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母に会い、うちの子ども時代感じてたことを話した。これから女手一つで発達障害児を育てるのだから子育て方針は理解してもらいたかった。うちは子ども時代に両親の育て方に疑問を感じ、反面教師で育ててる。

うちはアラフォー。発達障害という概念は子ども時代にはなく。かなりハードモードの子ども時代を過ごした。

父は昭和の典型的なガンコおやじな上、めちゃくちゃクセ強い人。母は平和主義。

つまり子どもが3人いても生活は父中心に回っていた。昔のガンコおやじは子どもをとにかく怒りまくる。

だけど父はかなりズレた怒り方だった。

子どもがやらかすのはしてはいけないのがわかっていないからだけではない。正しいやり方がわからないとかもあるし、好奇心から衝動からもあるのだ。まして子どもはこうしたいが最終的には正解な場合もあるが親は認めたくない。感情的な反発心もある。

だけど、発達障害児の場合、かなり理解に時間が要する。

父はかなりせっかちだった。うちの場合、噛み砕いたら、見通し立ったら、時間かけてちょっとずつできたことを褒めたら、できてた。

しかし、待ったなしで沸点の低い父。怒るのが早かった。

そして、女は男に養ってもらうべき存在。控えめについていくようにしないといけないと思っていた。高校卒業したら腰掛けで働き、いいお嫁さんになればと思っていた。

しかし、中学でバブルは崩壊。うちにとっては競争社会の時代だったからかなり苦しかった。

母はせっかちなこだわりだらけの父がこれ以上イラつかないように家事を父親のリズムに合わせて淡々としていた。なかなか物事が身につかないうち。一番上だったため、家庭では姉という役割を果たさないといけない。弟の前では弱いところは見せられない。

母はゆっくりなうちに合わせる余裕はなく、できないことは先回りしてやっていた。うちは学校や友達、弟という比べる対象から見て劣等感の塊になるのは時間がかからなかった。

学校ではできない、わからない、空気読めない、小学中学、選択性場面緘黙になったうちはイジメの標的だった。

うちは家ではおかしいことをおかしいという子どもだった。まず男女共家事はするべき、女は高校卒業後も進学するべしと思ってたからかなり父とやり合った。

父はうちが気の強い、勘の強い部分は真っ向否定して直そうとした。

うちはアイデンティティはもう崩壊していた。学校でも家庭でも自分を否定されまくりだから。

唯一の居場所が父方の祖父母宅。自分が自分でいられた。

そんなうちは今3人の母親。そして、シングルになろうとしている。

うちは家事は苦手、旦那をおだてて一歩引くなんてできない。

綿密に言うと尊敬して信頼できる相手ならできるんだと思う。

小学校の卒業アルバムに尊敬する人ってプロフィール欄みたいなんがあり、ほとんどが両親って書いていたが清少納言って書いた記憶がある。

はっきり言って清少納言を良く知らなかった。だけど文を書くことが好きなうちは女流作家で名を残している清少納言が輝いて見えた。

その頃からのうちの夢は幼稚園教諭だった。

幼稚園の時の先生の無理解。もしうちが先生になればうちみたいに小学校で壊れない。ゆっくりな子にできないことも教えてあげるんだ。一人一人の気持ちを理解できる努力するんだっていう夢があった。

思春期になってさらに壊れた。早く素敵な彼氏見つけて結婚したかった。

だから24には結婚した。壊れたうちでもいいって言ったのが旦那だった。

うちはデキ婚だった。リィの育児もハードモード。幼稚園教諭になりたくて高校で保育科、短大で児童教育学科を卒業したうちだが、特性で不得意な分野があり、なれなかった。しかし、ゆっくりな子の気持ちを考え育てるという夢は叶った。

家事は苦手、夫婦関係は上手くいかないが、子ども一人一人に寄り添う育児はしている。

夫婦関係が上手くいかない理由に旦那に子どもの気持ちに寄り添って欲しいということがアスペ旦那には無理だったから。

アスペ旦那は最低限俺の望むレベルの家事ができて欲しい、俺を中心に考え立てて欲しい、子どもたちに尊敬させるように仕向けて欲しいって思ってた。

だけどうちはそれをした母に育てられ一番したくないことなんだ。

父親なら家族から尊敬されるように努力するべきだ。もう令和なんだから昭和のオヤジスタイルは通用しないんだよ!

ってことを母との話ししてから帰ってからモヤモヤしか残らず。

ただ思うのは離婚してもし両親がどちらか亡くなったら引き取りたくない。

非情に思われるかもしれないが、義両親と同居解消した理由は不登校、発達障害の無理解だったからだ。

両親は一応は理解しているが、不登校や発達障害の子がいる家庭は母親がかなり苦労するのだ。ましてシングル。

もう子どもたちが自分たちのことを自分である程度できる齢になると、自分ルールやこだわりがそれぞれあるし、偏食だし、昼夜逆転だし一般の家庭じゃ理解できない生活をうちは容認している。そこに親とは言え、同居したらお互いのストレス半端ないから。

そして介護状態の父だけ残された場合子どもたちが無事独立してからならまだしもキツいと思う。

もし子どもたちが何かあったらうちが休めばいいし、うちの身体が壊れないように無理しない生活をしないといけない。

だから両親の行く末は独身の弟たちに任せ、見ていけるとこは見てあげ、あまり両親に子どもを任せずにしたい。

ただ今まで正月にしか会わない両親や弟たちとの付き合いが濃くなるだろう。子どもたちははっきり言って懐いてない。人見知り激しい子どもたちが正月の数時間で距離は縮まるわけではない。

これから関係を築いていこう。

お世話になった義母に会えないのは息子たちにとり可哀想なことだが、バカ旦那の行く末を任せよう。

もし面会交流を望まれたら旦那しだいだな。