平清盛の死因は猩紅熱(しょうこうねつ)?それともインフルエンザ? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

1181(養和元)年、平清盛は熱病に侵され、そのまま死

に至っております。病名は憶測でしか伝わっておりませんが、

その症状はよく語られております。

 

『平家物語』には、「身の内熱きこと火をたくが如し、臥し

たまえるところ四、五間が内に入る者は熱き耐えがたし・・」

といった具合に書かれています。

 

部屋中が熱くなって人が近づけないほど、なんていささか茶

化した表現になってはおりますが、かなりの高熱が出ていた

のは確かです。

 

後年の江戸川柳でも、「清盛の医者は裸で脈を取り」なんて

形でやはり冷やかしています。他の記録も照らし合わせた推

測ですと、42度以上の高熱が出ていた可能性が感じられま

す。

 

そのことから、清盛の死因でよく言われるのが、「猩紅熱(

しょうこうねつ)ではないか?」という説です。この病気で

は、45.6度まで上がった例があるとされています。

 

ただしこの猩紅熱というのは、伝染病です。他の人に伝染す

る可能性が多々あるのに、そうした事実があまり語られてい

ません。まあ人が近づけないというのは、「隔離」のような

処置もされていたのかもしれません。

 

なので仮に隔離処置によって感染が防がれていたのか、実際

には感染者がいて秘匿されていたとしても、猩紅熱の場合は

見た目に顕著な症状が出ます。舌が赤く腫れる。全身に鮮紅

色の発疹が出る。といった具合です。

 

高熱に対する上記のような冷やかし方を考えると、発疹や舌

の腫れなどがもし出ていたらそれも大いに冷やかしの対象と

して何かに書かれると思います。そうした表現がほぼ見られ

ないところを見ると、猩紅熱ではなく重度のインフルエンザ

だった可能性もあると思います。