性は共有するもの? 古代日本人の風習 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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筑波嶺に登りて加我比をする日作る歌


これは、万葉歌人、高橋虫麻呂の長歌です。加我比、これ、かがいと

読みます。もっと女へんの違った字があるのですが、何故か変換しよう

に字が出てこないので、別名にしました。読み方は同じなので、この後

は平仮名にします。


この「かがい」というのは、春と秋の特定の日に特定の場所に集まって

性の解放をする行事のことです。今でいえば「スワッピング」か「乱交パ

ーティー」となるでしょうが、これが神の行事として行われていたのです。


虫麻呂の歌は、このかがいを礼讃し、積極的に参加しよう。人の妻と交

わり、自分の妻も人に語りかけよ。といった内容です。


縄文時代が多夫多妻制で、子供は地域で育てるものという考え方だっ

たことは、去年このブログで述べた通りですが、その精神は、後まで残さ

れていたということです。


食料や水同様、性も共有されるものと考えられ、集団セックスによって

生まれた子供も、集団で育てられたそうです。


ただこのかがいにおいても、ちょっとした悲劇の神話というか伝説が誕生

しています。

かがいの行事におけるセックスは、あくまで集団の中での行為というのが

基本でした。しかも、恋愛とは違い、一夜限りも原則だったそうです。しか

し『常陸国風土記』によると、村一番の美男美女がかがいの日に燃え上っ

てしまった。どうしても二人だけで過ごしたくなった。


二人は行事の場を離れて、松林に入り込んだ。そして一緒に過ごすうちに

夜が明けた。一夜限りのルールが破られる。

かがいで結ばれた男女が、独身であればそのまま恋人になるのが罪とい

うわけではないのですが、格好の良い話ではない。まして村一番の美男

美女なので、余計に後のことが気まずかった。


二人はどうしたかというと、そのまま二本の松の木になったそうです。


なお、この女へんに耀のつくりの方を組み合わせた「か」に歌という字を

でかがいと読む言葉、書物には出て来ますので、変換の方法はあるの

でしょう。私のパソコン知識の拙さ、未熟さを詫びると同時に、勉強して

おくことを、誓う次第です。