みっちゃのブログ

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2022年夏 ハロヲタに戻る。

新聞社受験も結果を得られず、

いい加減ちゃんと社会人になろうと就職活動を始めるw

 ※バイト先が保険加入してくれていたので失業保険の

  支給を受けられました。

ハローワークに通いながら数社を受け、

内定を2社いただけていました。

 

1社目:某機械メーカーで一般の方でも社名は聞いたことが

あるような大手さん。

面接を重ねた結果が「新規事業を立ち上げるので、その

スタッフとして。」と。

どんな事業なんですか?と尋ねても教えてくれなかった。

2社目:某電子部品メーカー。社名は聞いたこともないw

電子部品は余程の大手じゃないと一般人には知られないからね。

 

で、どっちを選んだか。

2社目ですw

1社目は新規事業っていうのに魅力はあったが「何を?」を

聞けないのは当たり前だけど、不安だよね。

で、数年後、その事業が判って、しかもその事業と関わる仕事を

別の会社(2社目)でしてたのは…これも運命ですがねw

2社目を選んだのはね、これも同じく面接の際に

「今、新規事業に取り組んでいる」との話をされ、それは

「自動車の安全装置に関わる電子部品を開発中」だと。

入社してもその事業に携われる保証はないとは言われたが…

名古屋エリアでの採用なので…客筋は「あそこ」でしょ?と勘繰り

その事業に関われる期待込みで、こっちを選んで入社しましたw

 

入社して、何度か「新規事業に関わりたい」と打診したが

相手にされずにいたのですが…

入社2年目に、従来担当していた名古屋エリア担当者が

退職することに。

で、組織として彼の後任を探すことになった中で、

「そういえば、〇〇(←私)、やりたいって言ってたっけ?」と。

で、「やります!これがやりたくてこの会社に入ったんだで!」

と即答w

入社2年目の人間が選ばれるのは異例ではあったようですが、

当時のマネージャーは

「誰がやったって、ダメなもんはダメだから」と

誰でもいいわ感で人選された(と後から聞きましたw)。

 

当時、その自動車の安全装置は標準装備されていないものでしたが

私は(会社もですが)絶対に標準搭載部品に移行するはず!

という思いがあったので、市場が活況化する前に入り込むべし!

と活動を始め、

当時のトヨタ自動車でそのモジュールを受け持っていたのは3社あり

その3社にコンタクトを取り、うち1社が話を聞いてくれた。

(他の2社も聞いてくれたのよ。でも続かなかった)

 

入社2年目で電子部品の知識も浅く、

しかも新規事業の新規開発部品なので

お客さん側での制御方法(重要項目・要件)の知識もなく、

あるのは「知りたい!理解したい!」という欲のみw

なのでお客さん(開発部の方々・実験部の方々)との面談では

とにかく聞きまくった。

でも、それが…先々に、お客さんの開発部長と実験室長から

「あの、〇〇君の前のめりの姿勢が楽しくて、

 なんでも教えてあげたいって感情にさせたんだよな」って。

いまの私は、ほんとに上述のH部長とI室長に育ててもらった

と言っていいくらいです。

 

結果を先に話すと、採用獲得できました。

そのお客さんの中で、ゼロスタートの開発案件で2年半で

採用獲得をしたのは最短記録だったよ、と開発部長から。

社内でも、この新規事業製品での初採用獲得となりました。

この採用をきっかけに

「トヨタ系での採用が確定しました」という宣伝文句を

マネージャーが阪神エリアと中国エリアで吹き込んで

続々と採用件数が増えたそうですw

※一応ね、国内自動車メーカーで採用獲得できなかったの、

 確か1社か2社だけだったような記憶。

 

前に書きましたが、車が好きな人間だから

自分の好きなモノに間接的にであっても関わることができる

ってのはやりがいにつながってましたね。

その後、いくつかの車種を受け持ち

その実績から自動車メーカーさんから直接声が掛かり

自動車メーカーさんとの共同開発の担当窓口になり

夢のような時間は10年くらい続いたかな。

自分の人生で一番楽しかった期間ですね♪

(若さもあったしねw)

