ちょっぴり朝の続きをさせて下さい。
一応、良い人と悪い人という言い方をあえて致しましたが、人間に良い人
とか悪い人なんていう色分けがあるのかと言う人もいるでしょう。確かに、
根っからの善人とか悪人というのは少なく(いるにはいます。ただそれも
善人の割合のがはるかに多い)、多くの人は良い面と悪い面が半ばして
どっちにも転ぶという感じだと思います。
また、自分の欠点ばかりが気になって、自分を良い人と思えない人もいる
でしょう。
大事なのは、良い人になりたいと思える社会です。市場原理主義は、人間
の醜い面を助長する社会なのです。
自分を愛せない人は自分の長所を見つけ、欠点をカバーする。できなくても
他人と協力することで何とかする。そんな当たり前のことができる社会にし
なくてはいけないということです。
市場原理主義による過剰な競争社会は、全てに勝ち負けを決めようとする
から共存がなく、良い人でいることに不安を抱きます。良い人では生きられ
ないと思ってしまう。きれいなことを言われると、偽善的に思えてしまう。
これは、間違いです。朝もいいましたように、良い人は視野よ引出が広いから、
絶対に強いのです。
「ワルの美学」なんて言葉がありますが、そういう場合のワルというのは、根は
優しく、言ってることも正しいけど表現方法が強引だったり奇抜だったりする
人のことを言うのであって、冷酷だったり強欲なだけの人をいうのではありま
ん。また、きれいごとは、あくまで理想であって、偽善とは違います。
もっとも、近々、市場原理主義は崩壊して、人間が自分の心の中のきれいな
部分を素直に愛せる時代が来るでしょう。というか、そうならざるを得ない時代
なのだと思います。なぜなら、市場原理主義で本当に幸せになれる人なんて
いないからです。