 

しかしそれは、違うのです。女性天皇については古代に多く

の例があるように、認められてきました。そして女系天皇も、

前から私は書いていることなのですが、天武天皇を見れば決

して頑なに避けられてきたことでないことが窺えるのです。

 

天武天皇の母は、最初は皇極天皇として即位し、2度目は斉

明天皇として即位しています。2度の即位をした、女性天皇

なのでした。

 

そして皇極天皇は当初舒明天皇に嫁いで皇后となるのですが、

すでにその時点で「バツイチ」で子連れでもありました。最

初の結婚相手は蘇我系の貴族・高向王で、2人の間には漢皇

子(あやめのみこ)という男の子もいました。

 

この漢皇子のその後に関する資料が、ないのです。一方で皇

極天皇には中太兄皇子と大海人皇子という男の子がいますが、

大海人皇子の前半生が謎なのです。資料が、ありません。

 

中大兄皇子は後の天智天皇で、大海人皇子はその弟で後の天

武天皇です。ただし実年齢は大海人皇子が4歳上という記述

がある史書もあります。そうなると大海人皇子は兄になるは

ずですが、この当時の兄と弟の定義は年齢だけでなく、家系

を継ぐ継承順位も大きく関係していたそうです。

 

もし大海人皇子が中太兄皇子より年上でありながら王位継承

権が下であれば、たとえ年齢が上でも大海人皇子は弟になり

ます。もしそうだとすれば、何が考えられるでしょうか?

 

漢皇子と大海人皇子が同一人物なら、何の問題もありません。

原則が男系天皇という決まりがあるなら、大海人皇子の父親

は天皇でないのだから、継承権そのものがありません。

 

しかし母親が皇極天皇として即位したことで、そこに継承権

が誕生したのでしょう。そのことが後に「壬申の乱」を呼ぶ

わけですが、結局その戦いにも勝って、大海人皇子は天武天

皇となります。女系天皇が、誕生しています。世論は天武天

皇の誕生を、喜んでいます。女系天皇である天武天皇の支持

率は、高かったそうです。これが、日本の伝統です。