 

でも、夢はいつかは醒めるものw

次回は夢が醒める話を書きますw

 

前回(回顧①)は新卒で入社したゼネコンを

退職したところまで。

前回でも触れましたが、

大学4年時に、自分の将来や職業について

真面目に考えたことがなく

社会人1年目になって、やっと考え始めたw

 

で、会社を辞め「何がやりたいんだよ?」と考え始めました。

やりたいことはいくつもありました。

それらの中で多くに共通することが「ものを書く」

ということでした。

※学生時代から「ハガキ職人」みたいなことやってましたw

 オールナイトニッポンでの採用率は低く、

 名古屋ローカルを主戦場にした…二流三流職人でしたw

 

「雑誌の編集者か新聞記者に興味がある」という方向で

求職することにしましたw

 

そんな中、早々に雑誌の編集バイトの案件が出て来ました。

東海圏での自動車雑誌のアルバイト募集でした。

学生時代から自動車が好きで、カーグラフィックと

カー&ドライバーは毎刊読んでいましたし、

しかも輸入車雑誌ということで

当時おカネがないので国産車に乗ってたけど、

好きなのは外車だったので「こりゃ、行くしかないだろ」

と応募。

競争があったのかは記憶にないけど、採用されましたw

 

そして雑誌社に通い始め、取材で自動車販売店に行って

(私は新人なので先輩方に帯同して補助する程度ですが)

写真撮ったり、試乗したり、インタビューして事務所に戻って

原稿作成して・・・という日々。

枠に合わせて原稿の文字数を合わせながら要点は抑えつつ、と

編集してるなー♪って実感しつつ、先輩や編集長に

原稿提出しても「うーん・・・ま、いいか」てな感じで

あんまり馴染めてなかったw

 

当時、私自身、ちょっと不満がありました。

ここでも23歳の若さ(至らなさw)が炸裂します。

先輩方と車の趣味がまったく合わない→話したくない病w

また車の記事の内容が「すべて肯定的」なのが気に入らないw

※スポンサーなんだから…という忖度を当時は受け入れられずw

そんな中、先輩に雑談で「新聞社の受験勉強してる」と話したら

ある日編集長に呼び出され、

「新聞社の受験勉強をしているそうだね。ウチに専念するか、

 新聞社受験に専念するか、どちらかはっきりしてくれ。」

と尋ねられ、「新聞社受験は諦められません。」と答え、

雑誌編集のバイトは終わりましたw

↑当時、欲しかった憧れの車。ゴルフのカブリオレ。

 一応ね、数年後に新車で買いました♪

 (ただ、ゴルフⅡではなくゴルフⅢのカブリオレ…)

 

これをきっかけに

『2年間(24歳25歳)、新聞社受験に挑戦しよう!』と決め、

名古屋の某テレビ局の子会社で長期アルバイトをしながら

1年目は大学の図書館に通いながら勉強したものの2社とも落ち

2年目は…1年目ほどの熱量はなくなってしまったけど、

バイト先で参考書読みながら勉強しましたが、

1社は一次面接まで進みましたが…結局2社とも落ち。

 

バイト先の専務(元プロデューサーさん)には

かわいがってもらえていて、新聞社受験やめてウチに入れと

何度も声かけてもらったけど「いやですw」と断り、

「専務なら新聞社にコネありますよねー、どうにかしてよw」

と相談したりしたけど、

バブルが弾け、就職氷河期前と言うご時世で

「無理に決まってるだろw」と。

で、ここで

「大学を出て、遅ればせながらもやりたいことに挑戦したんだ」

と、結果は得られなかったけど自分なりには満足をし、

次の道を探し始めることにしました。

 ↑ここでも踏み外しw 

  2年半いたので社員みんなと仲良かったし

  社員登用してもらえる雰囲気だったのに辞めちゃったw

  肩書き(社名)のインパクトはデカいんだけど、

  「でも、やりたいことじゃないじゃん」が理由なので

  私らしいといえば私らしい。

  ※でも数年後、めっちゃ後悔したんですけどねwwww

 

