風魔小太郎伝説・忍者たちの戦国時代。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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空を飛ぶ山伏、役小角。昼は朝廷の高級官吏で夜は地獄の閻魔大王の

秘書、小野篁。非常に誇張された言い伝えの残る人物が日本の歴史上

に数多いです。


上記の二人に関しては、今月3日と8日にそれぞれ題材にしておりますの

で、よろしかったら検索してみて下さい。


そして、風魔小太郎という名前、聞いたことはありませんか? 私はこの

名前が何とも格好良い気がして、小さい時から興味を持っていました。

まあ格好の良しあしはそれぞれの好みとして、この特徴のある名前を聞

いて、印象に残っている人は多いのではないでしょうか。


上記の二人同様、実在の人物です。そして二人のような霊能者とはちょっ

と種類が違いますが、優れた忍者だっただけに、少々浮世離れして見える

能力を使うことでは共通です。


資料によると、身長2メートル以上、手足の筋肉はコブのように盛り上がり、

口が大きく牙が4本も生えていた。とあるので、多分にこの人も、誇張され

て伝えられる一人です。


彼は200人ほどの忍者集団の頭目で、元々は強盗、山賊から海賊まで

ありとあらゆる蛮行を繰り返すごろつきでした。やがてその武力と組織力、

忍者としての身軽さや知恵を買われて、小田原の北条氏に仕えることに

なります。


1581(天正9)年、北条氏直と武田勝頼の間で戦が行われ、今に静岡県

にある黄瀬川を挟んで両者はにらみあいをしていました。


この時武田陣営には、小太郎率いる「風魔党」とライバル関係にあった「甲

州素波(こうしゅうすっぱ)という忍者集団がついていただけに、より負けら

れない戦でした。


そこで風魔党は、深夜武田の陣営が寝静まった時、武田陣営に忍び込み、

眠っている武士を斬りつけたり、馬を放したり、火をつけるといったことを

繰り返し、攪乱しました。


しかもそれを忍者らしく、素速くこっそり手際よく行ない、相手の大混乱を

見極めた後これまた脱兎のような速さで引き揚げたのです。武田陣営は、

誰かが裏切ったと思い、内輪もめとなりました。


風魔党は、その後も何度かそうした攪乱戦法を繰り返したため、武田陣営

はついに兵を引き揚げざるを得なくなったのです。風魔小太郎の名を一気

に上げた戦いでした。


しかしやがて、北条、武田両方とも滅亡し、徳川の時代となりました。よって、

風魔党、甲州素波共に失業してしまいます。そうなると、彼らのターゲットは、

江戸の町となります。


自分たちは、徳川と豊臣によって滅ぼされ、失業した。その立役者及び将

でもある徳川家康が幕府を開いた江戸の町が栄えて行くのが、腹立たし

かったのです。


従って、風魔党、甲州素波、共に元の盗賊集団に戻って蛮行を繰り返しま

す。ただし、同じ経緯と恨みを持つ両集団ですが、急に仲良くできるわけあ

りません。特にかつて面目を丸つぶれにされた甲州素波側にしてみれば、

風魔党憎しの思いがつのるばかりでした。


両者は、縄張り争いになります。ぶつかり合いをしながら、悪事の競い合い

までするようになりました。


徳川幕府も、特別警備隊を結成して治安の維持に努めますが、相手は戦乱

を生き抜いてきた腕利きの忍者たちだけに、押えきれません。


そこで、幕府は、巨額の懸賞金を出し、情報を呼びかけました。そして、密告者

がどのような罪人でも、その罪は免じると言う条件までつけたのです。


これになびいたのが、甲州素波の頭目、高坂甚内でした。彼にしてみれば、

お上と手を結ぶのは本意でなかったが、それ以上に、かつてのいきさつもあっ

て、風魔党憎し、小太郎憎しで固まっていたのです。


彼らは風魔小太郎の居場所を密告し、逮捕に向かう警備隊を先導しました。

そうして風魔小太郎は逮捕。磔となったのです。


甚内が小太郎ほど後の世に語り継がれていないのは、かつての直接対決

で負けた形になっていることもありますが、最終的にお上と手を組んだこと

がヒーロー伝説に反していたということでしょう。


江戸時代までの日本人は、悪党も嫌いだけど、権力は更に毛嫌いする反骨

精神がありました。

それにしても、私は子供の頃、「伊賀の影丸」という忍者漫画が好きでして、

この風魔小太郎も名前の格好良さから、ちょっと影丸とだぶらせて考えてい

た時期もあったのですが、いささか違うようですね。