努力は楽しんでやるもの と幸田露伴は言っております | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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「努力は立派なことだ。しかし、人間が努力をするということは、厳密

に言うと人間としては不純なこと。自分に服従しないものがどこかに

存在することを感じていて、それを鞭で威圧しながら事を成そうとする

趣がある」


これは大正時代に随筆家の幸田露伴が記したものです。ただし努力

を否定したわけではなくて、こう続けています。


「努力している。また努力しようとしている。という意識を忘れてやること

が自然な努力、努力の真髄、醍醐味なのである」


要するに堅苦しさを捨てて楽しく夢中でやるのが本当の努力だとおっしゃ

っているのです。それはまさしくその通りですが、大正時代にすでにそう

いうお考え方だったわけですね。わかる人はわかっていた。


私が通っていた国分寺第二小学校には、私が3年生の時まで、薪を背負

いながら本を読む二宮金次郎の銅像がありました。そして、


「どんなに大変で辛くても、この人は歯を食いしばって必死に勉強した。だ

からえらくなれた。君たちも見習って頑張りなさい」

そう先生や親から教わり、テレビでもそんなことがいわれていました。


当時私は反発しましたし、大人になった今は根本的に解釈が違っていると

思うようになりました。


「二宮金次郎は、薪を背負って仕事をしながらも、勉強を手放せなかった。それ

くらい勉強が面白くて好きだったんだ。だから勉強が上達したんだ」


そう教えればもっと効果が上がったはずだし、実際二宮金次郎の心境はそうだ

ったと、断言できます。勉強を、努力を、楽しんでいたんですよ。


ところでこの国分寺第二小学校の先輩に、亡き忌野清志郎さんがいます(国分寺

第三中学校の先輩でもあります)。6歳ちがいますから、先輩は6年間銅像を

見て、間違った教えを聞かされたわけでして、その矛盾と堅苦しさに反発したか

らああいう自由で伸びやかな音楽にたどりついた。なんていうのは、考え過ぎかな。


私が小学生で忌野さんが高校生の頃、長髪で派手な服を着るだけで不良といわれ

るような風潮が残っていました。ということで、忌野さんもグレテたわけじゃないのに

不良と評判を立てられ、子どもから恐がられていました。


でも私はよくあの人の家の前を自転車で通っていたから見かけることもひんぱん

でしたが、何か飄々としていて、周りの評判なんか頭にないように、私には見え

ました。マイペース。


自分の世界に集中していたんでしょう。当然ながら、音楽もしばしば鳴り響いていま

した。まあ古い時代のガキだから、「変な音楽」とか思いながら通り過ぎていました。

大人はもっとそうおもったでしょう。


でも忌野さんにすれば全然気にも留めず、二宮金次郎の真の姿と同じく楽しみなが

ら努力していたんですよ。きっと。


後になって先輩の歌を聴いて、”あの人こんなに才能あったの!”なんて驚きました

がね。その原点を自転車に乗りながら感じ取るくらいのセンスがあの時私にあれば、

違った人生を歩んでいたかもしれないんですけどね。


それはさておき、努力は明るく楽しくするものです。