当時はまだ「インターネット」などまだない世界で、

当時すでに現代のようなSNSが発達した時世だったなら

「物書き」は目指さなかっただろうな。

これも世の流れですよねw

 

次は…つい先日まで勤めていた会社との出会い。

↓当時の私w

今では全く面影が無いけど、モザイク処理付きでw

今年2025年も11月に入りました♪

今年は大きな変化があったので回顧録を残しておこうかとw

 

今年の7月末に、26歳から長年勤めてきた会社を辞めましたw

退社理由は「体調不良による自己都合」。

年明けから立て続けに病気に遭い(心臓手術、肺炎、結石など)

有給休暇も半年で全部使い切り、体力面の不安もあり

「一旦ゆっくり休養して体力を作り直したい」と伝えて

会社を辞めさせてもらいました。

 

中途半端な年齢で会社辞めちゃって

どーするんだろーねwwww

なんとなく、年明けには再就職?の

目途をつけておきたい気持ちだけはあるw

 

でこの機会にこれまでを振り返ってみようと。

学生時代まで戻ると大変なので新卒からw

 

新卒では、中堅のゼネコン(総合建設業)に入社。

大学の推薦枠でなんの苦労もなく。

↑これが初っ端の社会人での踏み外し。

正直、就職に対しては「いい会社に入りたい」しかなく、

選んだ会社も「株価も高いのでいい会社なんでしょ」という

今では考えられないような不真面目な理由で選んだw

 ※このあとちゃんと伏線回収ありますのでw

 

入社後、社員研修を経て実地研修へ。

名古屋支社に配属されて三重県の現場に赴任。

すると毎週、部長が様子を見に来て、帰りは部長が

車で僕の自宅まで送ってくれるw

また現場で所長から雑用をさせられている姿を

部長が見つけると、

「●●(←僕)に何をさせているんだ!」と所長を叱責。

その後、三重の現場から名古屋市中区の現場へ転任。

でその名古屋の現場での監督をしている中で

『この仕事って、オレが本当にやりたい仕事なのか?』

と考え始める。←やっとここで目覚めるw

 

で、退職願を提出。

すんなりとは辞められなかったけど辞意が固いと折れてもらえた。

退職が決まってから、部長のご自宅に招いていただけて

 ・名古屋支社配属の建築部同期はほかに2人いたが、

  彼らの現場に部長はほぼ行かないし車で送ることもしなかった。

 ・部長は私の入社面接の折にもおられたようで、

  「コイツ、入社してもすぐに辞めそうだな」と思ったそうですw

 ・短期間で現場を変わる(三重→名古屋)というのも異例だったそうで、

  「ダメな現場運営、優秀な現場運営というのを身をもって

    感じ取ってほしかったんだよw」

とお酒を飲みながら教えてくれた。

そんな部長にも、ストーリーがあってね。

ちょうど僕が入社した年に部長戦があり、候補は4人。

その中の最年少のNさんが部長になりました。

Nさんは「長いものに巻かれない」という気質があり

そんな雰囲気も自分に似てて好きでした。

 

「コイツ、辞めそうだな」と思いつつも

自分の部門に私を入れて、私のために

いろんな話をしてくれて(送ってくれる車の中で)

更に両極端な現場をわざと体験させてくれて

しかも「日雇いでもできる作業を●●にさせるな!」って

恫喝は・・・本当にうれしかった。

※雨が降る中をカッパを着て重い木材を片付ける作業を1人でしてたっけ。

でもそんな部長の想いを22歳23歳の私は気付くことができず

裏切ってしまう結果となった。

部長がご自宅で私に対して最後にかけてくれた言葉は

『宣言してやるよ。今後、転職するたびに会社の格は落ちていく。』

 

Nさん、おっしゃる通りでしたよwwww

うまくいかないもんですねw

でも「格」が全てではないから。

でも「格」とサラリーは比例してるから・・・結局、負けかw

 

今回はここまで。

次回は「本当にやりたいことって何?」篇ですw

※23歳から26歳の話です。←いい年ごろw