戦国時代には、特定の大名家に属さない日雇いのアルバイト兵士が多数
いたことは、これまでにも何度も書いてきました。
普段は、農業をしたり、日雇いで肉体労働その他、食い扶持を見つけて暮ら
していて、戦の報を聞くと駆けつけ、自分を売り込み、臨時兵士として参戦す
るのです。
そんな彼らの就職活動ですが、まず現地に駆け付け、下見をしたり、戦力分析
をします。大将の人格や軍の雰囲気、働きやすさなども、情報収集だけでなく
自らの視点で調査し、どちらの軍につくかを判断するのです。
そうしてつく軍を決めたら、武装し、乗り込んでプレゼンテーション、つまり売り
込みのためのパフォーマンスを行なうのです。
従って、雇われる条件として、体が丈夫で鎧の着こなしが上手なことも条件で
すが、声が大きいこと、自己アピールが上手、つまり話が上手であることが大
事でした。また、バカにできないのが、彼らの情報量です。
下見を繰り返し、集めた情報の中には、内部の武将たちの気づかぬ物も、数多く
ありました。
ただ、そうしてどうにか仕事にありついても、彼らに忠誠心はありません。何せ
感覚はあくまでアルバイトなのですから。従って、命がけで戦うようなことはせ
ず、ヤバくなったらさっさと逃げます。日が変われば、相手方についていたなど
ということも、多々ありました。
当時は「アルバイト」という言葉もないので、彼らのことを「陣借り兵士」と呼んで
いたそうです。
そんないい加減な「陣借り兵士」でも、いないよりはるかにマシ。たとえガヤでも
数の論理はバカにできなかったのです。勿論、いい加減な者ばかりでなく、戦功
あって家臣として登用され、出世した例も少なくなかったですが。
ただしここで大変なのは、大将です。当時は、有力家臣の裏切りも、日常茶飯事
でしたので、部下は上から下まで何をするかわからない。そのため、本当の参謀
は正室(妻)のみで、夫婦の会話は戦における作戦会議だったという現実が、あ
りました。
そんな中、大将、つまり戦国大名たちは、部下をどのように掌握したか、「陣借り
兵士」たちをどのように集め、良い仕事をさせたか。それは、小細工やアメとムチ
ではない、「正攻法」で行くしかなかったのです。その正攻法とは、「能力と人格
を磨くことに他ならない」のでした。
戦国武将には、本当に立派な人が多い。これは、計算高く、何をするかわからな
い部下(勿論、陣借り兵士も含みます)たちによって育てられたものといえるでし
ょう。尊敬に値する大将でないと、戦になりませんでした。
何か、現代のヒントにもなりそうなこの戦国時代の兵士事情ですね。