隣人を愛するという教えと習慣【 巡禮記遠足・神戸 】 | 巡禮記(じゅんれいき)

巡禮記(じゅんれいき)

聖地先達がお届けする満たされるくらし

 

たまにですが神戸の街を先達することがあります。


神戸は、和人と異民族の知恵で作られた街です。

それぞれの民族が、この地で
幸せに、仲良く暮らしてゆこうとした祈りの場が
ここほど上手に習合している街は、
たぶん他に例がないのでは?と思うのです。

 

 

田中一人がなぜ、ひとつの宗教・宗旨に傾倒せずに、
信仰全体を人の智慧としてとらえて、先達をできているのかといいますと、
神戸生まれ、神戸育ちだからかもしれません。


生まれ育ちだけではないかな?

僕も、僕の先祖も、この街が好きで、
この街に坐っている多民族の神々と教えに
恩恵を受けてきたからなんです。

 

皆さんを神戸の半径2KM圏内に点在する
祈りの場所に先達をしたいと思ったのは、
そんな祖先の愛を感じてほしいからです。

 

 

その圏内には、日本のお寺も神社も、イスラムのマスジッドも、
ジャイナ教の寺院も、道教の寺院も、ユダヤ教のシナゴッグも
カトリックの教会もあるわけで、


考えようによると、江戸時代の終わり頃には、
イスラエルのエルサレムより平和的に多信教都市になってるんです。

 

で、その中で、その各々の信者たちの中心にある考え方が
「隣人を愛する」という教えです。

 

どのような宗教であっても、
他教を排除しない信仰を持つ者同士は
信頼しあって、讃えあいましょうという教えで、

少なくともこの圏内に寺院や教会を構えて、
その教えを衰退させることなく保ってきた
代々の僧侶や司教さんたちは実に
「人ができている」と思いますねぇ~


こんな人々にも皆さんを紹介したいと思うわけです。

 

 

で、その中でも最も隣人を愛したのは、誰かと言いますと、


人ではありませんが、神戸の市街地のど真ん中に坐られている、
生田神社のご祭神である、わかひるめさまではないかと思います。

 

わかひるめさまを単身で主祭神とした神社は、
日本でもまれで、大きな神社としては生田神社だけではないかと思います。

 

そのわかひるめさまが、他宗の仏や神々様を迎え入れ、
お互いの持っていないところを頼りあい、
足らないところを補い合ってできた街が神戸だと考えて、
間違いないのではと思っています。

 

宗教を人の愛ととらえて
そのハブとなって坐っておられるわけですね~

 

そのご神意に触れた人々が、隣人を愛して、
人が人のためにと発展していったからこそ、
他に例のないアーバンな都市になったのだと思います。

 

また機会があれば、この街を先達させてほしいなぁ~
手前味噌ですが、僕が生まれ育った大好きな街です。

 

 

田中一人

 

 

★ 遠足・ツアースケジュール 
★ 氏神さま結び 
★ あたりまえに願いが叶う、巡礼まんだら 
★ 叶わない体質をぶっ飛ばす、裏まんだら 
★ ヒーリングジュエリー