日本の神は両性具有神。だから同性愛文化が凄かったのかな | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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昨日夕方に更新した、膣トレの話。朝やるときついよとのアドバイスを

受けて夕方にしましたが、考えてみれば、NHKが朝からやってたネタ

が元なんだけどな。


まあそれはともかく、日本の歴史を見た場合、性愛は男女に限定でき

ないですね。武将に何人も男のお小姓がいたのは有名ですが、この

お小姓、男だけではありません。妻の方にも必ず女のお小姓がいまし

た。また、大奥にレズは当たり前で、張型という今のバイブの形をした

器具が女同士の愛撫でひんぱんに使われていました。


外国にも同性愛文化はありますが、日本ほど同性愛が定着していた

国はないんじゃないでしょうか。というより、両性愛こそノーマルと考え

られていた節さえあります。


いったい何故なのだろう。と頭をひねってみました。


一番考えられるのが、両性具有神の影響です。世界各国に神話という

のがありますが、ほとんどの国が、神様にも性別があります。でも日本

とインドだけは、神様が両性具有。男女を超越しているというか、両方を

兼ね備えているのです。男女万能なんですね。


その後体が二つに分かれて人間になり、男と女という性別ができた。と

いう考え方が、あるのです。だから男と女は元々、一つの体だったわけ

です。神話によれば。


従って、人間は自分と一体だったもう一つの体を探す。それが、異性を

好きになるという行為。お互い見つけ合ったと思えた瞬間、恋愛になり、

一体に戻ろうとする行為がセックス。でも無理なので、代替として子孫

を残そうとする行為が出産。という原理です。


この両性具有神の影響は、色々な所に見られます。たとえば「源氏物語」

や「とりかえばや」といった文学に、”女のように美しい”という表現が沢山

出てきます。また、ヒロインの象徴として、”男のようにりりしく”といった表現

も見られるし、江戸時代までは、女の男勝りは純然たる美学でした。だか

ら女が強いと言われる今の風潮は、日本では当たり前だったようです。


室町時代、城が多く建てられた関係で、力仕事の労働者が必要だったの

ですが、この仕事は男女が全く関係なくやっていたそうですから。


男らしさとか女らしさという感覚は勿論あったのですが、究極の美学は、

どうも男女を超越した所にあった。いわば、男女万能といった所に、日本

人の価値観があったように思えるのです。それが、独特の同性愛文化

を呼んでいるのではないでしょうか。


他にも、妊娠の心配がないとか、武士の場合だと、男女別行動が多いか

ら誰かが異性の役割を果たす必要があったとか、色々理由は考えられ

ます。


ということで、理屈の上では、私も日本の同性愛文化が、理解できます。

でも、実際やるとなると、理屈じゃないですからね。


10月18日のブログで、私がニューハーフ役として男優相手に絡みをした

ことは記しました。他に、ホモ映画というのがありまして、結構出ています。

実は、1990年には、「ホモ映画のスター」という名目で、週刊大衆にイン

タビューされているんですよ。少し自慢しちゃいましたが。


絡みは、気持ち悪かった。でもそれは、役作りで忘れられます。ただ、それ

以上に、男の皮膚って、キメが粗くてザラついた感じだから、触れ合うとく

すぐったいんですよ。これだけは、どうにもなりませんでしたね。笑いそうに

何度もなりましたし、自分にはホモの才能はないとおもいました。


昔の日本人は、あのくすぐったさをどう処理していたか。とても謎です。